第17話「異界還送陣、発動」
地下神殿に、低い詠唱の声が響いていた。
魔法陣の周囲に、魔道士と魔術師たちが円陣を組んでいる。人間と魔族が交互に配置され、手を繋いでいた。かつてない光景だった。
中央には、レオニス王と魔王ゼファルが立っている。二人も手を繋ぎ、魔法陣の中心で目を閉じていた。
魔道士長エドガーが、最前列で詠唱を始める。
古代語の言葉が、空気を震わせた。それは人間の言葉でも、魔族の言葉でもない。この世界が生まれた時から存在する、根源の言葉だ。
魔道士たちが唱和する。魔術師たちも、同じ言葉を紡ぐ。
低く、重く、しかし美しい調べ。
魔法陣が、淡く光り始めた。
宰相ヴァルクは、階段の近くで見守っている。両手を組み、祈るように詠唱を聞いていた。
上からは、まだ戦闘の音が聞こえる。轟音、叫び声、崩れる石の音。エドワードたちが――命を懸けて、時間を稼いでいる。
頼む...成功してくれ。
ヴァルクは心の中で祈った。この儀式に、全てが賭けられている。失敗すれば――世界が壊れる。
詠唱が続く。
魔法陣の光が、徐々に強くなっていく。複雑な文様が、一つ一つ明るさを増していった。
地面が、微かに震え始める。
城の広場では、副団長エドワードが剣を構えていた。
周囲には、まだ立っている騎士たちと魔族の兵士たち。しかし、その数は最初の半分以下になっていた。多くの仲間が倒れ、動けなくなっている。
勇者たちは、広場の中央に立っていた。
ハル、レン、ミカ。三人とも、傷一つない。
「しつこいなあ」
ハルが手のひらに光を集める。その動作は、まるで遊んでいるかのように軽い。
「全員散開!」
エドワードが叫んだ。騎士たちが四方に散る。
ハルの魔法が放たれた。
光の矢が、広場の一角を貫く。石畳が砕け、爆発のような音が響いた。騎士の一人が巻き込まれ、吹き飛ばされる。
「つまんねえな」
レンが欠伸をしながら言った。
「もっと強い奴いないの?」
レンが地面を蹴る。一瞬で魔族の兵士の前に現れ、拳を振るった。
兵士が吹き飛び、壁に激突する。
ミカは遠くから見ていた。
「早く終わらせてよ」
退屈そうに髪をいじっている。
エドワードは、剣を握りしめた。体中が痛い。既に何度も攻撃を受け、鎧は破れている。しかし――。
もう少し...持ちこたえろ。
剣を構え直す。
陛下...必ず、成功させてください。
広場の隅には、クロウが倒れていた。
肋骨の痛みで、呼吸するのも辛い。しかし、意識はある。
クロウは、三人の後ろ姿を見ていた。
頼む...止まってくれ。
しかし、その祈りは届かない。三人は――最後まで、理解しないのだろう。
地下神殿では、詠唱が最高潮に達していた。
魔道士たちの声が重なり合い、一つの大きな波となって空間を満たす。
魔法陣が激しく光り始めた。
地面が大きく震える。石壁がひび割れ、埃が降ってくる。
「これは...」
レオニスが目を開けた。魔法陣の光が、眩しいほどだ。
「発動する」
ゼファルが答えた。その声には、確信があった。
魔法陣から、光の柱が立ち上った。
それは真っ直ぐに天井を突き破り、岩盤を貫通する。地下神殿を超え、城を超え、そして――空へと伸びていく。
魔道士たちの体から、魔力が吸い出されていく。目に見えない力が、渦を巻いて魔法陣へと流れ込んでいた。
何人かが膝をつく。しかし、詠唱は止めない。
「耐えろ!あと少しだ!」
エドガーが叫んだ。その顔は、疲労で蒼白になっている。
魔術師たちも同じだった。額に汗を浮かべ、歯を食いしばって詠唱を続ける。
ヴァルクは、その光景を見守っていた。
人間と魔族が――共に力を合わせている。
かつて、誰が想像しただろうか。
光の柱が、空に達した。
そして――。
王都全体を覆うように、巨大な魔法陣が空に浮かび上がった。
幾何学的な文様、古代文字、複雑に絡み合う線。それは美しく、神秘的で、そして――恐ろしかった。
広場で戦っていたハルが、空を見上げた。
「...なに、あれ」
巨大な魔法陣が、夜空を覆っている。まるで、世界そのものが魔法陣になったかのようだ。
レンとミカも気づく。
「何だ?」
レンが首を傾げた。その時――。
ハルの体が、微かに光り始めた。
「え...?」
自分の手を見る。光の粒子が、体から離れていく。まるで、体が少しずつ消えていくかのように。
「やばい...何これ」
ミカも同じ現象が起きていた。彼女の体からも、光の粒子が流れ出している。
レンは膝をついた。
「体が...重い」
力が――抜けていく。
エドワードは、その光景を見ていた。
効いている...
希望が、心に灯る。
クロウは、立ち上がろうとした。痛みに顔を歪めながら、壁に手をついて体を支える。
...やはり、こうなるのか。
ハルは、自分の体を見つめていた。
光の粒子が、次々と離れていく。そして――体が、引っ張られている。
どこか遠くへ。
「なに、これ...体が...」
魔法を使おうとした。しかし、力が入らない。魔力が――流れ出ている。
ミカは、足が地面から離れるのを感じた。
「やばい、マジやばい」
浮いている。地面から、ゆっくりと離れていく。
「引っ張られてる!」
レンは必死に地面を掴もうとした。
「ふざけんな!」
しかし――体が浮いていく。どれだけ抵抗しても、止められない。
力が、抜けていく。あれほど強かった力が、水のように流れ出ていく。
クロウは、三人を見つめていた。
自分も同じ現象が起きている。体が光り、浮き始めている。
しかし――クロウは抵抗しなかった。
「...すまなかった」
小さく呟く。
誰に言っているのか、自分でも分からない。
この世界の人々にか。
それとも――仲間たちにか。
四人が、宙に浮いていた。
体が光に包まれ始める。その光は徐々に強くなり、輪郭が曖昧になっていく。
ハルは――理解できなかった。
なぜ、こんなことになっているのか。
自分たちは、何も悪いことをしていない。
助けてきただけなのに。
「なんで!?」
ハルは叫んだ。
「俺たち正義なのに!」
必死に抵抗する。手を伸ばし、何かを掴もうとする。しかし、何も掴めない。
「助けてあげたのに!」
「村の人も!街の人も!」
その叫びが、王都に響き渡った。
エドワードは、その叫びを聞いていた。
正義...
エドワードの心の中で、その言葉が反響する。
お前たちは、最後まで理解しなかった。
自分たちが何をしてきたのか。
どれだけの人を傷つけてきたのか。
兵士たちも、その光景を見ている。勇者たちが――消えようとしている。
「やめろ!」
レンが叫ぶ。
「帰りたくない!まだ...」
ミカも必死に抵抗していた。しかし、その体は既に半分透明になっている。
クロウだけが、静かに目を閉じていた。
光が、爆発的に強くなった。
四人の姿が、完全に光に包まれる。もう、人の形すら見えない。ただ――光の塊だけがあった。
そして――。
光が消えた。
広場に――誰もいなかった。
勇者たちは――消えていた。
完全な静寂。
風の音だけが、聞こえる。
エドワードは、剣を地面に突き立てた。
「...終わった」
その言葉が、静かに響く。
騎士たちも、魔族の兵士たちも、呆然としていた。誰も、声を出さない。
ただ――立ち尽くしている。
空を見上げると、巨大な魔法陣も消えていた。
美しい星空が広がっている。月が、静かに輝いていた。
しかし――その下で。
王都は廃墟と化していた。崩れた建物、焼け焦げた跡、散乱する瓦礫。
勝利の実感は――なかった。
ただ――虚無だけがあった。
地下神殿では、魔法陣の光が消えていた。
魔道士たちと魔術師たちが、次々と倒れ込む。魔力を使い果たし、立っていることもできない。
何人かは意識を失っている。
エドガーは、最後まで立っていた。しかし――その足が震えている。
「成功...しました...」
そう言って、床に崩れ落ちた。
「師匠!」
ヴァルクが駆け寄る。エドガーの呼吸を確認すると、生きている。ただ、疲労で意識を失っただけだ。
ゼファルも、膝をついていた。額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「ゼファル...」
レオニスが声をかけた。ゼファルは、ゆっくりと顔を上げる。
「...大丈夫だ」
立ち上がる。その足取りは、どこか頼りない。
「確認を」
ヴァルクが階段を駆け上がった。地下神殿を出て、城の廊下を走る。
広場に出ると――。
エドワードが、剣を杖代わりにして立っていた。
「エドワード」
ヴァルクが駆け寄る。
「勇者は...」
エドワードは、ヴァルクを見た。その目には――疲労と、安堵があった。
「消えました」
その言葉を聞いて、ヴァルクは膝をついた。
「...成功した」
長い戦いが――終わった。
レオニスも地上に出てきた。ゼファルが後に続く。
広場を見渡す。
勇者たちは――いない。
騎士たちと魔族の兵士たちが、疲れ果てて座り込んでいる。多くの仲間が倒れ、動かなくなっていた。
レオニスは、その光景を見つめた。
「...代償は、あまりにも大きかった」
その言葉が、静かに響く。
ゼファルは何も言わず、ただ頷いた。
夜が明け始めていた。
謁見の間は半壊している。壁が崩れ、天井に大きな穴が開いていた。玉座も、一部が崩れかけている。
しかし、レオニスはそこに座った。
背筋を伸ばし、王冠を被る。王として――最後まで。
ゼファルが入ってきた。
二人、向き合う。
「これで、世界は救われた」
ゼファルが言った。レオニスは、窓の外を見る。
「しかし、我が国は...」
王都が見える。建物の多くが崩壊し、炎の跡が残っている。煙が、まだ空に立ち上っていた。
「私の領土も、同じだ」
ゼファルは、レオニスの隣に立った。
「勇者たちは、我々双方を破壊した」
「それでも...」
レオニスは立ち上がった。
「世界は、残った」
ゼファルは頷く。
「ああ」
二人は、しばらく沈黙した。
やがて、ゼファルが口を開く。
「レオニス」
「何だ」
「再び、神を招くな」
その言葉が、重く響いた。
レオニスは、ゼファルを見る。魔王の目には――深い憂慮があった。
「...ああ」
レオニスは頷いた。
「二度と、召喚などしない」
「約束する」
ゼファルは、わずかに微笑んだ。
「では、私は帰る」
玉座の前から離れる。
「領土の復興が待っている」
「そうか」
レオニスも玉座から降りた。ゼファルの前に立つ。
二人は――最後に握手した。
「世界を守れて、良かった」
ゼファルが言った。レオニスは頷く。
「ああ」
ゼファルが謁見の間を出ていく。その後ろ姿を、レオニスは見送った。
やがて、足音が消える。
レオニスは一人、玉座に座り直した。
城下町では、夜が明け始めていた。
パン屋「麦の穂」の前に、トーマスが立っている。店は半壊しているが、まだ立っている。
息子は店の中で眠っていた。疲れ果てて、ようやく眠りについたのだ。
通りには、他の生存者たちも出てきていた。
皆、呆然としている。自分の店を見つめ、何も言わない。
隣の商人マルクが、トーマスに近づいてきた。
「...終わったのか?」
トーマスは空を見上げた。星が消え、空が白み始めている。
「分からない」
「でも、静かだ」
城からは、もう光も音もない。
ただ――静寂があるだけだ。
民衆の一人が呟いた。
「勇者様は...」
誰も答えない。
神殿を見ると、それは崩れていた。屋根が落ち、壁が崩壊している。そして――勇者の像は、粉々になって地面に散らばっていた。
「もう、いない」
トーマスが答えた。
その言葉が、静かに広がっていく。
勇者は――もういない。
謁見の間に、足音が響いた。
レオニスは顔を上げる。
扉が開き、フィリアが入ってきた。
彼女も疲れ果てている。ドレスは汚れ、髪は乱れていた。目は泣き腫らしている。
「父上...」
「フィリア」
二人、向き合う。
長い沈黙が流れた。
フィリアは、震える声で尋ねる。
「勇者様は...」
レオニスは、娘の目を見た。
「...帰った」
フィリアは、涙を流した。しかし――何も言わない。
ただ、静かに泣いている。
レオニスは立ち上がり、娘に近づいた。
「すまなかった」
手を伸ばそうとする。しかし――フィリアは首を振った。
そして――静かに去っていく。
扉が閉まる。
レオニスは再び一人になった。
窓の外では、朝日が昇り始めていた。
オレンジ色の光が、廃墟の王都を照らしている。
しかしそれは――希望の光ではなかった。
破壊の後の、虚無の光だ。
我々は、勝ったのか?
レオニスは、心の中で問いかけた。
それとも...全てを失ったのか?
扉が開き、ヴァルクが入ってきた。
「陛下...復興の計画を」
レオニスは振り向いた。
「...ああ」
玉座から立ち上がる。窓辺に向かい、外を見た。
城下では、民衆が動き始めていた。瓦礫を片付ける者、負傷者を助ける者、倒れた建物を見つめる者。
生き残った人々が――再び歩き始めている。
「終わった」
レオニスは呟いた。
「勇者信仰の時代が」
「はい」
ヴァルクが傍らに立った。
「そして――新しい時代が始まります」
二人は、窓の外を見つめた。
朝日が、廃墟の王都を照らしている。崩れた建物、燃えた跡、散乱する瓦礫。しかし――その中で、人々が動いている。
「これから、長い復興の道が始まる」
レオニスが言った。
「ああ」
ヴァルクは頷く。
「しかし、我々は生き延びました」
「世界は、残りました」
レオニスは、わずかに微笑んだ。
「そうだな」
二人は、しばらく沈黙の中に立っていた。
朝日が昇り、新しい一日が始まろうとしている。
勇者のいない、新しい時代が。
――勇者たちは、異界へと還された。
王国は生き延びた。
しかし――代償は大きかった。
そして、誰も知らない。
還された勇者たちが――どこへ行ったのかを。
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