第19話「現代、帰還」
アラームの音が、部屋に響いていた。
神谷蓮――通称ハルは、うっすらと目を開けた。見慣れた天井。自分の部屋だ。
「...ん」
手を伸ばして、スマホのアラームを止める。
頭がぼんやりしている。よく眠れなかった気がする。
「変な夢見たな」
呟きながら、体を起こした。しかし――どんな夢だったか、思い出せない。ただ、何か暗くて、騒がしい夢だった気がする。
スマホの画面を見る。日付を確認すると――昨日の翌日だった。当たり前だが。
「あれ?昨日って...」
記憶が曖昧だ。学校に行った気がする。でも、何をしたか思い出せない。授業を受けて、友達と話して――それくらいだろうか。
「まあいいか」
ベッドから出て、カーテンを開ける。朝の光が差し込んできた。いつもと変わらない朝。
着替えて、階段を降りる。
「蓮、朝ごはんよ」
母親の声が聞こえた。
「はーい」
リビングに入ると、テーブルに朝食が並んでいる。トースト、スクランブルエッグ、サラダ。いつもの朝食だ。
「よく眠れた?」
母親が尋ねた。ハルは頷く。
「うん、まあ」
嘘ではない。眠れたは眠れた。ただ――何か、すっきりしない。
食事を終えて、学校の準備をする。教科書、ノート、筆箱。全てがいつも通りだ。
家を出る時、ふと振り返った。
何か――大切なことを忘れている気がする。
でも、何かは分からない。
「気のせいか」
首を振って、学校へと向かった。
通学路を歩いていると、途中で公園を通りかかった。
いつも通る場所だ。しかし今日は――何となく、立ち止まった。
ベンチを見る。ブランコを見る。砂場を見る。
「...」
この場所で――何かあった気がする。
誰かと話した?いや、違う。もっと――何か。
しかし、思い出せない。
「何だろうな」
首を傾げて、再び歩き始めた。考えても仕方ない。きっと、気のせいだ。
学校に到着すると、いつもの光景が広がっていた。生徒たちが校門をくぐり、教室へと向かっている。
ハルも下駄箱で靴を履き替え、階段を上る。
教室に入ると、既に何人かが席についていた。その中に、桐生拓斗――通称レンがいた。
「おー、ハル」
レンが手を上げた。体格の良い、元気な男子だ。
「おはよ」
「おはよ」
ハルは自分の席に座った。レンの隣の席だ。
「昨日の続き、やろうぜ」
レンが言った。ハルは首を傾げる。
「昨日の続き?」
「ゲームだよ。昨日、途中だったじゃん」
「あー...」
そうだったかもしれない。記憶が曖昧だが、レンがそう言うなら、そうなのだろう。
「まあ、いいけど」
「よっし」
レンは嬉しそうに頷いた。
教室の扉が開き、水野美香――通称ミカが入ってきた。茶髪のギャルで、いつもスマホを見ている女子だ。
「おはよー」
「おはよ」
ハルとレンが答えた。ミカは自分の席に座り、すぐにスマホを取り出す。
三人は、いつものメンバーだ。
ハルは教室を見回した。いつもの席、いつもの仲間。全てがいつも通り。
でも――一つだけ、違う。
窓際の席が、空いている。
「なんか、変な感じしない?」
ハルが呟いた。レンが振り向く。
「ん?何が?」
「...いや、気のせいかも」
ミカもスマホから顔を上げた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
ハルは首を振った。きっと、気のせいだ。
授業が始まり、昼休みになった。
ハル、レン、ミカの三人は、いつものように一緒に昼食を取る。
ミカが持ってきたお弁当を開けながら、ハルがふと思い出した。
「そういえば、クロウは?」
その名前を口にした瞬間、妙な感覚があった。誰だっけ、クロウって。
レンが首を傾げる。
「知らね。休み?」
ミカもスマホを見ながら答えた。
「連絡来てないけど」
ハルは、スマホを取り出した。クロウに連絡しようと思ったのだ。
しかし――連絡先を探しても、見つからない。
「あれ?」
レンが尋ねる。
「どうした?」
「クロウの連絡先、消えてる」
ミカも、スマホを確認した。
「あたしも消えてる」
レンも確認する。
「俺も」
三人は、顔を見合わせた。
「...なんでだろ」
ハルが呟く。レンは肩をすくめた。
「バグ?スマホ、たまにあるし」
「まあ、明日来るでしょ」
ミカがあっさりと言った。話題は、そこで終わる。
しかし――ハルの心には、微かな不安が残っていた。
クロウのこと、思い出せない。
いつから友達だったか。どんな話をしていたか。顔は――思い出せる気がするが、ぼやけている。
「...気のせいか」
ハルは首を振って、昼食を続けた。
放課後、ミカは一人でカフェにいた。
窓際の席に座り、スマホをいじっている。SNSを見たり、動画を見たり。いつもの時間の使い方だ。
友達の投稿が流れてくる。誰かの写真、どうでもいい話、自撮り。
ミカも、何か投稿しようと思った。
「なんか書こう」
指が、画面の上を滑る。
「なんか変な夢見た」
そう入力して、少し考える。何の夢だったか――思い出せない。でも、つまらなかった気がする。
「異世界行く夢。マジつまんなかった笑」
投稿ボタンを押す。
自分で読み返して、笑った。
「異世界とか、ないわー」
スマホを置いて、カフェラテを飲む。甘くて、温かい。
窓の外を見ると、人々が行き交っている。普通の日常。平和な世界。
「幸せ」
ミカは呟いた。この日常が――何より大切だ。
家に帰ったハルは、ベッドに寝転んでスマホを見ていた。
通知が来ている。ミカの投稿だ。
「異世界行く夢。マジつまんなかった笑」
ハルは、画面を見つめた。
「...俺も?」
同じような夢を見た気がする。異世界――そんな夢だったかもしれない。
でも、内容は覚えていない。
「いいね」を押す。レンも「いいね」している。
「みんな同じ夢見たのかな」
不思議だが――深く考えない。どうせ、夢だ。
夕食を食べて、宿題をして、風呂に入る。
いつも通りの夜。
ベッドに入り、目を閉じる。
すぐに、眠りに落ちた。
暗闇の中、ハルは夢を見ていた。
壊れた村。崩れた建物。炎が上がり、煙が空を覆っている。
人々が泣いている。叫んでいる。
「やめろ!」
誰かの声。男の声だ。
ハルは、その光景を見ている。しかし――自分が何をしているのか、分からない。
光が爆発する。
建物が崩れる。
そして――自分が叫んでいる。
「なんで!?俺たち正義なのに!」
その言葉の意味が、分からない。
何が正義?何を言っているんだ?
夢の中で、混乱している。
「はっ...」
目が覚めた。
息が荒い。汗をかいている。
時計を見ると、深夜三時だった。
「...夢か」
ハルは、枕に頭を戻した。
何の夢だったか――もう、ぼやけている。怖い夢だった気がする。それだけだ。
「水でも飲もう」
起き上がろうとして――やめた。面倒くさい。
再び目を閉じる。
すぐに、眠りに落ちた。
朝になると――夢のことは、完全に忘れていた。
数週間後、ホームルームの時間。
担任教師が、いつもより深刻な表情で教室に入ってきた。
「皆、少し話がある」
生徒たちは、静かになる。
「長井クロウくんのことだが」
ハル、レン、ミカは顔を見合わせた。
「彼の家族から、捜索願が出された」
教室がざわめいた。
「行方不明になって、三週間になる」
「何か知っている者がいたら、教えてくれ」
しかし――誰も手を挙げない。
ハルも、何も知らなかった。クロウのこと――ほとんど覚えていない。
放課後、三人で校門の前に集まった。
「クロウ、どこ行ったんだ?」
レンが不思議そうに言った。
「知らないよ」
ミカがスマホを見ながら答える。
「...」
ハルは、何も言わなかった。
何か――引っかかるものを感じる。クロウのこと、もっと知っていた気がする。大切な友達だった気がする。
でも――思い出せない。
「まあ、見つかるでしょ」
ミカがあっさりと言った。レンも頷く。
「そうだな」
三人は、それぞれの家へと帰っていった。
数ヶ月が過ぎた。
季節は冬になり、街はクリスマスの飾りで彩られている。
ハルは、いつも通りの高校生活を続けていた。授業、部活、友達との会話。全てが、普通だ。
クロウのことは――もう、話題に出ない。行方不明のまま、捜索は続いているらしいが、進展はないようだ。
時々、ハルは悪夢を見る。
壊れた何か。泣く誰か。光と、爆発と、崩壊。
でも、朝になると忘れる。毎回、忘れる。
レンは、空手部で毎日練習していた。
「うおー!」
拳を振るう。蹴りを放つ。
力を出すのが、気持ちいい。体を動かすのが、楽しい。
でも――時々、理由もなく罪悪感を感じる。
何かを――してはいけないことをした気がする。
「...何だろ」
自分でも分からない。きっと、気のせいだ。
ミカは、相変わらずスマホばかり見ていた。
SNS、動画、ゲーム。時間はいくらあっても足りない。
楽しい毎日。友達もいるし、困ることもない。
でも――時々、説明できない虚無感がある。
「何これ...」
何かが足りない気がする。何か、大切なものを失った気がする。
でも、それが何かは分からない。
一年が過ぎた。
桜が咲き、新しい春が来た。ハルは三年生になった。
放課後、ハルは一人で公園のベンチに座っていた。
大学受験を控えている。進路を決めなければならない。でも――何をしたいのか、よく分からない。
空を見上げる。青い空、白い雲。
「...」
この一年、何も変わらなかった。普通の高校生活。普通の毎日。
でも――何かが、ずっと引っかかっている。
クロウは――見つからなかった。行方不明のまま、もう一年が経つ。
「クロウ...どこ行ったんだろ」
思い出そうとする。クロウの顔、声、話したこと。
でも――全てがぼやけている。まるで、霧の向こうにいるような。
本当に――友達だったのだろうか。
スマホが鳴った。ミカからのメッセージだ。
「明日、カラオケ行こー」
「了解」
返信して、スマホをポケットに入れる。
立ち上がり、帰ろうとして――振り返った。
公園を見る。
ここで――何かあった気がする。大切な何かを。
でも――思い出せない。
「...気のせいか」
歩き始める。
桜の花びらが、風に舞っている。ハルは、その中を歩いていく。
時々――夢を見る。
知らない世界の夢。壊れた街。泣く人々。
でも、朝になると忘れる。
全て――なかったことのように。
俺、何か忘れてる気がする。
ハルは、心の中で呟いた。
大切な何かを。
でも――それが何かは、分からない。
空を見上げる。
「まあ、いっか」
笑顔で、家に向かって歩いていく。
その後ろ姿が、遠ざかっていく。
彼らは、全てを忘れた。
破壊したことも。
助けを求める声も。
崩れ落ちる世界も。
全て――なかったことのように。
そして――普通の日常を生きている。
時々、悪夢を見る。
時々、罪悪感を感じる。
しかし、理由は分からない。
それでも――彼らは生きている。
何も知らずに。
幸せそうに。
読んで下さりありがとうございました!
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