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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
※アルファド視点

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9

朝から嫌な予感がしていた。

遠くに見える空が黒く淀んで嫌な雰囲気を醸し出し、増した湿度が皮膚に纏わりつく。


そんな日にも、聖女は街へ下りると言ってきかなかった。そんな我がままも、事前にある程度予測されていたのか、とんとん拍子に事が運ぶ。

以前は、聖女が街に下りる度に皇宮へ申請を出していたがそれもいつの間にか省かれている。

本来なら、皇家をないがしろにするような行為は許されたことではない。

だが、殿下は静観することに決めたようだ。


『何か、起こりそうな予感がするんだよね』

聡い殿下は、何かを感じ取っていた。


―――――大神殿の近くに魔獣が出たという情報を得たのは、午後を過ぎてからだった。

それが事実であれば、聖女の祈りが必要となる。


「……でも、危ないんですよね?」


一刻も早く大神殿へ戻るべきだと、馬車を呼び戻そうとしていれば聖女が声を掛けてきた。不安そうに顔を顰めて、袖口を掴んでくる。

他の護衛が「俺たちが守るので大丈夫ですよ」と声を掛けても曇った顔色は戻らない。


「……私、戦えません。行っても邪魔になるだけじゃありませんか?」


戻りたくない、という意思を示すために、自分がいかに無力なのかということを並べ立ててくる。そんなことは関係ないと怒鳴りつけそうになれば、他の護衛に視線で制された。


「大丈夫ですよ、チヨリ」甘やかすように名前を呼んで、宥めるように頭を撫でる。

「貴女の祈りが必要です、チヨリ」

名前を呼んでと甘えるように言い募る彼女の希望通り、しつこいほどにその名を口にする。


想いが伴わなければ、ただの個体を示す記号でしかないその名前。

「花」とか「草」とか「土」とか、あるいは「机」とか「椅子」とか、物体を識別するためだけのものだ。

名を呼ぶたびに僅かに頬を紅潮させる少女に、自分にそれほどの想いを抱いてくれていると知っているのに、同情する気さえ起きなくなっている。


この国の為に、この世界の為に、彼女の全てを捨てさせたというのに。大事にすることはできそうだと思うのに、愛することはできそうもないと心が訴えてくる。


ごねる聖女を宥めすかして馬車に乗せれば、大神殿に近づくほどに漂ってくる不穏な空気。

馬車の中に居てさえ、吐き気を覚えそうなほどの血臭と悲鳴が入り込んでくる。

ぶるりと震えて頬を白くさせた聖女の背中を数回撫でた。

これほどの被害であれば、聖女不在の今、リディアが浄化に駆り出されているのは間違いない。

幾日か前に見た彼女の様子を思い出せば、背後から襲ってくるような悪い予感を拭うことができなかった。


あの前方に傾いていた体はもしかして、立ち上がることさえ困難だったからではないのか。

聖女候補が祈りを捧げても平然とした顔をしているのは、痛みに慣れているからだと殿下が言っていた。


だとすれば、あのとき、リディアは一体どれほどの痛みを抱えていたのだろうか。


『めったなことは考えてはいけないよ、アルファド』

何を見越していたのか、殿下がふとそんなことを言った。


だが、積み重なっていく『もしも』は俺を追い詰めようとしている。


「……アルファドさん、嫌です……! 嫌です、私、行きたくない……!」


泣き声を上げる聖女を引きずるようにして大聖堂に向かう。今はそんなことを言っている状況ではないことが彼女には伝わらない。

これまでだって言葉を尽くして、聖女という役目がいかに大切かを説明してきたつもりだった。それは自分だけではない。他の人間だって、恐らく彼女の教育係だったリディアだって教えてきたはずだ。それこそ必死になって伝えようとしてきたに違いない。


だけど、結局、聖女には伝わらなかったのだ。

育った環境が違うというのは、受けた教育が違うというのは、これほどに隔たりのある人間を作り出すものなのか。


「アルファドさん……!アルファドさん……!」


懇願するような声が悲鳴に変わっていく。もみ合っているように見えるだろう俺たちの姿に神殿侍女が顔色を失くしているが知ったことではなかった。


今、こうしている間にもリディアの命が消耗されているのだとしたら。

一分一秒でも無駄にすることはできない。


大聖堂から溢れた、浄化を待つ怪我人の間を縫うようにして走る。

追いかけてくる他の護衛が何か言っているが、この都合の良い耳には響かない。彼らが聖女の悲鳴を聞きつけて足止めしようとしているのは分かっている。


混乱を防ぐ為にと、定数を聖堂内に入れる度に閉ざされるその扉を蹴破って聖女を押し込めば、途端に上がる地鳴りのような歓声。それを耳にした聖女が、遅れてすみませんと殊勝に頭を下げている。さっきまでの抵抗なんてなかったかのように。


それでも、聖女は俺の名を呼んでいた。大勢の人間に囲まれて恐ろしいのだろう。


しかし、そんなことを気にしている場合ではない。

戸惑う聖女は置き去りに、聖堂の前方に視線を向ければ膝を付いて祈りを捧げるリディアが居た。小さな背中が小刻みに震えている。常にない状況に怯えているのか。もしくは悲しんでいるのか。


彼女の祝詞が、いつもとは違い消え入るような音で響いている。


かつては大聖堂そのものを震わせるかのような美しい声で歌っていた。

石造りの建物が歌声に震える空気に共鳴するように倍音を作り出す。一人で歌っているにも関わらず、まるで合唱を聞いているような心地にさせたものだ。それが……今のこの状況は何なのだ。


―――――おかしい。

明らかにおかしいのに、誰も彼女を気にかけない。


口々に「聖女様」「聖女様」と黒髪の異世界人に駆け寄る。


「……アルファドさん、行かないでっ……!」

視界の隅に、聖女がこちらに向かって手を伸ばすのが見えた。それを振り切って会衆席を飛び越えるようにしてリディアの元へと急ぐ。


「リディア……!」


確かに名前を呼んでいるはずなのに、彼女は気付かないまま歌い続けている。

聖女が来たのだから、もうやらなくて良い。そう言っているのに声が届かない。


その名を呼びながら怪我人さえも押しのけて前に進む。

リディア、リディア。

狂ったように何度も何度も呼び続けているのに届かない。祭壇の前に集まった重傷者と見られる怪我人とその付き添いが何事かとこちらを見やる。しかし、誰一人として、リディアに気を配っている者はいない。


なぜだ。

どうして、何で誰も彼女を助けない。


焦燥だけが募っていく。流行る心に呼応するように心臓がどくどくと音をたてていた。

怖い。

どうしようもなく怖い。

戦闘中でさえ感じたことのない想いに支配される。

やめてくれ。誰か、誰か、誰か。


後もう少しで彼女の肩に指が触れる。そう思ったとき、


―――――ガシャンッ!


何かが砕け散った音がした。

大聖堂に響き渡るような盛大な音だ。

天井のステンドグラスが落ちてきたのだと思えるほどに激しい音だった。次いで、きらきらと何かが降ってくるような儚い音がした。目には何も映っていないのに、耳はその音を拾っている。

辺りを見渡すものの、誰もその音に気付いた様子はない。

先ほどまでと何ら変わりない喧騒がそこにあるだけだ。異世界の聖女を讃える声は止まない。


再び視線を戻せば、音もなく倒れこむリディアの姿があった。


嘘だ、やめてくれ。


リディア、リディア、リディア……!


叫んでいたのか、言葉にもならなかったのかさえ分からない。形振り構わず、というのはまさしくこのことで、喘ぐような呼吸に気道が狭まることを実感しながら彼女の体を掴みあげれば、


―――――視界が、白く染まった。


それは、一瞬にして世界が滅んでしまったのだと思わせるような強烈な光だった。


聖女の小さな悲鳴を確かに聞いたと思うのだが、気のせいかもしれない。

ただ、掴んだリディアの腕を離さないように必死だった。

掴んだ腕は、体温がなく、弾力もなかった。だらりと下がった肉体は等身大の人形のようで。その冷たい感触はまるで、陶磁器かガラスを掴んでいるかのようだった。


国境騎士団に所属していたときに、この腕に抱いた騎士仲間の遺体に、よく、似ていた。


「リディアっ……!!」


心臓が、潰れる。



*

*



「神になるというのは、そういうことかもしれないね」


聖女の部屋でリディアが目覚めるのを待っていると殿下がぽつりと零す。

神官長は、必ず目を覚ますから大丈夫だと根拠もないのに確信しているようだった。


「聖女選定の儀を知っているよね?」

「ええ」

「ここ数代の聖女は無事に選定を終えたけれど、選定の一週間を終えて聖堂に入ると聖女候補が死んでいたってこともあったみたい」

「……は、」


唐突に知らされた真実に何を言えばいいか分からず、相槌さえも失敗してしまう。


「聖女が神格化されるっていうのは、一度死んで、生まれ直すっていうことなのかもしれないねぇ……」

生まれ直すことができなかった聖女候補が大聖堂の中で息絶えていたんだろうと思うよ、と組んだ足に肘を突いてぼんやりと遠くを見据える殿下が言う。

その横に立って、未だ眠り続けているリディアを見下ろせば、あまりに穏やかな様子なのでもしかして息をしていないかもしれないという不安が過ぎった。


殿下の許しも得ていないのに勝手に動いて、躊躇なく布団の中を探り彼女の腕を取り出す。

その体温にほっと息を吐きながら、力を失っている細い指を握りこんだ。


「―――――聖女召喚は、無駄なことだったのでしょうか?」


殿下は、相変わらず焦点の定まらない目で「さぁ」と素っ気無い返事をする。


「だけど、リディアを生かすという目的なら果たすことができたし、神殿への良い牽制にはなったかな」

「牽制、ですか?」

「神殿側は、聖女候補についての真実をひた隠しにしてきたんだよ。だけど、そのきな臭い雰囲気は皇宮側も気付いていたんだ。ただ「聖女」はどうしても必要だからね。闇雲に追及することは避けたかった」


神殿側も皇宮側も、聖女が必要だという点では同じ方向を向いてたのだ。

だからこそ、皇宮側も神殿内で何が起ころうとと口を挟むことはなかった。それが非人道的であろうと聖女候補が何人姿を消そうとあえてそれには触れてこなかったらしい。


「だけど、聖女をもしも皇宮側で輩出できるのだとすれば……?」

神殿でしか聖女を育てることができないとされていた、これまでの歴史が、覆る。


「僕が、聖女候補についての真実について気付いているということを神殿側に知らせる必要があった。実際、今回の聖女召喚とそれに纏わる事象で、それについてはうまくいったと思う」

秘密を握られていると思えば、万事において、神殿側は強く出られない。

いつそれが暴露されてしまうか分からないからだ。


「異世界から聖女を召喚することができるというのは、この国の聖女制度を覆すほどの出来事だったんだよ」

もう、やらないけどね。と疲れを滲ませて殿下は息を落とした。

大事なのは、開拓者であることだったのだと。


「それでは、貴方はまた一つ、この国の歴史を作ったというわけですね」


だが、それが全て、たった一人の少女の為だとすれば。

それほど恐ろしいことはない。


彼女は傾国を謡われるほどの美貌を誇っているわけではない。だが、この国の存亡に深く関わるだろう人間の心を掴んでいる。つまり、そこに彼女の意思など存在していなくとも、彼女の存在によってこの国の未来が大きく変わるということだ。


「僕はもう、何一つ失う気はないからね。アルファド、もちろん君のこともね」


どこまで理解していたのかは分からないが、俺の心の底など簡単に見抜いて掌握してしまう。


この方が味方で、本当に良かったと思う。

結果的に、リディアを失わずに済んだのだから。


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