第7話「格闘家レンの訓練で城壁崩壊」
朝の訓練場に、破壊の音が響いていた。騎士エドワード・フィンレイは訓練場の端に立ち、その光景を見つめている。
勇者レンが、訓練用の木人形を殴っていた。一撃ごとに、木人形が粉砕される。破片が宙を舞い、地面に散らばる。
「つまんねー!」
レンが叫んだ。彼は次の木人形に向かい、拳を振るう。轟音と共に、木人形が爆散した。
「もっと強い奴と戦いたい!」
エドワードは、その様子を黙って見ていた。フェルナンド街での惨劇以来、彼はレンを警戒している。いや、警戒というより――恐れている。
レンはふと動きを止め、訓練場の奥を見た。そこには城壁がそびえている。王都を守る、堅固な石の壁だ。
「なあ」
レンがエドワードに声をかけた。エドワードは緊張する。
「はい」
「あの壁、俺の力で壊せるかな?」
エドワードは息を飲んだ。城壁――それは王都の防衛の要だ。数百年の歴史を持ち、幾度もの戦争を耐え抜いてきた。
「勇者殿、それは――」
エドワードが言いかけたとき、レンは目を輝かせた。
「試してみたい!訓練だよ、訓練!」
「しかし、城壁は国の――」
「大丈夫だって!壊れても直せばいいじゃん」
レンは軽い調子で言った。エドワードは必死に言葉を探す。どうやって止めればいい?しかし、その時――。
「勇者様!」
甲高い声が響いた。振り向くと、王女フィリアが訓練場に入ってきた。彼女は輝く笑顔でレンに近づく。
「勇者様の訓練ですか?素晴らしい!」
エドワードは、その言葉を聞いて絶望した。
「え、マジ?いいの?」
レンが嬉しそうに尋ねた。フィリアは頷く。
「もちろんです。勇者様の力を、ぜひ民に見せてあげてください」
「やったー!」
レンが拳を突き上げた。エドワードは、もはや何も言えなかった。
昼過ぎ、王城の執務室では緊急の報告が行われていた。レオニス王は玉座に座り、宰相ヴァルクは傍らに控えている。
エドワードが報告していた。
「勇者レン殿が、城壁で訓練を行うと――」
「城壁を壊す...だと?」
レオニスは立ち上がった。その声には、怒りが滲んでいる。
「はい。王女殿下が、既に許可を――」
レオニスは拳で机を叩いた。
「またか!」
ヴァルクが一歩前に出る。
「陛下、落ち着いてください」
レオニスは深く息を吐き、再び座った。しかし、その表情は険しい。
「ヴァルク、止めねばならぬ」
「はい。しかし――」
ヴァルクは言葉を濁した。王女が許可している以上、止めることは難しい。民衆も、王女の判断を支持するだろう。
レオニスは窓の外を見た。城壁が、遠くに見える。
「...行くぞ」
「陛下?」
「現場を見届ける。それしか、できぬ」
レオニスの声には、深い無力感が込められていた。ヴァルクは黙って頷いた。
二人は執務室を出た。エドワードもそれに従う。廊下を歩きながら、レオニスは呟いた。
「私は王だ。しかし――何もできぬ」
その言葉を、ヴァルクは黙って聞いていた。
午後、城壁の前には既に民衆が集まっていた。噂を聞きつけた人々が、次々と押し寄せている。
「勇者様の訓練が見られる!」
「勇者様の神力を、この目で!」
興奮した声が飛び交っていた。エドワードは兵士たちに命令を出す。
「民衆を下がらせろ!危険だ!」
兵士たちが民衆を押しとどめようとするが、人々は前に進もうとする。
「大丈夫です!勇者様がいるのに、何が危険なのですか!」
エドワードは頭を抱えた。この人々は、理解していない。勇者の力が何をもたらすのか、分かっていない。
レンが城壁の前に立った。彼は拳を握りしめ、壁を見上げている。
「じゃ、いくぞ!」
エドワードは兵士たちに叫んだ。
「全員退避!今すぐ退避しろ!」
兵士たちが慌てて下がる。しかし、民衆は逆に前に進んだ。
レンが拳を振りかぶった。
エドワードは目を閉じた。
次の瞬間――。
轟音が、世界を揺らした。
地面が震え、空気が振動する。エドワードは目を開け――そして、息を飲んだ。
城壁に、巨大な穴が開いていた。
石材が崩れ落ち、瓦礫が飛び散る。兵士たちが悲鳴を上げた。一人が瓦礫の下敷きになり、別の兵士が吹き飛ばされて地面に倒れる。
しかし――民衆は、歓声を上げていた。
「すごい!」
「勇者様の神力だ!」
「城壁が!城壁が壊れた!」
エドワードは民衆を見た。彼らは喜んでいる。国を守る城壁が破壊されたというのに、喜んでいる。
「衛生兵!」
エドワードは負傷した兵士たちに駆け寄った。一人の若い兵士が、頭から血を流して倒れている。
「しっかりしろ!」
エドワードが肩を揺さぶるが、兵士は意識がない。周囲には、他にも負傷者が横たわっていた。
レオニスとヴァルクが現場に到着したのは、その直後だった。
王は城壁を見て――言葉を失った。
巨大な穴が、壁に開いている。直径十メートルはあるだろうか。石材が散乱し、一部は周辺の民家にまで飛んでいた。
「これは...」
ヴァルクも絶句していた。
エドワードが駆け寄ってくる。
「陛下!負傷者が八名です!」
レオニスは顔色を変えた。
「八名...!」
彼は負傷した兵士たちのもとに向かおうとした。しかし――。
「おー!やっぱ壊せた!」
レンの声が響いた。彼は満足そうに城壁の穴を見上げている。
「すげー!俺、やっぱ最強!」
民衆が、さらに大きな歓声を上げた。レオニスは、レンに向かって歩み寄った。怒りが、胸の奥で燃えている。
「勇者レン!」
レオニスの声は、怒りで震えていた。レンが振り向く。
「お、王様。見ました?俺、壁壊したんすよ!」
「貴様...!」
レオニスが言いかけたとき、王女フィリアが二人の間に入った。
「父上!」
フィリアは父を見上げた。
「勇者様の訓練の成果です!素晴らしいではありませんか!」
「フィリア、これは訓練などでは――」
「父上は、勇者様の力を恐れておられるのですか?」
その言葉に、周囲の民衆がざわめいた。レオニスは、娘を見つめた。彼女の目には――もはや、理性の光がない。
「...いや」
レオニスは力なく言った。
「恐れてなどいない」
彼は踵を返し、その場を去った。ヴァルクが後を追う。
二人の背中を見ながら、民衆は口々に言った。
「王様も、勇者様の力に驚いておられる」
「当然だ。あれほどの神力を目の当たりにしたのだから」
エドワードは、その言葉を聞きながら――拳を握りしめた。
石工の親方グレゴールが現場に呼ばれたのは、夕刻のことだった。
彼は崩壊した城壁を見て、膝から力が抜けるのを感じた。
「これを...修復しろと?」
王国の役人が頷いた。
「至急、見積もりを出してくれ」
グレゴールは城壁に近づいた。穴は巨大で、周辺の石材も亀裂が入っている。これは――単に穴を塞ぐだけでは済まない。周辺部分も補強しなければ、崩壊の危険がある。
「これは...莫大な費用がかかります」
グレゴールは役人に言った。
「どれくらいだ?」
「少なくとも、金貨五千枚は必要でしょう。それに、時間も――」
「五千枚...!」
役人が顔色を変えた。それは、小さな街一つの年間予算に匹敵する額だ。
グレゴールは周囲を見回した。民衆が集まっており、相変わらず祝祭のような雰囲気だった。
「しかし、城壁は国防の要です」
グレゴールは民衆に向かって言った。
「これが壊れたままでは、敵が侵入する危険が――」
「大丈夫ですよ」
一人の男が笑顔で言った。
「勇者様がいらっしゃるのだから」
「そうだ、そうだ」
他の民衆も頷く。
「勇者様の力があれば、城壁など不要だ」
「むしろ、あんな古い壁は邪魔だったのでは?」
グレゴールは、言葉を失った。彼らは――本気でそう思っているのだ。
「しかし...」
グレゴールが言いかけたが、もう誰も聞いていなかった。民衆は勇者の話題で盛り上がっており、城壁のことなど忘れている。
グレゴールは、見積書を書き始めた。しかし、その手は震えていた。
夕刻、王城の謁見の間では財務官ロレンツ・フォン・アルトハイムがレオニス王に報告していた。彼は五十代の几帳面な男で、王国の財政を管理している。
「城壁の修復費用ですが――」
ロレンツは報告書を読み上げた。
「金貨五千枚が必要とのことです」
レオニスは目を閉じた。ヴァルクが尋ねる。
「国庫の状況は?」
「現在、金貨二万五千枚ほどございます。しかし――」
ロレンツは続けた。
「勇者神殿の建設に既に一万枚を使用しております。さらに、勇者様方の生活費、護衛費用、その他諸々で月に千枚ほど――」
「待て」
レオニスが手を上げた。
「月に千枚...?」
「はい。勇者様方は、様々な要求をなさいますので...」
ロレンツは申し訳なさそうに言った。
「このままでは、半年で国庫が底をつきます」
謁見の間が、静まり返った。
ヴァルクが静かに尋ねた。
「...どうすれば?」
「増税しかありません」
ロレンツの答えは明確だった。
「しかし、増税すれば民の生活が――」
ヴァルクが言いかけたが、ロレンツは首を振った。
「他に方法はございません」
レオニスは長い沈黙の後、重い声で言った。
「...増税を、実施しろ」
「御意」
ロレンツは深く頭を下げ、退出した。
部屋に残されたレオニスとヴァルクは、しばらく何も言わなかった。やがて、レオニスが呟いた。
「国が...壊れていく」
その声には、深い絶望が込められていた。ヴァルクは何も答えられなかった。なぜなら、彼も同じことを感じていたからだ。
深夜、崩壊した城壁の前にエドワードが立っていた。夜警の任務だ。彼は松明を持ち、城壁の穴を見上げている。
穴から、外の闇が見える。本来なら、ここには堅固な石の壁があるはずだった。しかし今――何もない。
「これで...国を守れるのか」
エドワードは呟いた。
昼間、負傷した兵士たちの手当てをした。幸い、重傷者はいなかったが、全員が恐怖に震えていた。
「勇者様が...我々を傷つけた」
若い兵士が、そう言った。
「いや、訓練の事故だ」
エドワードはそう答えた。しかし、心の中では――分かっていた。これは事故ではない。レンは、何も考えていなかっただけだ。
足音が聞こえた。振り向くと、ベルナール副長が歩いてきた。
「エドワード」
「副長...」
二人は並んで、城壁の穴を見た。
「お前も、見ただろう」
ベルナールが静かに言った。
「勇者が、何をしているのか」
エドワードは頷いた。
「はい。見ました」
ベルナールは、エドワードの方を向いた。
「宰相閣下が、動いている」
「...知っています」
「お前も、加わる気はあるか」
その問いに、エドワードは沈黙した。加わる――それは、反勇者派に加わるということだ。王国に対する反逆ではない。しかし、民衆の大多数が信じる「神」に逆らうことになる。
エドワードは、再び城壁の穴を見た。
この穴は――国の未来を象徴している。
守るべきものが、壊されている。
そして、誰もそれを止められない。
「...はい」
エドワードは答えた。
「この国を、守りたい」
ベルナールは頷き、手を差し出した。エドワードはその手を握った。二人の握手は、固く――そして温かかった。
「よく来た」
ベルナールが言った。
「我々は――必ず、勇者を止める」
エドワードは頷いた。決意が、胸の中で燃えている。
二人は城壁の穴を背に、城の方を向いた。遠くに、勇者神殿の光が見える。松明に照らされ、輝いている。
崩壊した城壁。
輝く神殿。
その対比が、あまりにも鮮明だった。
国は――分断されている。
守るべきものを守ろうとする者たち。
そして、盲目的に神を崇める者たち。
エドワードは、静かに誓った。
たとえ、世界全てが敵になろうとも――この国を、守る。
読んで下さりありがとうございました!
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