毛根護送船団方式 —— 発見
前書き(町田視点)
品質保証の仕事をしていると、
いろいろな改善活動を見ることになります。
現状把握をして、
原因を分析して、
対策を考える。
それが本来の順序です。
ただ、現場というのは面白いもので、
人間が焦ると、この順序がよく入れ替わります。
特に今回のように、
会計の減損講義
などという刺激を受けた直後は、
思考が少し不安定になることがあります。
そんなとき、人はどうするか。
だいたいの場合、
インターネットを検索します。
そして――
時々、とてもそれらしい文章に出会います。
今回は、
剛田課長と田辺くんが見つけてしまった
ある「新理論」
についてのお話です。
佐伯の講義が終わったあとだった。
品質保証課の会議室は、妙に静かだった。
ホワイトボードには
減損
という言葉がまだ残っている。
田辺がぽつりと言った。
「課長……」
「減損って」
「つまり」
「もう回復しないって意味ですよね」
剛田は答えなかった。
代わりに、腕を組んだまま窓の外を見ている。
春の光が差している。
だが頭の中では、
さっきの佐伯の言葉が何度も再生されていた。
「価値が回復しない資産は
早めに損失計上する」
田辺がスマホをいじりながら言った。
「課長」
「ちょっといいですか」
剛田
「なんだ」
田辺
「面白い記事見つけました」
⸻
田辺のスマホの画面には
妙にそれらしいサイトが表示されていた。
タイトルはこう書かれている。
「護送船団方式に学ぶ、新しい毛根政策」
剛田の眉が動いた。
「護送船団……?」
田辺が説明する。
「これ、昔の金融政策らしいです」
⸻
記事にはこう書かれていた。
⸻
日本経済を支えた「護送船団方式」
戦後の日本の金融業界では、
自由競争よりも安定が重視されていた。
銀行同士が過度に競争すれば、
弱い銀行が破綻し、
経済全体に不安が広がる。
そこで大蔵省は
•金利
•新商品の投入
•業務範囲
などを細かく管理し、
すべての金融機関が横並びで成長する仕組み
を作り上げた。
これが
護送船団方式
である。
⸻
剛田は腕を組んだ。
「合理的だ」
田辺
「ですよね」
「弱いところを切り捨てるんじゃなくて」
「全体で守る」
剛田
「安定経済の基本だ」
⸻
田辺は画面をスクロールした。
記事の続きが出る。
⸻
毛根業界への応用
近年、この「護送船団方式」を
頭皮環境に応用する研究が進んでいる。
従来の育毛理論では、
強い毛根だけが成長し、
弱い毛根は自然淘汰される。
しかしそれでは
頭頂部の地域格差
が拡大する。
そこで本研究では
毛根の成長速度を全体で同調させる
「護送船団型発毛モデル」を提唱する。
⸻
剛田
「……」
田辺
「課長」
「これ」
「かなり理論的じゃないですか」
剛田
「続きは」
田辺はさらにスクロールした。
⸻
栄養の再分配政策
護送船団方式では
強い毛根が
弱い毛根を支える。
頭皮全体の栄養供給を再配分し、
最も弱い毛根の生存を優先する
政策を採用する。
その結果
•成長速度の格差を抑制
•脱落率の低下
•頭頂部過疎化の防止
が期待できる。
⸻
田辺が興奮した。
「課長」
「これ」
完全にQCの考え方ですよ
剛田
「……確かに」
田辺
「弱い工程を守る」
剛田
「ボトルネック管理だ」
⸻
記事の最後には、
大きなキャッチコピーが書かれていた。
⸻
毛根護送船団方式™
「さらば、孤独な戦い。
これからは、全軍で生き残る。」
⸻
田辺はスマホを握りしめた。
「課長」
「これ」
「やってみませんか」
剛田は黙っていた。
しかし次の瞬間、
静かに言った。
「……品質の世界では」
田辺
「はい」
剛田
「新しい対策は」
まず試す
⸻
そのときだった。
後ろから声がした。
「課長」
町田だった。
彼女はスマホの画面を覗き込んだ。
そして一言言った。
「それ」
「広告ですよ」
⸻
田辺
「え」
町田
「しかも」
「かなり雑な」
沈黙が落ちた。
⸻
剛田は画面を見つめた。
そして言った。
「……」
「理論は」
「悪くない」
⸻
町田はため息をついた。
「課長」
「品質保証課ですよ」
⸻
田辺は小さく言った。
「でも」
「護送船団……」
「ちょっとかっこよくないですか」
⸻
剛田はゆっくりうなずいた。
「……やるぞ」
後書き(町田視点)
品質保証の基本は、
問題を隠さないことです。
まず現状を確認する。
そして原因を分析する。
最後に対策を考える。
順番は、とても大事です。
ところが今回の二人は、
少し順番を間違えました。
現状を確認する前に、
魅力的な対策を見つけてしまったのです。
しかもその対策は、
金融政策の歴史まで引用した
なかなか立派な理論でした。
人は、
理屈が立派なものほど信じやすい
ものです。
もっとも、品質保証課としては、
こういう失敗も立派な
ケーススタディ
になります。
さて。
この「毛根護送船団方式」が
どのような結果をもたらすのか。
それは次の記録で
確認していただくことにしましょう。




