第8話「黒魔術師クロウの詩」
朝の図書館は静かだった。クロウ・アッシュフォードは高い書架の間を歩きながら、この静寂を愛していた。
彼は一冊の本を手に取る。革の装丁、褪せた金文字。『アルディス王国建国史』――そう書かれている。
クロウは窓際の席に座り、本を開いた。
この世界は、美しい。
彼はそう思う。古い本の匂い、静かな図書館、窓から差し込む朝の光。全てが、地球にはない独特の雰囲気を持っている。
魔法が存在する世界。剣と魔法の世界。ファンタジーの世界。
クロウは、この世界に来たことを――最初は喜んでいた。
しかし。
彼は本のページをめくりながら、心の中で問いかけた。
これは...正しいのか?
本には、英雄の物語が記されている。魔物を倒し、民を守り、国を救った英雄たち。彼らは称賛され、語り継がれている。
では、俺たちは?
クロウの脳裏に、記憶が蘇る。
村が吹き飛ぶ光景。ハルの魔法で、家々が崩壊する。
街が壊滅する瞬間。フェルナンドの惨劇。死者の数。
城壁の崩壊。レンの拳で、国の守りが砕ける。
俺たちは――英雄なのか?
「勇者様」
声に驚いて顔を上げると、図書館の司書である老人が立っていた。白い髭を蓄えた穏やかな顔の老人は、優しく微笑んでいる。
「何かお探しですか?」
クロウは少し考え、そして答えた。
「...『英雄』について、書かれた本を」
老人は頷き、書架の奥に向かった。やがて戻ってきた時、彼の手には分厚い本があった。
「こちらをどうぞ。古代から現代まで、様々な英雄の物語が記されております」
「ありがとう」
クロウはその本を受け取った。老人が去った後、彼はページを開く。
そこには、数々の英雄の物語があった。竜を倒した騎士、魔王を封印した魔法使い、国を救った王。
彼らに共通することは――民を守った、ということだ。
民を守る。
その言葉が、クロウの心に引っかかった。
では、俺たちは?
俺たちは、民を守っているのか?
答えは――。
クロウは本を閉じた。
昼、クロウは勇者たちの部屋に戻った。扉を開けると、ハル、レン、ミカの三人が部屋でくつろいでいる。
ハルはベッドに寝転がり、天井を見ていた。
「今日、何する?暇だな」
レンは窓際で腕立て伏せをしている。
「また訓練?城壁もう一個壊す?」
ミカはソファで目を閉じていた。
「だるい。寝てたい」
クロウは、彼らを見た。
仲間だ。異世界に一緒に召喚された、同じ境遇の仲間。
しかし――。
「なあ、俺たち...」
クロウの声に、三人が振り向いた。
「お、クロウ。どうした?」
ハルが体を起こす。クロウは言葉を選びながら続けた。
「俺たち、本当にこれでいいのか?」
「何が?」
ハルが首を傾げた。クロウは深く息を吸う。
「村を壊して、街を壊して...」
レンが腕立て伏せを止めた。
「でも魔物倒したじゃん」
「そうだけど...その過程で、人が死んでる」
ミカが目を開けた。
「てか、何が問題?」
クロウは、三人を見つめた。彼らの目には――疑問がない。罪悪感もない。ただ、純粋な困惑だけがある。
「人が...死んでるんだぞ」
クロウは繰り返した。ハルが立ち上がり、クロウの肩に手を置いた。
「クロウ、お前また難しく考えすぎだって」
「そうそう。気にしすぎ」
レンが笑った。ミカはまた目を閉じる。
「てか、俺たち悪いことしてないし」
ハルが続けた。
「気楽にいこうぜ」
クロウは――何も言えなくなった。
彼らには、伝わらない。
いや、伝わらないのではない。そもそも、問題だと思っていないのだ。
クロウは部屋を出た。
廊下に一人立ち、彼は壁に手をついた。
仲間は、気づかない。
その事実が、彼の胸を締め付けた。
午後、クロウは城下町を歩いていた。
特に目的があるわけではない。ただ、部屋にいたくなかった。仲間といたくなかった。
広場を通りかかった時、人々が集まっているのが見えた。中央には吟遊詩人が立っており、リュートを奏でながら歌っている。
クロウは足を止めた。
「聞け、勇者の物語を!」
詩人の声が響く。
「勇者ハルは、死者を蘇らせ!」
民衆が歓声を上げた。クロウは眉をひそめる。そんなこと、していない。
「勇者レンは、山を砕き!」
また歓声。それも、やっていない。いや、城壁は壊したが――。
「勇者ミカは、天候を操る!」
さらに大きな歓声。クロウは、複雑な表情でそれを見ていた。
全て、嘘だ。民衆が作り上げた、虚構の物語だ。
詩人の歌が終わり、拍手が響いた。クロウは人混みをかき分け、前に出た。
「あ、勇者様だ!」
誰かが叫んだ。一斉に、視線がクロウに集まる。
「勇者クロウ様!」
「本物だ!」
民衆が歓声を上げた。クロウは、彼らを見回した。
そして――口を開いた。
「...俺も、詩を詠んでいいか?」
広場が静まり返った。次の瞬間、爆発的な歓声が上がる。
「勇者様の詩!」
「聞かせてください!」
クロウは中央に立った。民衆が彼を囲む。期待に満ちた目が、彼を見つめている。
クロウは目を閉じた。
そして、語り始めた。
「光は闇を照らすというが――」
クロウの声が、広場に響いた。
「闇もまた、光を映す鏡」
民衆は静かに耳を傾けている。クロウは続けた。
「英雄は剣を振るうというが――」
「その刃は、誰を傷つける?」
「星は空に輝くというが――」
「地に落ちた星を、誰が拾う?」
クロウの詩は、抽象的だった。しかし、その意味は明確だ。
光――それは勇者たちだ。
闇――それは彼らが破壊したものだ。
英雄の剣――それは力だ。
誰を傷つける?――民を、だ。
地に落ちた星――それは犠牲者だ。
誰が拾う?――誰も、拾わない。
クロウは、詩という形で警告していた。
民衆よ、目を覚ませ。
勇者は、お前たちが思うような存在ではない。
しかし――。
詩が終わると、静寂が訪れた。
そして。
「深い...!」
一人の男が叫んだ。
「勇者様の叡智だ!」
「なんという深遠な教え!」
民衆が口々に言い始めた。クロウは、その反応を呆然と見ていた。
「光と闇の調和...これは神の教えだ」
「英雄の剣は魔王を傷つける、という意味ですね!」
「地に落ちた星――それは我ら民のこと。勇者様が拾ってくださる!」
違う。
クロウは心の中で叫んだ。
そうじゃない。
全く、逆だ。
しかし、民衆は勝手に解釈し、称賛している。クロウの警告は――全く届いていない。
いや、届いているが、曲解されている。
クロウは、群衆から離れた。
足早に広場を出ようとした時、一人の老人が彼の前に立った。
「勇者様」
老人は深く頭を下げた。
「貴方の詩、分かりますよ」
クロウは立ち止まった。
本当か?
この人は、理解しているのか?
「本当か?」
クロウは思わず尋ねた。老人は頷く。
「はい。勇者様は、深遠なる真理を語っておられる」
クロウの心に、小さな希望が灯った。
「我らは光であり、魔王は闇。しかし闇があるから光が輝く」
その言葉を聞いた瞬間、希望は消えた。
「英雄の剣は魔王を傷つけ、地に落ちた星――それは魔王のこと。勇者様が倒してくださる」
クロウは――何も言えなかった。
やはり、誰も理解していない。
民衆は、理解しない。
理解したくないのだ。
クロウは老人に礼を言い、その場を去った。
夕刻、クロウは勇者神殿を訪れていた。
中に入ると、広い空間が広がっている。天井は高く、ステンドグラスから色とりどりの光が差し込んでいた。
そして、中央には――。
像がある。
勇者たちの像だ。
ハル、レン、ミカ、そしてクロウ。四人の像が、荘厳に立っている。
クロウは、自分の像を見上げた。
石で作られた自分は、誇らしげに前を見据えている。まるで、英雄のように。
しかし、本物の自分は――。
「クロウ様」
声に振り向くと、王女フィリアが立っていた。彼女は純白のドレスを着ており、まるで聖女のようだ。
「...王女」
「先ほどの詩、素晴らしかったです」
フィリアは微笑んだ。
「噂で聞きました。深い叡智に満ちた、神の言葉だと」
「...ありがとう」
クロウは形式的に答えた。フィリアは像の前に立つ。
「貴方様は、四人の中で最も深い方」
「神の御心を、最も理解しておられる」
クロウは、その言葉を聞いて――言った。
「俺は...神じゃない」
フィリアは振り向いた。その目には、純粋な信仰の光がある。
「謙虚でいらっしゃる」
クロウは、王女を見つめた。
そして、尋ねた。
「王女、俺たちが本当に正しいと思うか?」
フィリアは微笑んだまま答えた。
「もちろんです。勇者様は全て正しい」
「でも、村が壊れて、人が死んで――」
「それは、神の試練です」
フィリアはきっぱりと言った。
「全ては、より良い未来のため」
クロウは、王女の目を見た。
そこには――理性がなかった。
信仰という名の盲目が、彼女の目を覆っている。
クロウは、何も言えなくなった。
「では、私は祈りの時間ですので」
フィリアは深く礼をし、祭壇に向かった。
クロウは、一人神殿に残された。
像を見上げる。
石で作られた自分は、何も語らない。
ただ、前を見据えているだけだ。
クロウは、神殿を出た。
深夜、クロウは王城の屋上に立っていた。
ここは誰も来ない場所だ。見張りもいない。ただ、夜空と――自分だけ。
城下町を見下ろす。
神殿が、松明に照らされて輝いている。その前では、今も人々が祈りを捧げているのが見えた。
クロウは、夜空を見上げた。
星が、無数に輝いている。
地球とは違う星座。見たこともない配置。
しかし――美しい。
クロウは、静かに呟いた。
「俺は、間違っているのか?」
夜風が吹く。
「それとも、世界が間違っているのか?」
答えは、返ってこない。
クロウは目を閉じた。
仲間は、気づかない。
ハルは、自分が何をしているのか理解していない。
レンは、破壊を楽しんでいる。
ミカは、何も気にしていない。
民は、理解しない。
クロウの詩は、誤解された。
警告は、称賛に変わった。
真実は、虚構に埋もれた。
王女は、盲目だ。
信仰という名の狂気が、彼女を支配している。
理性は、失われた。
ならば――俺は、何者だ?
クロウは目を開けた。
星が、変わらず輝いている。
「俺は...」
彼は呟いた。
「...何もできない」
その言葉と共に、クロウは座り込んだ。
石の床は冷たく、夜風は肌を刺す。しかし、クロウはそこに座り続けた。
詩人は、ただ見るだけだ。語るだけだ。そして――誰にも届かない。
それが、俺の役割なのか?クロウは膝を抱えた。仲間の中で、唯一気づいている。
しかし、唯一何もできない。それが――俺だ。風が、さらに強く吹いた。クロウの黒いマントが、風に揺れる。
彼は、夜空を見上げ続けた。星よ。お前たちは、何を見ている?この世界を。この狂気を。この――終わりゆく物語を。
クロウは、静かに詩を呟いた。誰も聞いていない詩を。誰にも届かない詩を。
「光は闇を照らすというが――」
「闇もまた、光を飲み込む」
「英雄は剣を振るうというが――」
「その刃は、いつか自らを傷つける」
「詩人は言葉を紡ぐというが――」
「その言葉は、風に消える」
クロウは立ち上がった。城下の神殿を見下ろす。
輝く光。祈る人々。そして――自分の像。
石で作られた英雄は、誇らしげに立っている。
しかし、本物は――。
「俺は...ただの道化だ」
クロウは呟いた。そして、屋上を後にした。
夜空には、星が輝き続けている。変わらず、美しく。しかし――。その光の下で。世界は、静かに壊れていった。
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