第6話「辞表という名の爆弾」
限界だった。
俺の労働環境のことではない。王城の平穏が、だ。
王子たちの俺に対する執着は日増しにエスカレートし、業務に支障が出るレベルに達していた。
テオドールは執務室に俺専用の机(俺の仕事とは関係ない場所)を設置しようとし、レオナルドは俺を遠征に連れて行こうと画策し、ウィリアムに至っては俺の髪の毛を入手して何か魔術的な実験をしようとしていた。
そして極めつけは、昨日の事件だ。
他国の外交官が俺に色目を使った瞬間、三人の王子が結託してその外交官を社会的に抹殺しようとしたのだ。
国際問題になりかけた。
俺が裏で奔走し、なんとか事なきを得たが、これ以上は危険だ。
俺の存在が、この国のリスク要因になっている。
『辞めよう』
俺は決意した。
俺はただのベータだ。代わりはいくらでもいる。
田舎に引っ込んで、野菜でも育てながら静かに暮らそう。
深夜、俺は自室で辞表をしたためた。
理由は「一身上の都合」。完璧な書式だ。
これを明日の朝、執事長に提出し、そのまま姿を消す。
荷造りは最小限に済ませた。愛用の万年筆と、少しの貯金があればいい。
翌朝。
いつものように三人の王子への挨拶回り……はせず、俺は直接執事長の部屋へ向かった。
しかし、廊下ですれ違う人々の様子がおかしい。
みんなが俺を見て、悲鳴を上げそうな顔をしている。
「ルシアンさん! だ、ダメです! 行かないで!」
顔見知りのメイドが泣きついてきた。
「どうした?」
「で、殿下たちが……朝から大広間に集まって、ルシアンさんを探していて……」
嫌な予感がした。
俺は足を速める。
大広間の扉の前には、重厚な鎧を着た近衛騎士たちがバリケードを築いていた。
その奥から、地響きのような唸り声が聞こえる。
「ルシアンはどこだ!」
「まさか逃げたわけではないだろうな!?」
「城中の出口を封鎖しろ! 鼠一匹逃がすな!」
テオドール、レオナルド、ウィリアムの声だ。
どうやら俺がいつもの時間にコーヒーを淹れに行かなかっただけで、緊急事態宣言が発令されたらしい。
過保護にも程がある。
「……ここを通してください」
俺は騎士たちに声をかけた。
「ルシアン殿! 来てくれたのか!」
騎士たちが海が割れるように道を開ける。彼らの目には涙が浮かんでいた。救世主を見る目だ。
大広間に足を踏み入れると、そこは地獄絵図だった。
椅子はなぎ倒され、タペストリーは引き裂かれている。
三人の王子は、フェロモン全開で殺気立っていた。
俺の姿を認めた瞬間、三人の動きがピタリと止まる。
「ルシアン……」
三つの影が、瞬時に俺に迫った。
逃げる間もない。
気付けば俺は、三人に囲まれていた。
「どこへ行っていた?」
テオドールが俺の肩を掴む。手が震えている。
「遅いぞ。腹が減った」
レオナルドが俺の匂いを嗅ぐ。
「……逃げようなどとは考えていませんよね?」
ウィリアムが俺のポケットを探る。
そして、彼の指先が、俺の懐にあった「白い封筒」に触れた。
空気が凍りついた。
ウィリアムがそれを引き抜く。
表書きには『辞表』の文字。
「……これは、なんだ?」
ウィリアムの声が、絶対零度まで下がった。
テオドールとレオナルドの視線が、封筒に釘付けになる。
俺は覚悟を決めて口を開いた。
「退職願です。これ以上、皆様のお役に立てそうにありませんので」
沈黙。
長い、長い沈黙の後。
バリッ、という音が響いた。
テオドールが辞表をひったくり、粉々に引き裂いたのだ。
「認めん」
短く、しかし絶対的な拒絶だった。




