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中編です。

 ——殺される!

 アレクシアがギュッと目を閉じたつぎの瞬間だった。

 だれかに腕をつかまれ、まるで子猫のように軽々と持ち上げられた。

「えっ?」

 びっくりして目を開くと、そこに見えたのは驚くほど整った顔立ちの騎士⋯⋯。

 しかもその騎士と一緒に馬に乗っているではないか!?

 騎士のたくましい腕が、薄汚れた灰色のフロックコートを着たアレクシアを、しっかりと支えている。

 ——このお方は、だれ⋯⋯?

 美貌の騎士は漆黒のベルベットのマントを羽織っていた。金色の髪は冬の太陽にキラキラと眩しく光り、少しだけ乱れた前髪が額にふわりと落ちている。

 男らしい眉にまっすぐな鼻筋、そして切れ長の目元⋯⋯。

 瞳は吸い込まれてしまいそうなほど美しいコバルトブルーだ。

「ここが戦場だと知らぬのか?」

 美貌の騎士は、真っ直ぐにアレクシアを見つめながら、低く男らしい声で聞いた。

「あ、あの、⋯⋯道を間違えてしまいました」

 街にたどり着くと思って歩いていたら戦場に来てしまったのだ。

「——そなた何者だ?」

 騎士はアレクシアの服に視線を走らせる。

 アレクシアはもう一ヶ月近く貧乏な旅をつづけていた。フロックコートはひどく汚れていたし、首に巻いているオメガ襟はあちこちすり切れてボロボロだ。

「た⋯⋯、旅の途中です⋯⋯」

 自分の行動や惨めな姿がものすごく恥ずかしくなり顔を伏せたとき、騎士が怪我をしていることに気がついた。

 ——あ! ひどい傷だ!

 騎士の右肩は血で真っ赤に染まっていた。弓が刺さったのを乱暴に引き抜いたような傷で、右肩のつけ根近くに深い穴が開いている。その穴から大量の血が吹き出している。真っ赤な血がポタポタと地面に落ちている。

 普通の人間ならば気を失ってもおかしくない深い傷だ。

 このまま放っておけば間違いなく命に関わるだろう。

「あ、あの⋯⋯、そんなにひどい怪我をしていらっしゃるのに、戦いにお戻りになるのですか?」

 思わずそう聞いてしまった。

 騎士は傷ついた腕で長剣をしっかりと握りしめていた。こんなひどい状態でもまだ戦い続けるつもりなのだ。

「部下たちが、俺を待っている」

 騎士は静かに答え、アレクシアの問いが予想外だったとでもいうように、ハンサムな顔に少しだけ笑みを浮かべた。

 アレクシアは急に胸が苦しくなった。

 ——このお方は、自分の命よりも部下を大事に思っていらっしゃるんだ。だから動くはずのない腕で、剣を握っていらっしゃるんだ⋯⋯。もしかすると、命を捨てるお覚悟なのかもしれない⋯⋯。

「生きなければいけません⋯⋯」

 込み上げる思いを抑えることができなかった。

 指先を騎士の肩の傷の上にそっと置き、心の中で祈った。

 ——天にまします我らが主よ。あなたのお言葉を信じる者に、どうか、あなたのお力をお与えください⋯⋯。

 騎士の血がぴたりと止まった。傷がみるみる治っていく。

「そなた、もしやオメガ聖女か?」

 騎士が驚きの声を上げた。

「え?」

 アレクシアはハッとして我に返った。

 聖女の身分を知られたら処刑されてしまう、そのことをすっかり忘れていた!

「ち、違います!」

 慌ててブンブンと首を横に振り、大きな声で答えた。

「僕は、ただの通りすがりの、⋯⋯あ、悪役令息です!」


*****


 オメガ聖女⋯⋯。

 それは病や怪我をたちどころに治す、『白百合の奇跡』を起こす者たち⋯⋯。


 一ヶ月前——。


 たくさんの白百合の花が、秋の優しい風に揺れ動く。

 ここはフェニキア王国のセント・リリィ修道院の中庭。

 裾の長い純白の聖女服に幅広のオメガ襟をつけたオメガ聖女たちが、白いテーブルを囲んで午後のお茶の時間を楽しんでいた。

 百合の花の甘く清楚な香りに包まれた、とても心地のよい午後だ。

 が——。

 いきなり甲高い怒りに満ちた声が響いた。

「ぬるい! 僕はぬるい紅茶が大嫌いなんだ! なんどもそう言っただろう!」

 オメガ聖女のフロリックが顔を真っ赤にして怒った。燃えるような赤毛のオメガの青年で、白百合で作った花飾りを頭に飾っている。

「この、のろま!」

 フロリックはティーカップをつかむと、思いっきり投げた。

「あっ!」

 ティーカップは銀髪のオメガ聖女の頭に当たった。

 ゴツッと鈍い音がし、聖女の銀色の髪がぐっしょりと濡れる。

 水滴がぽとぽと流れて、純白の聖女服が茶色く染まっていった。

「おまえが悪いんだ、反省しろ!」

「もうしわけございません!」

 深く頭を下げて謝った銀髪のオメガ聖女の名前は、アレクシア・パール。

 いつもなら、サラサラと流れる長い銀色の髪を背中でひとつにきっちりと結んでいるが、今はその美しい髪も乱れ、紅茶で濡れてびしょびしょだ。

 長いまつ毛に囲まれた大きな目をしている。瞳は神秘的な美しさの紫色。

 十八歳になったばかりのオメガの青年で、オメガらしい華奢で小柄な姿をしている。

 オメガ——とは、第二の性別のこと。

 この世界には女と男という性別のほかに、アルファ、ベータ、オメガという性別があった。

 アルファは知力体力ともに優れた性で、支配者層のほとんどをこのアルファが占めている。

 ベータにはそれといった個性はない。平民はほぼすべてがベータで、一生のうち自分がベータであることを意識することすらない。

 そしてオメガは、成人になると『発情』という大きな変化が起こる特殊な性だ。発情にともない首からフェロモンが出て、このフェロモンがアルファを激しく刺激して社会を混乱させるので、フェロモンを抑える『オメガ襟』をつけなければならない。

 セント・リリィ修道院のオメガ聖女の男女たちも、みなこのオメガ襟を聖女服の首元につけていた。

「ほんとうにおまえはのろまなオメガだ、はやくしろ、アレクシア!」

「は、はい! すぐにお持ちします!」

 フロリックの怒った声はまるで鞭のようだ。アレクシアの心臓が飛び上がるようにドキドキと鳴る。精一杯急いで修道院の厨房に走った。

 カップをぶつけられた頭がズキズキと痛い。だけどグッと我慢をして、大急ぎで紅茶を淹れなおし中庭に戻った。

「⋯⋯お待たせいたしました」

 音を立てないように気をつけながら、ティーカップをテーブルの上にそっと置いた。緊張して手が震えるので、カタカタとカップが音を立てる。

 フロリックは、「ふん!」と不機嫌な顔で紅茶を飲んだ。

 ——よかった、今度は大丈夫だったようだ。

 ホッとしてちょっとだけ肩から力を抜いた。だけどまだ安心はできない。いつまたフロリックたちの機嫌が悪くなるかわからないのだから⋯⋯。

 アレクシアは、セント・リリィ修道院のただひとりの平民オメガ聖女だ。

 セント・リリィの聖女になれるのは貴族のオメガ令嬢とオメガ令息だけ。それなのにアレクシアが聖女になれたのは、彼が赤ん坊のときに修道院の門前に捨てられていたからだ。

 今はもう亡くなった先先代の慈悲深い大聖女がアレクシアに聖女の身分をくれたのだ。

 セント・リリィ修道院は、元々は貴族のオメガ女性だけに門戸を開いていた。今では男性オメガたちも入門を許されているが、当時の名残りで男性オメガも『聖女』と呼称している。

 聖女は結婚も許されていた。貴族のオメガ聖女たちは修行が終わると、貴族のアルファと結婚する。

 そして大聖女ともなれば、国王との結婚も夢ではない⋯⋯。

「次の大聖女はだれだと思う?」

 ふふっと笑いながらフロリックが取り巻きに聞いた。

「もちろんフロリック聖女さまですよ!」

「そうですよ、フロリックさま以外には考えられません!」

 取り巻きの聖女たちが口を揃えて言うと、フロリックは満足げにうなずいた。

 今の大聖女は老齢なのでもうそろそろ代替わりの時期なのだ。

「じつは僕もそう思っているんだ。こんなに美しい『奇跡の白百合』を咲かせることができるオメガ聖女は、僕だけだしね!」

 フロリックが誇らしげに白百合の花冠に触る。

 奇跡の白百合——とは、聖女たちが癒しの力を使ったときに咲く花。

 オメガ聖女たちには不思議な力があった。

 病や怪我を治したり、万病に効くポーション(水薬)を作ったりすることができるのだ。

 聖女が奇跡の力を使うと、必ず真っ白な白百合が咲く⋯⋯。

 フロリックの赤毛の頭に乗っている百合の花飾りは、フロリックが聖女の力で病人を治療したときに咲いた白百合だ。

 聖女たちがお茶を楽しんでいるこの中庭に咲き乱れている白百合たちも、すべて聖女たちが奇跡の癒しの力を使った印として咲いた花々だった。

「ぜったいにフロリック聖女さまですよ」

「ええ、そうですよ!」

 フロリックは上級貴族の令息で国王とも知り合いだ。大聖女になったあかつきには間違いなく王妃になるだろう。

 未来の王妃の機嫌を損ねたら大変なので、聖女たちは必死で機嫌を取っている。

「ふふふ⋯⋯。じつは僕も、僕が大聖女になるって思っているよ! ⋯⋯ん?」

 笑っていたフロリックが、紅茶をひとくち飲むとまた急に不機嫌になった。

「紅茶がぬるいぞ、アレクシア! さっさと新しい紅茶を淹れてこい、うすのろめ!」

「は、はい——!」

 アレクシアは慌てて茶器を集めて厨房へ向かった。

「もっと走れ! ほんとうにのろまだな!」

「ご覧になってみなさま、亀が走っていくわ!」

 聖女たちが自分を笑っている⋯⋯。

 惨めさにギュッと唇を噛んで、アレクシアは走った。


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