第1話「召喚成功、そして始まる国の狂気」
深夜の執務室で、レオニス・アルディス三世は一枚の羊皮紙を見つめていた。窓の外では松明の灯りが城壁を照らしており、見張りの兵たちの声が夜風に乗って聞こえてくる。いつもより多い歩哨の数は、この国が平穏ではないことの証だった。
「陛下」
扉が開き、宰相ヴァルクが静かに入室した。灰色の髪に深い皺が刻まれた顔には、疲労の色が濃い。
「報告を」
レオニスは羊皮紙から目を上げずに言った。
「北方第三要塞が陥落しました。守備隊三百、全滅です」ヴァルクの声は平坦だった。悲しみを通り越し、もはや淡々と事実を告げるしかない段階に達している。
「また、か」
レオニスは深く息を吐いた。
三ヶ月前に魔王軍の侵攻が始まってから、状況は悪化の一途を辿っていた。最初は国境付近の小競り合いだと思われていたが、それは楽観だった。
魔王ゼファルの軍勢は組織的で、容赦がなかった。第一要塞が落ち、第二要塞が落ち、そして今、第三要塞までも失われた。
「このままでは、半年も持ちません」
ヴァルクは静かに言った。
「分かっている」
レオニスは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。城下町の明かりが、まだらに広がっている。眠らない街――否、眠れない街だ。魔王軍の噂は民衆の間にも広がり、不安が蔓延している。
「だからこそ、だ」
レオニスは振り返り、その目には覚悟が宿っていた。
「異界召喚の儀を執り行う」
ヴァルクの目が僅かに見開かれた。
「陛下...本気で?」
「他に道はない」
レオニスは執務机の上に広げられた古文書を指さした。褪せた羊皮紙には、複雑な魔法陣と古代文字が記されている。
「『世界が滅びの淵に立つとき、異界より救世主を招かん』――建国神話に記された、最後の切り札だ」
「しかし、それは神話です。伝説です。実際に成功した記録は――」
「ない。分かっている」
レオニスは頷いた。
「だが、試さねばならぬ。このままでは、確実に滅ぶ」
ヴァルクは沈黙した。理性的な宰相は、神話や伝説を信じるタイプではない。しかし、彼もまた現実を見ていた。このままでは、アルディス王国は魔王軍に飲み込まれる。選択肢など、もはや残されていなかった。
「…分かりました」
ヴァルクは深く頭を下げた。
「儀式の準備を整えます。明日の正午に」
「頼む」
レオニスは再び窓の外を見た。神よ、どうか――心の中で祈りを捧げる。もし本当に異界から救世主が現れるなら、どうかこの国を、この民を救ってくれと。窓の外で、松明の炎が揺れていた。
翌朝、王城の大広間は異様な熱気に包まれていた。正午の儀式に向けて準備が進められており、床には巨大な魔法陣が白亜の粉末で描かれ、その周囲には十二本の蝋燭が立てられている。神官たちが祈りの言葉を唱え、空気が神聖な響きに満たされていく。
「本当に成功するのでしょうか」
若い騎士が、隣の仲間に囁いた。
「神話が真実なら、な」
年配の騎士が答える。
「しかし、このままでは我々に未来はない。賭けるしかあるまい」
広間の隅で、宰相ヴァルクは冷静に儀式の進行を監督していた。神官たちの配置、魔法陣の精度、蝋燭の位置――全てが古文書の記述通りでなければならない。一つの誤りが、儀式全体を無に帰す可能性がある。
「ヴァルク卿」
振り向くと、王女フィリアが立っていた。十七歳の王女は純白のドレスに身を包み、その瞳には期待の光が宿っている。
「殿下。こんなところまで」
「私も見届けたいのです。神の使いが、本当にこの世界に降臨なさるのかを」
フィリアの声には、疑いの色がない。純粋な信仰心が、彼女の心を満たしていた。
ヴァルクは内心で嘆息した。この純真さが、後に何をもたらすのか――彼にはまだ分からなかった。
「殿下、危険です。儀式の最中は、何が起こるか分かりません」
「大丈夫ですわ。神の御業を、この目で見届けます」
フィリアは微笑んだ。その表情には、一片の曇りもない。
その時、広間の扉が大きく開いた。レオニス王が王冠を戴き、威厳ある姿で入場する。彼の後ろには文武百官が列を成しており、貴族たちも騎士たちも、皆が固唾を飲んで王を見守っている。
「皆の者」
レオニスの声が、広間に響いた。
「本日、我らは建国以来初めて、異界召喚の儀を執り行う」
ざわめきが広がる。
「神話が真実であるならば、今この時、異界より救世主が降臨されるだろう。我らの世界を、魔王の脅威から救うために」
レオニスは一歩、魔法陣に近づいた。
「祈れ。願え。そして――信じよ」
その言葉と共に、神官たちが一斉に詠唱を始めた。古代語の響きが広間を満たし、蝋燭の炎が激しく揺れ、魔法陣が淡く光り始めた。
ヴァルクは息を飲んだ。
これは――本物だ。魔法陣の光が強くなり、白から青へ、青から金へと色を変え、やがて眩い輝きが広間全体を包み込んだ。
人々は目を細めながらも、見つめ続けた。光の中に、影が見える。一つ、二つ、三つ、四つ――人の形をした、四つの影。
「来られた…!」
フィリアが叫んだ。光が収束していき、眩さが薄れ、やがて視界が戻ってきたとき――そこに、四人の人影が立っていた。
「――え、マジ?」
最初に発せられた言葉は、それだった。広間が静まり返る。
魔法陣の中央に立つ四人は、明らかにこの世界の住人ではなかった。異様な衣服、見たこともない素材と形――一人は奇妙な上着を着て、もう一人は短い衣に素足を晒している。
「うわ、マジで異世界召喚じゃん!」
その声は若い男のものだった。黒い短髪に整った顔立ち、年の頃は二十歳前後だろうか。彼は周囲を見回し、目を輝かせた。
「やべー、本物の城! 騎士! これ、マジ?」
レオニスは言葉を失っていた。これが――神の使い?
「ちょっと待って」
今度は女の声だった。茶色の髪を肩まで伸ばした少女が、手に持った四角い板――何かの道具だろうか――を見つめている。
「圏外なんだけど。Wi-Fi飛んでないの? マジ無理なんだけど」
Wi-Fi? 何だそれは?
「おい、ハル! 見ろよこれ! 本物の甲冑だぜ!」
もう一人の男が興奮した様子で騎士たちに近づいていく。筋骨隆々とした体格に運動着のような簡素な服装、彼は騎士の甲冑を無遠慮に触り始めた。
「すげー、本物じゃん! 重そう!」
触られた騎士は、困惑した表情で固まっている。
「…運命か」
四人目の声は低く、どこか芝居がかっていた。黒い外套のようなものを羽織った青年が、腕を組んで天井を見上げている。
「闇が我を呼んだのか...それとも光が? いや、これは必然。世界の理が――」
「クロウ、お前また始まったよ」
ハルと呼ばれた青年が、苦笑しながら言った。
レオニスは、ようやく声を取り戻した。
「――勇者殿!」
その声に、四人が一斉に振り向いた。
「勇者?」
ハルが首を傾げる。
「ああ、そうか。俺たち、召喚されたんだっけ」
レオニスは一歩前に出た。威厳を保たねば――これが神の使いであるなら、王として相応しく迎えねばならない。
「ようこそ、異界の勇者たちよ。我が名はレオニス・アルディス。この国の王である」
「おー、王様! マジで!」
筋肉質の男――レンが目を輝かせた。
「レン、お前ちょっと落ち着けって」
ハルがレンの肩を叩き、そしてレオニスに向き直る。
「えーと、つまり――俺たち、魔王倒せばいいんすよね?」
すよね――その軽い口調に、広間がざわめいた。ヴァルクは額に冷や汗が浮かぶのを感じた。これは――どういうことだ?
「そ、その通りだ」
レオニスは動揺を隠しながら答えた。
「魔王ゼファルが、我が国を脅かしている。異界より来たりし勇者たちよ、どうか我らに力を――」
「了解っす」
ハルは軽く手を上げた。
「じゃ、適当に頑張りますわ」
適当に――レオニスの目が、僅かに見開かれた。
「あのー、すみません」
ミカと呼ばれた少女が手を挙げた。
「お風呂とかあります? マジで無理なんですけど、お風呂ないの」
「ふ、風呂?」
「あと、Wi-Fi。ネット環境。スマホ充電できないと死ぬんで」
ネット? スマホ? レオニスは完全に理解を超えた言葉の洪水に晒されていた。
「腹減った! 飯は?」
レンが叫ぶ。
「我が運命の時は今――」
クロウが何かを唱え始める。広間は一瞬にして、混沌に包まれた。
ヴァルクは静かに王を見た。王もまた、宰相を見返した。その視線の中に、同じ感情が宿っていた――これは、一体何なのだ?
それでも、儀式は成功したのだ。そう自分に言い聞かせながら、レオニスは歓迎の辞を述べた。
「勇者たちよ。長旅の疲れもあろう。まずは休息を。部屋を用意させている」
「マジっすか! やった、ベッドある?」
ハルが笑顔で言った。
「当然です。最高の部屋を――」
「じゃ、案内してください」
「は、はい」
レオニスは侍女たちに目配せし、侍女たちは慌てて前に出た。
「勇者様、どうぞこちらへ」
「お、ありがとうございます」
ハルは侍女に軽く手を振った。その瞬間、侍女の顔が赤くなる。フィリア王女も、頬を染めていた。
「なんて…優しい方...」
彼女の瞳は、既に恋する乙女のそれだった。
ヴァルクは密かに頭を抱えた。勇者たちが広間を去った後、静寂が戻ってきた。貴族たちがざわざわと囁き合う。
「あれが…神の使い?」
「随分と…軽い感じだったな」
「しかし、召喚は成功した。伝説は真実だったのだ」
「ならば、あの者たちは本当に救世主なのだろう」
人々は、そう信じようとしていた。信じなければ、希望がなくなるから。
レオニスは玉座に腰を下ろした。
「ヴァルク」
「はい」
「あれが…神の使いか?」
ヴァルクは答えなかった。答えられなかった。
夕刻、勇者たちのために用意された部屋では、予想通りの光景が繰り広げられていた。
「えー、エアコンないの?」
ミカが部屋を見回しながら言った。
「エア、コン?」
侍女が首を傾げる。
「あ、いや、いいです。こっちの話」
ミカはベッドに腰を下ろした。豪華な天蓋付きのベッドに絹の寝具、王族に匹敵する調度品が揃っているが、彼女の表情は不満そうだった。
「スマホ充電できないし、マジつらい」
別の部屋では、レンが窓から身を乗り出していた。
「うおー、見ろよハル! 城下町だぜ! 本物の中世ヨーロッパ!」
「中世じゃないと思うけどな」
ハルは部屋の隅の椅子に座っていた。
「でも、マジで異世界なんだな。ゲームみたいだけど、リアルすぎる」
「俺、もう無双していい?」
「待て待て、まだ魔王の場所も分かってないだろ」
「チッ、つまんね」
レンは窓から離れた。
廊下では、侍女たちが小声で話していた。
「勇者様…思っていたのと違いますね」
「神話では、もっと威厳のある方々かと…」
「でも、優しそうですよ。あの黒い髪の方、私に微笑んでくださいました」
「私もです! あの方、きっと心優しい勇者様です」
「そうですね…神の使いですもの。私たちが理解できないだけで、きっと深いお考えがあるのでしょう」
侍女たちは、そう信じることにした。その方が、楽だから。
その夜、王城では盛大な歓迎の宴が開かれた。大広間には長いテーブルが並べられ、山のような料理が運ばれてくる。貴族たちが着飾って集まり、勇者たちを囲んだ。
「勇者殿! ようこそ!」
「我が国の救世主に、乾杯!」
「神の御加護を!」
歓声と乾杯の声が響き渡る。
ハルたちは上座に座らされていた。
「すげー豪華!」
レンが目を輝かせて料理に手を伸ばし、フォークもナイフも使わず、肉を手づかみで頬張った。
「うめー! これマジうめー!」
貴族たちが目を丸くする。
「あ、あれは…異界の作法なのか?」
「き、きっとそうだろう」
彼らは納得しようと努めた。
ミカは料理を前に、例の四角い板――「スマホ」と彼女が呼ぶもの――を掲げていた。
「これ、映えなくない?」
「映え…?」
隣に座った貴族の娘が首を傾げた。
「あ、いや、こっちの話」
ミカはスマホを下ろした。
「てか、マジで充電できないのヤバい。あと二日くらいしか持たない」
「充電...とは?」
「えーと…」
ミカは説明に困った様子で口を閉ざした。
ハルは、向かいに座るフィリア王女と目が合った。
「あ、どうも」
軽く手を振る。その瞬間、フィリアの顔が真っ赤になった。
「あ、あの、勇者様...!」
「ん?」
「私、フィリアと申します。お、お名前を教えていただけますか?」
「あ、俺? 神谷ハルっす。よろしく」
「カミヤ…ハル様...!」
フィリアは頬を染めたまま俯いた。その様子を見て、周囲の貴族たちがクスクスと笑う。
「王女殿下、お気に召したようですな」
「勇者殿、お優しい方だ」
一方、クロウは一人ワインを飲みながら独り言を呟いていた。
「この世界の酒...悪くない。いや、これこそが運命の一滴。闇と光が交わる、禁断の――」
「クロウ、お前もう酔ってるだろ」
ハルが苦笑する。
宴は続いた。しかし、上座の端では――レオニス王とヴァルクが、静かに勇者たちを観察していた。
「陛下…」
「ああ」
レオニスは小声で答えた。
「見ているぞ」
勇者たちは笑い、食べ、騒いでいる。悪意はない。ただ――
「まるで、子供だ」
ヴァルクが呟いた。
「いや、それ以上に…何かが、違う」
レオニスは頷いた。何が違うのか、言葉にはできない。しかし確かに――この者たちは、この世界の住人ではない。それは服装や言葉だけの問題ではなかった。価値観、視点、存在そのもの――全てが、異質だった。
「陛下」
ヴァルクが更に声を潜めた。
「もし…あの者たちが、期待通りの力を持っていなかったら?」
レオニスは答えなかった。答えたくなかった。なぜなら、その可能性は――既に、彼の心の中にあったから。
宴は深夜まで続いた。貴族たちは勇者を讃え続け、民衆は城下で「勇者万歳!」と叫び続けた。しかし――レオニス王の心には、ひとつの疑念が芽生え始めていた。
深夜、王の執務室でレオニスは一人、窓の外を見つめていた。城下ではまだ祝祭の灯りが点っており、
「勇者万歳!」
「神の使いが来られた!」
「我らは救われるのだ!」
という民衆の声が微かに聞こえてくる。彼らは喜び、信じ、希望を抱いている。
しかし――
「これが…神の使いか?」
レオニスは呟いた。あの軽薄な態度、あの無邪気な振る舞い、あの理解できない言葉の数々。確かに彼らは異界から来た。神話は真実だった。しかし、それで終わりではない。
「本当に、あの者たちが…魔王を討てるのか?」
窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。疲れた目、深い皺、そして――恐怖。
「いや、それ以前に――」
レオニスは拳を握りしめた。あの者たちは本当に勇者なのか? それとも――。
コン、コン。ノックの音。
「入れ」
扉が開き、ヴァルクが入ってきた。
「陛下、まだお休みでは?」
「眠れぬ」
レオニスは振り返った。
「ヴァルク…正直に言え。お前は、あの者たちを信じられるか?」
ヴァルクは沈黙し、やがてゆっくりと首を横に振った。
「...分かりません」
「そうか」
レオニスは深く息を吐いた。
「私も、だ」
二人はしばらく無言で立っていた。窓の外では祝祭の声が響き続けているが、この部屋には――重い沈黙だけがあった。
「陛下」
ヴァルクが口を開いた。「明日から、勇者たちの訓練を始めます。彼らの力を見極めねば」
「...ああ」
「それによって、全てが分かるでしょう」
「そうだな」
レオニスは再び窓の外を見た。祝祭の灯り、喜びの声、そして――闇。
「祈ろう、ヴァルク」
「はい」
「あの者たちが、本当に救世主であることを」
レオニスは目を閉じた。しかし心の奥底では――既に、別の予感が芽生えていた。これは、祝福ではない。これは――。
窓の外で風が吹き、松明の炎が激しく揺れた。まるで警告するかのように。やがて訪れる災厄の予兆を、レオニスは――感じていた。
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