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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ


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『君も、笑うんだな』


アルファド様がそう言った日のことをよく覚えている。

あれは、私の婚約者がアルファド様に決まったと神官長から告げられた日だった。

私は、その声を夢でも見ているような心地で聞いていたのだ。極貧の村に生まれ、間引かれる一歩手前だった私が、国の女性たち皆が憧れる騎士様と婚約する。 

夢見心地になったとしても不思議ではない。


それまでに一度も感じたことのない気持ちが胸の間を占拠した。温かく、ふわふわと揺らめくようで、どこか居心地が悪く、だけど口元が緩むようなそんな不思議な気持ちだった。


「リディアさん」

礼拝堂で当時のことを思い出しながら膝を付いていれば、背後から鈴の鳴るような愛らしい声が私を呼んだ。

振り返れば、今代の聖女様。

彼女の肩から、この世界には存在しない黒髪がはらりと流れる。けれど、それ以外のところは何の変哲もない女性だ。異世界からの客人とは名ばかりで、色彩を除いては、この世界の人間と変わっているところなんて見当たらない。


だけど、恐ろしく美しい。


濁りの無い黒い瞳に、ひたと見つめられて思わず目を細めた。

何だか、酷く眩しい。これが神聖と呼ばれるものかもしれない。

教育係を任されて、既に何度も顔を合わせているのにいつまでたっても見慣れることがなかった。

「本日の講義はお休みですよ、聖女様」

微笑んで首を傾げば、さっと頬を赤らめた聖女様が俯いて、「何だか寂しくて。少しお話していただけませんか」と呟く。庇護欲を誘う、愛らしい声であった。


狭い礼拝堂には私と聖女様と、護衛のアルファド様だけだ。

「女官様はご一緒ではないのですか?」

「あ、はい。そのエミーは…」

愛称で呼び合うほど親密なのか、と思いながら聖女様の言葉を待っていると、

「彼女は休暇をとっている」と、少し離れたところからアルファド様が朗々とした声で割り込んできた。

誰かの会話に割り込んでくるなんて無粋なことをするなんて、彼にしては珍しいことだとは思う。

けれど、今更、彼のことを気にするのはおかしい気がして即刻、目の前の少女に意識を戻した。


「では、座ってお話しましょう」

聖女様を促して、会衆席の長椅子に腰掛ける。

手を引くようにして座らせれば、正面のステンドグラスから差し込んだ淡い光が聖女様の黒髪を虹色に照らし出した。

あの日見た虹色の雲に似ている。

漠然とそう思ってから、己の髪を想像すれば気分が沈んでいくのが分かった。

私の髪はきっと、ありふれた赤錆色をしている。聖堂の天井から降り注ぐ、ある種特別な光を浴びてさえなお、凡庸の域を出ないのだろう。

「アルファドさんも…」

ぼんやりと思考をさ迷わせていれば、聖女様がちらと己の護衛に視線を送っていた。

座るように指示を出すその姿に、彼女はやはり異世界の人間なのだということを実感する。

護衛騎士としての彼の立場からすれば、聖女様と同じように椅子へ座ることはあまりよろしくない。

しかし、身分差とか階級とか立場を気にも留めない聖女様はそれを気にも留めない。むしろ、階級ということに批判的な態度を示すこともあった。


だから、アルファド様も彼女には何を言っても無駄だと諦めているようだ。


彼は少し逡巡した後、私たちが座っている椅子からは数列離れたところにそっと腰掛けた。

本当に、軽く腰を下ろしただけに見えるその秀麗な姿を視界の隅で見つめる。

「リディアさんは、本当にお綺麗ですね」

すると、何を思ったのか聖女様が突然そんなことを言い出した。

まさかそんなことを言われるとは思わず、嫌味なのかと一瞬、勘ぐる。けれど、聖女様の黒い瞳にはただひたすらに純粋なきらめきが宿っているだけで他には何もない。濁りのないその瞳は、赤ん坊のものに似ていてきらきらと輝いていた。


「私などよりも、聖女様のほうがずっとお綺麗ですわ」

「……そんなこと、元の世界では一度も言われたことありません……」

「そう、なのですか? 皆、貴女の美しさを表現する術を知らなかっただけでしょう」

「いいえ、いいえ! そんなことはありません!」


首が取れそうなほどにぶんぶんと頭を振って聖女様が泣きそうな顔で答える。

普段は意識さえしていないが、こうして向かい合ってみれば、彼女は非常に幼い顔立ちをしていることに気づく。これも異世界人の特性だろうか。その神聖さから、幼気な部分がいくらか緩和されているようにも思うが、丸みを帯びた輪郭は彼女の実年齢よりも更に若く見せた。

その仕草にも幼さが見え隠れして、周囲の人間が彼女を過保護に扱うのはそのせいかもしれないと冷静に分析する。


そうしていなければ、余計なことに意識を奪われてしまって。

彼女の目をまっすぐ見られないような気がした。


「この世界と、私の住む世界では何もかもが違うんです。私は元の世界では平々凡々の女子高生で…」

ジョシコウセイというのがどういうものか分からなかったので説明を求めれば、この国で言うところの学者の卵のようなものだった。そうであるなら、学校に通えるほどの頭脳を持つ人間のどこが平凡なのかと問えば、何と国民のほとんどが学校を出ているようだった。総じて教育レベルが高いということなのかもしれない。


「私、こうやって一度で良いからリディアさんとお話したかったんです。普通の、友達みたいな会話をしてみたくって。だから、とっても嬉しいです」


聖女様の朱を刷いた目じりが下がる。

何て、愛らしい方なのだろう。

こんなかわいらしさで友達になってほしいと言われれば、それを無碍にできる人間なんていないに決まっている。

実直で堅物と名高い第一皇子殿下も、彼女にだけは違う顔を見せるのだという。

それがどんな顔なのかは知らないが、これほどに無垢な存在を前にすれば、むきだしの刃もさやに収まるというものだ。

だけど、その一方で懸念もある。

こんなに真っ白な少女では、誰かに利用されてしまうのではないかと。誰かの口車に乗せられてあっけなく拐かされてしまいそうだ。


「リディアさん?」


頭に過ぎった不穏な気配をかき消すために、思わず聖女様から視線を逸らした。

そもそも、誰かと二人きりで話すこと自体に慣れていないのだ。

私と話すことができて嬉しいと笑う聖女様に何と言葉を返して良いか分からない。

「……あの、リディアさん?」

けれど彼女は臆することなく、私と視線を合わせようと身を寄せてくる。

あざとい仕草にも思えるけれど自然にそれをやってのける彼女の傾いだその細い首には、年相応の女性らしさと幼さが混在している。


その姿に、聖女様の内面を案じるのは私ではなくても良いだろうと結論付けた。

彼女を導くのは、私ではない。彼女の後見人である第一皇子殿下であり、世話役の女官であり、もしくは、彼女を庇護するアルファドの役目なのだろう。


それに。

きっと、誰もが願っていることだろう。彼女にはその純真さを失って欲しくないと。だから、余計なことを言って彼女を不安にさせるのは望ましくない。警戒させてしまっては元も子もないのだ。

だから、私は与えられた役割を果たすだけだ。

聖女としての在り方を教えること、ただそれだけで良い。

未だ、こちらに視線を向ける少女に、私はにこりと笑って、元の世界ではどんな暮らしをしていたのかを聞いた。貴女のことを知りたいのだと、そんな風に匂わせて。


聖女様はこう言った。

何も知らない世界に来て、それはそれは怖かったけれど、皆良い人ばかりでとても優しくしてくれた、と。

聖女としての役目は、自分には重い責務ではあるけれど、信じて任せてくれた人たちの想いに報いたいと、胸の前で拳を握る。

私はただ、相槌を打つだけだ。

彼女は時々、私の顔を伺うようにしながら、だけど饒舌に続けた。

元の世界には戻りたい。家族や友人がいる。彼らが恋しいと。

けれど、この世界にも同じくらいに大事な人ができたのだと、目に涙を溜めて言った。


「好きな人がいるんです」


囁くような声だった。

聖女様のその目が、ふと、彷徨うようにしてアルファド様の方を見から、思わず、その視線を追ってしまった。彼の顔を真正面から受け止めるのは随分と久しぶりだ。

こちらの声は聞こえていないのだろう。

不思議そうに顔を傾けて。彼は、ごくごく小さな笑みを浮かべる。


―――――ああ、そうだ。

彼は、こんな風に笑うのだった。


思い出して、すぐに目を閉じる。

その笑みは、私に向けられたものではないと知っていたから。


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