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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ


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1

「聖女様がお通りよ、何て美しいのでしょう」


誰かの声に引きづられるようにしてそちらに目を向ければ、幾人かの護衛に囲まれた聖女様が歩いているのが見えた。

黒い髪に象牙色の肌。

この世界には見られない色合いが酷く目を引く。

彼女が纏っている聖女のドレスは、つい先日まで私も着ていたものと同じだ。薄布に混ざり合うように施されている銀糸の刺繍は、彼女を守る為に術が組んである。


かつて、あれは、私を守っていたものだった。


ひらひらと風になびくそれが眩しい。

背筋を伸ばして歩くその姿はまさに「聖女」の名に相応しく、彼女の黒い髪を飾る王家の紋章を示す赤い華は、他者に畏怖さえ与えるようだった。

赤と、黒。まさに強者の色である。


「それにしてもお似合いね。聖女様と護衛騎士のアルファド様は」

褒め言葉に併せて、誰かが感嘆の息を漏らす。

聖女様を見た人間は皆、必ずと言って良いほど彼女のことを「美しい」と褒めそやし、「聖女様とアルファド様はお似合いだ」と続けた。それがまるで一連の流れであるかのように。


元々は第一皇子殿下の側近であったアルファド様は、相当に腕がたつようで、既に十分と言えるほどの名声を得ていた。正騎士になるよりもずっと前から殿下に目を掛けられていたようだ。

それほどの逸材を聖女様の護衛に任命したのは、他でもない第一皇子殿下ご本人。これだけで、聖女様が我が国にとってどれほどに重要な人物かが分かるだろう。

そんな二人が並んで歩いていれば人目を引くのは必然と言えた。


アルファド様は、細身だけれどひ弱なわけではなく、よく見ればそのしなやかな肢体が無駄の無い筋肉に覆われているのが分かる。力よりも俊敏さを選んだ故の体格だ。元々、鍛えても筋肉がつきにくい体質らしく、それならばいっそのこと俊敏さに特化した肉体を作ろうと思ったようだった。

―――――昔、そう言っていたのを聞いたことがある。

鍛錬のほとんどを、剣の腕を磨くことに費やしたのだ、と。現在では、剣の腕において彼の右に出る者はいないと言われている。

しかも彼の生まれた家は言わずと知れた名家であり、すなわち爵位持ちだ。

彼自身も金髪に碧眼という王族によく見られる色彩を持ち、直系ではないものの系譜を辿れば降嫁した姫君の名が出てくるのではないかと言われている。それを証明するかのように、騎士と言う武骨な職業でありながらさりげない仕草にも品があり、王子様もかくやという立ち振る舞いをする。

その姿は喋らずとも人目を引いた。

つまり、彼は、国中の女性たちの憧れの的なのである。


そんなアルファド様は、かつて私の婚約者でもあった。


もしも、異世界からの聖女召喚が果たされておらず、私がそのまま役目を果たしていたなら、私たちは結婚しているはずだったのだ。

私だって、つい数ヶ月前までは、この国にとっての重要人物だったといえる。

絶対に失ってはならないとされた今代最後の聖女候補であったので、当然のごとく護衛も付いていた。アルファド様とは別の男性ではあったが、それでも第一皇子殿下が自ら選出された実力者だった。だからこそ、大切にされていた自覚はある。

平民出の私がアルファド様と婚約することになったのも、私が聖女候補だったからに他ならない。今となっては失った立場であるけれど、聖女候補というのはそれほどのものだった。


けれど。

それも今となってはただの夢物語だった気がする。

彼は今、聖女様の少し後ろに立って、彼女の後姿を一心に見つめているのだから。

神殿内であれば、己の元婚約者、つまり私に遭遇する可能性もあるというのに、その目は正直すぎるほどに、彼女が好きだと訴えている。


私は、彼にあんな目で見られたことなどない。

思わず、両手で持ち上げた洗濯籠に視線を落とした。


指先が白く染まって、そしてまた、人差し指がぱきりと音を立てた。


**



子供の頃、空を翔る虹色の雲を見た。

それが、全ての始まりだった。


私が生まれた村は「貧しい」なんて表現が優しく聞こえてしまうほどに貧窮していた。

痩せた土地では作物を育てられず、当然お金もなく食料を手に入れることができない。

若い男たちは職を求めて村から出たまま帰ってくることはなく、つまり、働き手がなかった。女子供にできることと言えば、布を織るくらいではあったが、その原材料が手に入らない。

その内に、手っ取り早く金銭を手に入れる方法として、子供が売られ始めた。


そして、そんな村に生まれた私は八人兄弟の末っ子で、まさに穀潰しであった。

村では、人手が足りないからと次々に子供を産ませていたけれど、そうやって増えていく人数を賄うだけの食糧はない。金銭を得るには人手が必要で、しかし、増えた分を養うことはできなかった。子供たちはそれなりに成長するまでは、その名の通り役立たずだったのである。

人買いに売れるほどの年齢まで育つことが待ちきれず、人知れず間引かれることもあったくらいだ。

私はまさしくそのクチで。

あの雲を見るのがもう少し遅ければ、確実に、親か兄弟の手によって殺されていただろう。


幼い私の小さな指が、空の一辺を差して「色がいっぱい」と口にしたときの光景を忘れることはできない。母親は声を上げて泣き伏し、父親はただ呆然とその姿を眺めていた。兄弟たちは何事か分からずに眉を顰め、じっとこちらを見据えていた。

たまたま近くにいた村長が、老いて細くなった震える足を叱咤して、

「伝令を出せ!天啓だ!」と叫んだのを覚えている。

それから、あれよあれよという間に村を出されて、神殿に引き取られたのだ。


あの村には、私の身柄を引き渡す変わりに多額の金銭が入ったらしい。それはいわゆる報奨金と呼ばれるもので。つまり、私はまるで犯罪者のように村を出された。

自身と金銭が引き換えにされたことなど、当事者である私は何も知らず。

全ての物事を理解するにはあまりに幼かった私。いつもより少しだけ活気に溢れた村を不思議な気分で眺めていた。

いつもと違って、皆、嬉しそうだって。


そんな風に、私はこの国の聖女候補となったのだ。


自分の正確な年は分からないが、神殿に入った当初は五つにも満たない年齢だったと思われる。誰かがそう言っていたから、そうなのだろう。他にも居た聖女候補の中でも群を抜いて幼かった。

聞いたところによると、あの日、私が空を指差したそのときに、聖女候補の全員が空を翔る虹色の雲を見ていたようだ。

そして、その全員が、聖女候補として神殿に招かれたのだと聞く。

あの雲を見ておきながら、虹色の雲を見たのだと口に出していない者が他にも居るのではないかとは思ったのだが、あれを見て「あの雲を見た」と口に出すその行為こそが天啓なのだという。目撃しただけでは、聖女候補になれないようだ。更に、見てもいないのに見たと口にした場合は、天罰が下るのだと聞く。

どんな天罰かは知らないし、結局のところどうなっているのかはよく分からない。

だけど私は、そんなことに興味を抱かなかったし知りたくもなかった。


ともかく、そうやって神殿に入ることになった私の日々は、聖女教育と修行と修練に費やされることになったのだ。

ところが、聖女候補というのはただの「候補」であって、聖女ではない。

単に聖女になれる素養があるというだけで、つまり聖女候補の全員が皆、聖女になれるわけではなかった。全ては修行による成果だと言える。

ゆえに私は、十数年に及ぶ長い期間、修行に明け暮れることとなった。


神殿に入ったときに他の候補者よりも幼かった分だけ、長い時間を修行に割くことになったのだ。


「貴女も惨めなことでしょう。あれほどに辛い修行に明け暮れておきながら、その座を、異世界人の聖女様に奪われたのですから。かの方は、修行することもなく、聖女になられた」

ばしゃばしゃと洗濯物を洗っていると、神殿に住まう女官が話しかけてくる。手伝いましょうか、と問われて、首を振るだけに留まった。

「つい先日まで、聖女候補だったというのに何とも悲しい姿ではないですか」

洗った衣類の水気を絞り洗濯籠に移していく私をただ眺めている女官が眉をしかめる。

何が言いたいのか分からずに首を傾いでいると、

「聖女様が憎くはありませんか。婚約者まで奪われて」と窺うようにじっとこちらを見据えてきた。

その緑色の目を見て思い出す。


この人は、聖女様付きの女官だ。一緒に歩いているところや談笑しているのを見たことがある。

要するに、彼女は私の味方ではない。

私が聖女様に害をなす者なのか見極める為に、わざわざここまで足を運んだのだろう。本物の聖女が現れてお払い箱となった私が、復讐でも企てているのではないかと。


「……私も見くびられたものです」


息をそっと吐き出しながら答える。

彼女は「え?」と間の抜けた顔をした。


「私はこれまで、ただ、国の為に生きてきました。これからもそうするだけです。聖女候補としては出来損ないとして終わったかもしれませんが、そんな愚かな私にも、この国にとって何が一番大切な事なのか分かっています。私は国と神殿の決定に従うだけです」


その上で、自分が惨めなのかどうかは自分で決めます。と笑みを作る。

それくらいの矜持はあるのだと、そういうつもりで告げた。

すると女官は一瞬息を詰めて、それから「申し訳ありません」と頭を下げる。

突然のことに返事もできず、その後頭部を眺めたまま固まっていると、再び顔を上げた彼女は少しだけ口元を歪めていた。

今にも泣き出しそうに。

「聖女様の教育係として、貴女の名前が挙がっているのです」

女官は、意を決したように唇をぎゅっと引き締める。

しかしその目は未だに滲んでおり、眼球も惑うように揺れていた。

「元聖女候補様であれば、聖女たるものの在り方を教えるのに相応しいのではないかと神官長はお考えのようで」

私は反対したのです、とぽつりと付け加える。

それはそうだろう。

大事に大事にしている聖女様に、ほんの僅かで害を成すかもしれない人間が、教育係なんて笑えない冗談だ。

「女官様、私から神官長に進言いたしましょう。貴女様が案じていることもよく分かります」

洗濯籠を持ち上げながら言えば、

「いいえ、それには及びません。やはり、神官長様の言うとおりですわ。不躾に、申し訳ありませんでした」ともう一度、頭を下げた。

「教育係に相応しいのは貴女以外にはいないでしょう」

それは既に決定事項なのだというように女官はもっと深く頭を下げる。


彼女が何を考えているかは分からないが、そのいかにも力仕事など知らなそうな手の甲には血管が浮き、何かを耐え忍んでいるかのようにも見えた。

言葉とは裏腹に、やはり納得がいっていないのではないかと思う。


しかし、―――――元より私には選択肢などない。

できるのは、せいぜい神官長に考え直すように促すことだけだ。それでも、大抵の場合、私の言葉は物の見事に聞き流される。始めから何も発言していなかったかのように。

結局、女官のきっちりと結われた髪から、はらりと一房落ちるのをしっかり見るほどに時間を置いて、「全ては神官長がお決めになることですから」とほほ笑みを返した。




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