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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
※リディア視点

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16


一方通行だったんだよ、と殿下は薄い笑みを浮かべる。


あの後、あの廊下で何が起こったのかと言えば、―――――何も起こらなかった。

寸でのところで聖女様は、アルファド様にその小さな身柄を拘束されたのだ。


彼女は彼の腕の中で、生まれたての赤ん坊がこの世に生れ落ちたことを憎むかのように、あるいは初めての呼吸が苦しくて仕方ないというかのように、泣き叫んだ。


「嘘つき…!! 嘘つき!! 守るって言ったじゃない……!! 私のことを、守るって……!!」


拘束から抜け出そうと、両手を振り回し半身をのけぞらせて悲鳴を上げる彼女に、誰も何も言えなかった。

聡明だったはずの聖女様は見る影もなく。だからこそ、彼女がこれまでどれだけ我慢してきたのかが分かる。

彼女が握り締めていたのはガラスの破片で、護衛騎士いわく、廊下の窓を割ったのだという話だった。


血に濡れたその小さな手で、だけどその破片を離すまいとしている姿に、ただ言葉を失った。

誰のせいなのかと問われれば、きっとその場に居る全員のせいで。

彼女を被害者とするなら、私たちは全員、加害者だった。

異世界に還されたと聞く彼女が未だこの世界に留まっている理由は知らなかったけれど、そもそも召喚さえしなければこんなことにはならなかった。それだけは私にもはっきりと分かった。


結局のところ、あの場を制したのは遅れて現われた神官長だ。


「……だから、言ったのですよ」と深い深い息を吐きだし、こうなることを予想していたのだろう。終始、冷静に振舞っていた。


暴れていた彼女も神官長の持つ静謐な雰囲気に圧倒されたのか、一瞬、勢いを弱め、その隙をついて神官長が彼女の意識を落とした。

騎士が実戦で用いる技だというが、力加減を間違うと命を奪いかねない危険なものでもある。

子供のような体格の聖女様に、まさしく騎士であるアルファド様やもう一人の騎士がそれをやるのはさすがに憚れたようだ。


ことりと落ちるように眠った聖女様は、興奮で赤く染まった頬になおも涙を散らしていた。


「奥に連れて行ってあげてください」という神官長はとても苦い顔をしていたと思う。

それに肯いた殿下のもう一人の騎士は宝物にでも触れるかのように恭しく聖女様を引き取った。彼女を傷つけまいとしているのが分かるその仕草。彼がどれほど黒髪の少女を大事にしているかが分かるようだった。


しかし、その騎士に「二度目はありませんよ」と神官長が厳しく言い含める。

神殿内での騒動はご法度だ。ここは神の領域であるから刃傷沙汰などもってのほかである。

「不徳のいたすところです……申し訳ありません」と頭を下げた彼はきつく眉根を寄せていた。そして身を寄せるように聖女様の体を抱きなおして、再び神殿の奥へと消えた。


その後ろ姿を見ながら、神官長は「全ての出来事がうまくいくなんて、有り得ないのでしょうね」と呟く。誰かに問いかけているようでありながら、既に答えを知っているかのような物言いは、誰の返事も必要としていなかった。

そして、しんと静まり返った廊下を静かに歩いていく。数歩進んだところで立ち止り、ほんの僅かに声を張り上げて言った。


「……もう、隠し立てはできないのでありませんか」


誰も居ないと思われる空間に投げられた声は、予想外にも答えを寄越した。

「気付いていたのか」

柱の影から現われたのは第一皇子殿下だ。一体、いつからそこに居たのだろう。

隠れていたにも関わらず、困ったように笑うだけで罪悪感など皆無だ。


「……廊下でする話ではないからなぁ。神官長の部屋でも借りようか」そう言いながら、既に歩き出している。神官長が呆れたように息を吐き、アルファド様が私の手を引く。

見上げた彼の横顔だけが張り詰めて見えたのは、気のせいだろうか。


「アルファドとリディアはそこ、神官長はそこね」と、先ほどとは違う部屋に通されて戸惑っていれば、まるで自分の部屋であるかのように振舞う殿下に座る場所まで指示を出される。

本棚と、四脚の椅子が囲う丸テーブル、部屋の隅には文机が置かれているその部屋はまるで生活臭のしない簡素な部屋だった。

奥にもう一つ扉があるので、その向こうが寝室になっているのだろう。

神官長は己の部屋だろうに不満を漏らすこともなくするりと椅子に腰掛けた。


「ほらほら、二人も。早く座って」


ごくごく軽い口調でそう言う殿下には、これから重要な話をするのだという気負いも緊張感も見えない。只世間話をするかのような気軽さだ。

実際、彼にとっては然程重要な話ではないのかもしれなかった。

それほどの傲慢さが皇族だといえるし、それこそが皇族たる所以かもしれなかった。有る意味、残酷で冷徹だからこそ一つの国を動かすほどの英断を下せるのだろう。


そんな非情とも言われる決断で何度もこの国を救ってきた。


「……つまり、あの子は異世界に還ったわけではないということだね」と切り出したのやはり殿下だ。


「一つ先に言っておくけれど、僕はこのことを知らなかったんだよ」

だから僕はリディアに嘘を吐いたわけではないんだよ、と念を押すようにしてこちらに顔を向ける。

「……しかし、お気づきだったはずです。私が何度も面会の打診をしたことを…知らなかったとは言わせませんよ」と、神官長が強い口調で言い募った。

先ほどの出来事で気がたっているのかもしれない。

それに対して殿下は、「まぁ、異世界からの召喚があれほど大規模だったことを思えば、送還するのも楽ではないことくらいは気付いていたかもしれないよね」と自分のことだというのに、他人事のような口ぶりで笑う。


「殿下……」どことなく苦い顔をしながら呆れたようにその名を呼ぶのは神官長だ。

「僕はね、最初からあの子を故郷に還すつもりもなかったから召喚する方法しか調べなかったんだ」

ね、アルファドと、腹心の部下に目を移せば「……父は召喚術の権威ですから」と言葉を濁す。

召喚術、―――――それはつまり異界から一方的に何かを呼び出すことを示していた。

「それはつまり……還す方法が、ない、ということでしょうか?」

四人の中で、事態を把握できていないのは私だけだ。確認も含めて問う。

「……でも、」神官長が魔法陣を描いて彼女を異世界に送還したのでは。と口に出そうとして、しかし、彼女がここにいるということは、そうならなかったのだという結論に至る。

わざわざ聞くまでもない。

広い部屋に沈黙が落ちる。途中まで言いかけて黙り込んでいる私の次の言葉を待っているようだ。


「……聖女様は、もう、聖女ではないのですか、」

やっと搾り出した声は掠れていた。


聖女は一世代に一人だけ。それがこの国の暗黙の了解だ。

長い歴史を顧みても、聖女が複数存在していたことない。

「それなのに、なぜ」戻れないのか、という声が唇の中で消える。支離滅裂だ。

であるにも関わらず、私の言いたいことは皆に伝わっているようだ。


殿下はうんうんと頷き、静かに語りだしたのは神官長である。

「あの魔法陣はそもそも、彼女を異世界に送還するものではないんだ。彼女から聖女の力を引き剥がす為の陣だったんだよ」

聖女の力を、引き剥がす。

よっぽど奇妙な顔をしていたのだろう。アルファド様が僅かに体を傾いで心配そうにこちらを見ている。でも、大丈夫だと微笑もうとして失敗した。


「結果として、聖女の力を神にお還しするのには成功した。あの場に居た怪我人の浄化がなされたのも、力が移管する際の副産物だと……考えています」


前半は私に、後半は殿下に対しての説明なのだろう。

神官長はゆっくりと全員を見渡す。

「そして、陣を踏んだときに彼女が姿を消したのはただ単に大神殿の奥に転移したからです」

聖女の力を失いただの少女になったというのを周囲に説明するのはなかなかに骨の折れる作業になると見込んだ。だからこそ、なるべく大勢の人間が居るまえで彼女の存在を消して見せることが必要だった。

異世界の聖女なのだから、異世界に還ったと説明するのが一番良い。何より、彼女に心酔している様子だった侍女侍従にはそう言った方が良いような気がした。


「もしも、彼女が聖女の力を失ったということが知られれば厄介なことになると思ったのです」


誰かの陰謀だと騒ぎ出す人間が現れるに違いない。そして、聖女の代役を務めていた私に矛先が向くだろうことを案じたのだと。

神官長はそう説明する。

そして、それが全てだとも。


聖女は異世界に還ってなんかいかなかった。

それどころか聖女の力を失い、ただの少女としてこの地に残された。信頼していたはずの侍女や侍従にはもう会えない。だって彼らは、彼女がまさかここに残っているなんて知りもしないのだから。

「だけど、その力がまさか君に発現するとは思っていなかった。そうなることを期待したけれど、まさか本当にそうなるとは思っていなかった」

酷く紳士な眼差しでこちらを見つめる神官長が何を期待しているのか分からない。聖女様のあの錯乱ぶりを目にしていれば尚、私の為にそうしたのだろうことが分かっていて「ありがとう」と言うことは阻まれた。


「君があの……異世界の聖女様の代役を務めるというのはあくまでも建前の話だった。君を大神殿に残す為にそう言ったに過ぎない。恐らく周りの人間は私が許可を出したのだと説明したのだろうが、そんなことは知らなかった」

だから、これ以上君に祈りを続けさせるにはいかなかったのだと視線を落とす。


神官長という役職なら、神殿内でもかなりの発言力があるはずだが、それをもってしても彼の思惑通りにはいかなかったということだ。きっと彼よりも上の役職の人間が口出ししていたのだろう。

「……」

「彼女がいなくなれば、新たな天啓が下る。そうなれば再びこの地に聖女候補が集まることになる」

君はこの先、祈る必要がなくなるはずだったんだ。と神官長は続けた。

元々ヒビ割れだらけだった私の体は祈りを重ねるごとにばらばらに崩れていくような感覚があった。

祈ることを止めたとしても然程、長くは生きられなかっただろう。

ヒビ割れとは良く言ったもので。何もしていなくとも、亀裂は大きくなる。まさしく、陶器が砕けるその瞬間のように。


「君を生涯、神殿で預かる算段をしていた。新たに聖女候補を集めた場合も世話人として残ってもらおうと」


神官長が一体どれほど先を見据えていたのかは分からないけれど、祈りを止めたところで大して生き延びることはできなかっただろう。それでも、私を生かそうとしていた。

「そもそも私には彼女を異世界に戻すほどの力はないよ」

力なく笑った神官長は知り合いの魔術師と何度も協議を重ねてあの陣を作ったのだと言った。


それはつまり、だいぶ前から計画をたてていたということだ。


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