明日 障害者になるかもしれない
重度障害者19人の命が奪われた相模原市のやまゆり園事件が、発生から10年である。
同園の元職員・植松聖死刑囚は「障害者は不幸しかつくれない」などの身勝手な差別的持論を語り犯人から社会の荷物である「障害者」をこの世からなくしたいという考えだった。
事件の直後に行われた追悼集会で、弟が犠牲になった女性のメッセージが読み上げられた。「(この国では)すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではない」
「障害者」の「害」という意味がそう連想させる。
辞書で開くと「害」とは、人や事物に悪い影響を与えること、または損なったり傷つけたりする災いや妨げを意味する言葉だからだ。
女性は5年後、社会福祉士の西角純志さんにメールを送る。息子にも障害があり、障害者に複雑な感情を抱くことを打ち明けた。人に迷惑をかけなくては生きていけないのに、存在していること自体が申し訳ない-。そんな言葉もあった。
この国では2026年7月1日から、民間企業の障害者法定雇用率が2.5%から2.7%に引き上げられた。
障害者を早く社会へ送りだそうという考えが活発になった結果だが、それをよく思わない人もいる。
「頭が悪い、効率が悪い、話ができないそんな逸材をいれてしまえば迷惑になると」
しかし、それは今は障害がないからいえること。
加齢や病気、事故などで誰もが障害を負い得る。
明日 障害者になるかもしれない。




