第20話「静寂」
王都の通りには、人々の声が響いていた。
店が立ち並び、商人が商品を並べ、客が行き交う。子供たちが路地で遊び、老人たちがベンチで談笑している。
平和な光景だった。
しかし――この王都は、かつてよりずっと小さくなっていた。
パン屋「麦の穂」の前に、若い男が立っている。エリック・ブラウン。トーマスの孫で、この店の三代目だ。
店を開く準備をしながら、エリックは通りを見渡した。祖父の代から続くこの店。父から受け継ぎ、今は自分が営んでいる。
「おはよう、エリック」
隣の店の主人が声をかけてきた。エリックは頷く。
「おはようございます」
いつもの朝。いつもの挨拶。
しかし――エリックの視線は、遠くの空き地に向かっていた。
広い空き地。何もない場所。誰も近づかず、誰も利用しない。
「昔、ここに大きな神殿があったって本当?」
昨日、客に聞かれた。エリックは、首を振った。
「さあ、知らないな」
嘘ではない。本当に知らないのだ。
祖父トーマスは、数年前に亡くなった。最期まで、あの空き地のことは何も語らなかった。ただ――時々、寂しそうに見つめていた。
「ここに、何があったんだろう」
エリックは呟いた。しかし、答えは返ってこない。
店を開け、仕事を始める。パンを焼き、客を迎える。
いつもの一日が、始まった。
王城の執務室では、フィリア女王が書類に目を通していた。
年老いたが、まだ現役の女王だ。白髪が増え、顔に皺が刻まれている。しかし――その目は、鋭く冷静だった。
側近が入ってくる。
「女王陛下、魔王領との交易報告です」
「聞きましょう」
フィリアは、書類から目を上げた。
「順調です。特に、農作物と鉱物の交易が活発になっています」
「良いわ」
フィリアは頷いた。
「また、国境地帯での共同事業も進んでいます」
「進めなさい」
簡潔な指示。側近は頭を下げて、部屋を出ていった。
一人になったフィリアは、椅子に深く座った。
窓の外を見る。小さくなった王国。しかし――平和だ。人々は笑い、子供たちは遊んでいる。
「これで、良かったのかしら」
呟きが、静かな部屋に響いた。
答えは――出ない。
フィリアは、机の引き出しを開けた。中には、古い写真が一枚だけ入っている。
若い頃のフィリアと――誰かの姿。
しかし、その人物の顔は――ぼやけている。記憶が、薄れているのだ。
「...誰だったかしら」
フィリアは首を傾げた。大切な人だった気がする。しかし――思い出せない。
写真を戻し、引き出しを閉める。
もう――過去を振り返る必要はない。
前を向いて、国を治める。それが、自分の役目だ。
国境地帯、廃教会。
蔦に覆われた古い建物の前に、一人の男が立っていた。
魔王ゼファル。
相変わらず若い姿をしているが、その目には深い疲れがあった。数百年を生きる魔族にとって、数十年は短い。しかし――重い数十年だった。
教会の前には、石碑が立っている。文字は刻まれていない。ただ――無言の警告として。
ゼファルは、石碑に手を置いた。
「レオニス...もう五十年か」
風が吹く。
「お前との約束、守られている」
空を見上げる。青い空、白い雲。
「この世界に、神は招かれていない」
それは――確かだった。人間も魔族も、二度と異界から何かを招こうとはしなかった。
「しかし――忘れることが、正しかったのか」
ゼファルは、石碑を見つめた。
「分からない」
答えのない問いだ。
「だが、世界は平和だ」
それは――事実だった。人間と魔族の関係は改善され、戦争は起きていない。
「それだけで――十分なのかもしれない」
ゼファルは、石碑に背を向けた。馬に乗り、去っていく。
廃教会に、再び静寂が戻った。
風だけが、吹き続けている。
遠い砂漠。
灼熱の太陽が、砂を照らしている。見渡す限りの砂漠。何もない、静かな世界。
一人の商人が、ラクダを引いて歩いていた。
「暑い...もう少しで町だ」
汗を拭いながら、歩き続ける。
その時、足元で何かが光った。
「ん?」
商人は立ち止まり、しゃがんだ。砂を手で払うと――何か、人工物が見える。
掘り出すと、奇妙な物体だった。
黒い板のような物。表面はガラス、裏は金属。そして――割れている。
「何だこれ?」
商人は、それを手に取った。見たことのない物だ。この世界には、こんな物はない。
触ってみるが、何も起きない。ボタンのようなものを押してみる。
しかし――反応なし。
「壊れてるのか」
商人は、それを砂の上に置いた。
「使えないな。ガラクタか」
立ち上がり、歩き始める。振り返ることなく、町へと向かった。
風が吹く。
砂が舞い、徐々にその物体を覆い始める。
それは――スマホだった。
ミカのスマホ。
画面は割れ、電源は入らない。もう――誰も、その意味を知らない。
やがて、完全に砂に埋もれた。
夕日が、砂漠を赤く染める。
かつて、ここで戦いがあった。
光が爆発し、大地が揺れた。
しかし――誰も覚えていない。
異世界の人々は、語ることを禁じられた。
現代の人々は、記憶を失った。
残ったのは――この遺物だけ。
誰も意味を知らない。誰も価値を理解しない。
ただ――存在している。
砂の下で、静かに。
もうひとつの、終わった世界。
語られることのない、真実。
風が吹く。
砂が舞う。
全てを覆い隠していく。
現代日本、大学のキャンパス。
神谷蓮――ハルは、学食でスマホを見ていた。大学生になって二年。普通の学生生活を送っている。
ニュースアプリを開くと、記事が目に入った。
「異世界転生ブームが再燃」
「へー」
ハルは、記事を読んだ。アニメ、漫画、小説――異世界転生ものが、また流行しているらしい。
「何見てんの?」
友達が隣に座った。ハルはスマホを見せる。
「異世界転生だって」
「また流行ってんの?お前、好き?」
「まあまあ」
ハルは笑った。
「俺も行ってみたいな」
友達も笑う。
「お前、何の能力欲しい?」
「うーん、最強魔法とか?」
「ベタだなー」
二人は笑い合った。
ハル――全てを忘れている。
異世界に行ったことも。
村を壊したことも。
人を傷つけたことも。
全て。
別の場所では、桐生拓斗――レンが空手の試合に勝利していた。
「よっし!」
仲間たちと抱き合い、喜ぶ。体育大学に進学し、空手を続けている。充実した日々だ。
時々――理由のない罪悪感を感じる。
しかし、気にしない。きっと、気のせいだ。
美容専門学校では、水野美香――ミカが自撮りをしていた。
「はい、チーズ」
撮影して、SNSに投稿する。すぐに「いいね」がつき始めた。
「やった」
ミカは笑う。幸せそうに。
時々――虚無感を感じる。
何かが足りない気がする。
しかし――それが何かは、分からない。
そして――長井クロウは。
戻らなかった。
行方不明のまま、数年が経った。捜索は打ち切られ、家族は諦めた。
ハル、レン、ミカも――もう、覚えていない。
クロウの存在そのものが、消えた。
では――クロウはどこへ?
答えは、誰も知らない。
異世界に残ったのか。還送の途中で消えたのか。それとも――。
謎のまま。
ただ――一つだけ確かなのは、クロウの日誌が異世界の記録庫に残されていること。
誰も読まない。
しかし――存在している。
唯一の真実として。
夕暮れ。
異世界の王都では、人々が家路についていた。
エリックが店を閉める。今日も、平和な一日だった。
フィリアが執務室で窓の外を見る。夕日が、王都を赤く染めている。
空き地に、風が吹く。
誰もいない、静かな場所。
現代日本でも、夕暮れだった。
ハルが大学から帰る道を歩いている。オレンジ色の空。
レンが道場を出る。疲れたが、充実した顔。
ミカがカフェでスマホを見ている。笑顔で、画面をスクロール。
公園に、風が吹く。
誰もいない、静かな場所。
砂漠では、夕日が地平線に沈もうとしていた。
スマホが埋まっている場所。
風が、砂を舞い上げる。
二つの世界。
一方は、破壊の記憶を封印した。
一方は、破壊したことすら覚えていない。
どちらが幸せなのか――。
誰にも分からない。
ただ――。
風だけが、全てを知っている。
二つの世界を見てきた風。
破壊を見て、再生を見て、忘却を見た風。
その風は今も、静かに吹いている。
砂漠を。
王都を。
街を。
全てを吹き抜けて。
誰にも語らず。
ただ――吹き続けている。
静寂の中で。
永遠に。
――完――
『召喚した勇者がクズでした。魔王を討伐して欲しいのに、勇者が魔王に見えてきた。助けて』
完結
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