夏実のおにぎり1
カウンターで片肘ついて夏実がぼんやりしています。
ボーッとしてるかと思うと、眉間にシワをよせて口をへの字にしてみたり、ニンマリ笑顔になったりしています。
「さよちゃん。あれはなんだい?」
小出さんには珍しくコソコソと小さな声で紗代子さんに聞いてきます。
「何かしらねぇ…なんだかお昼過ぎくらいからムスッとしたりニヤニヤしたり変なのよ」
今は他にお客様がいないので紗代子も小出さん達のテーブルに座り込んで小声で話します。
小出さん達は今朝もおにぎりプレートを食べにご来店してくださいましたが、今度は3時のおやつに、と再びご来店です。
毎度ありがとうございます。
「江口先生に告白されたんじゃなぁい?」
田中さんがアイスティをストローでクルクルかき混ぜながらニヤリとしました。
『ええっ!?』
思わず大きな声を出してしまった田中さん以外の3人が慌てて手で口をふさぎますが、夏実はこちらの声を気にした様子もなく、ぼんやり庭のほうを眺めています。
以前、このお店でろうけつ染めをしたあの日に愛の告白なのかなんなのかわからないことを言っていた江口先生ですが、それからも普段通りにいろはにやってきていますし、夏実も普段と変わらないように見えてました。
「そんなはずないと思うんだけど…だってお店でも家でも私が一緒にいたわよ?」
壁に飾られたろうけつ染めを見ながら紗代子が言いました。
「何言ってるのぉ、紗代子さん。今はスマホだってパソコンだってあるじゃなぁい」
さすがスマホを駆使する田中さん。鋭いですね。
「それもそうねえ…」
「夏実ちゃんもお年頃だからさ、そういうお話があったって不思議じゃないでしょう」
吉見さんはホットコーヒーをズズッとすすりながら続けます。
「江口先生の人柄はよく知らないけど、ちゃんと働いてるんだし優しそうだし、良いんじゃないの?」
「あの先生はどこのご出身なのかしらぁ」
「確か県内だよ!」
江口先生の住むアパートの大家である小出さんが個人情報漏洩しています。
「じゃあ遠くに帰省しなくて良いわねぇ」
「待って待って。江口先生がどうのとかではないんだけど、あの夏実のぼんやりした様子はそういうことじゃないと思うんですよ」
「さよさん。いつのまにか子供は大人になるものよぉ」
夏実をよく知る祖母の紗代子は、夏実のあの様子は恋愛関係ではないと思いますが田中さん達は止まりません。
いくつになっても女性は恋バナが好きということでしょうかね?
「ちょいと、なっちゃん!」
田中さんと吉見さんの恋バナに参加せず、黙っていた小出さんでしたが夏実に直接声をかけます。
「う?んはあ?」
へんな声を出して夏実がこちらを向きました。
「なっちゃん、あんたニヤニヤしたり難しい顔したり、いったいどうしたのさ!」
「え?…やだぁ。私、ニヤニヤしてた?恥ずかしい〜!」
我に帰った夏実がいつものぽへ〜ッとした顔で照れていると
「何があったんだい!」
「なんでもないよ」
「そんなニヤニヤしたり考え込んだり、何もないわけないだろ!」
田中さん、吉見さんは期待を込めた目で夏実を見つめて続く言葉にワクワクしてるようです。
「いや…あの…あのね…おばあちゃんに相談してからって思ってたんだけど…」
テーブル拭きをこねくり回しながら言いづらそうに口を開く夏実。
「テレビから取材の申し込みが来たの」
『テレビ!?』
4人の声が揃います。
「すごいじゃないか!」
「んま〜!テレビから?」
一斉にみんなが色めき立ちました。
「いつテレビが来るのぉ〜?」
「あ、いや…まだお受けするかは決めてなくて」
「どうして?テレビから取材されるなんてすごいことじゃないの!」
「え、いや…あの…」
「夏実。そんな話、いつあったの。おばあちゃんに教えてくれても良いのに」
「さっきメールチェックしたら来てたの。あとでおばあちゃんに相談しようと思ってたの。ごめんね」
「テレビに取材されるなんて嬉しいことだろ?なんでそんな難しい顔してんのさ!」
「それがさ…おにぎりじゃなくてスイーツ特集なんだって」
「ここのスイーツ美味しいわよねぇ」
田中さん達は目の前の夏実手作りスイーツを見つめて言います。
「うん。毎日でも食べたいぐらい。我慢するのが大変」
今日のおやつはサクサクのパイ生地にトロッとしたクリームチーズ。上には香ばしいキャラメルソースが細くかけてあります。
夏実は専門学校や勤務先のベーカリーで長年、パンやお菓子を作っていたため、ちょっとしたものなら手早く作ることができます。
いろはのスイーツは午後のティータイムのほんのお茶請けのつもりでパパッと作ったお菓子なので定番商品はありませんでした。
紗代子はスイーツ特集と聞いた瞬間、夏実の気持ちがわかり、他のみなさんのように手放しで取材依頼を喜べませんでした。
「夏実ちゃんのスイーツは絶品よぉ。おにぎりも美味しくて私だぁい好き」
知ってか知らずか田中さんはおにぎりもほめることを忘れませんでした。
さすが年の功というとこでしょうか。
「へへ。ありがとうございます。おにぎりの取材だったら即OKだったんだけどな〜」
「おにぎりも!お菓子も!飲み物だってこのお店は最高だよ!自信持ちな!」
「このお店の雰囲気もね。夏実ちゃんや紗代子さんのやっているこのいろはが居心地良いから私達、毎日のように来てるのよ」
小出さんも吉見さんもなぜだか煮え切らない夏実を励ますのでした。
◇◇◇
「おばあちゃんはどう思う?」
営業時間終了後の静まった店内にて、夏実はいつものように厨房の片付けをしながら紗代子に話しかけました。
「取材のことかい?」
「うん」
「おばあちゃんはどっちだって良いと思うよ。夏実が気乗りしないんならやめておけば?」
夏実は小さな頃から自分がやりたいと思ったことは粘り強く取り組むたちだけど、たいして興味はないけどやらなくちゃいけないようなことは、しっかりやるにはやるけど、こう…なんというか見てる私までモヤモヤするような出来だからねぇ…不完全燃焼というか…何にしても夏実自身が乗り気にならないと良い結果にはならないと紗代子は思いました。
「宣伝になるとは思うんだけど…」
「テレビにでたらお客様は一時は増えるだろうけど、結局はこの店を気に入ってくれる人しか残らないわよ。だから夏実が面白そうだと思えば、お受けすれば良いし、そうじゃないなら断っても良いんじゃない?」
「うーーーーん!面白そうって思う反面、面倒とも思うんだよーーーー!」
「ふふふ。一晩ゆっくり考えたら」
そうは言うものの紗代子さん、いつもより念入りに掃除してますね?
一晩ゆっくり考えたら、と紗代子は言いましたが、そうもいきませんでした。
「夏実ー!取材の話きたでしょ?」
その晩、電話してきたのは咲希です。
「さっちゃん?なんで知ってるの?」
「何でって、中学のときの同級生の田原くん、覚えてる?その田原くんがテレビ局に勤めてるんだって。なんかおしゃれなお店知らないかって聞かれたから夏実のお店を勧めたの。朝の番組で使いたいらしいよ」
「田原くん…?」
「メガネかけてて…何部だったかなぁ。忘れちゃったけど夏実も同じクラスだったでしょ」
「田原くん…」
思い出せるような出せないような。
「それでー田原くんから夏実からまだ返事来ないってさっき電話あったんだよ。田原くんに夏実の電話番号教えて良い?」
「う、うん。良いけど…。あ、でもまだ!まだ取材受けるかどうか決めてないの!」
「えーどうして?」
「だってスイーツ特集だもん」
「夏実のお菓子美味しいよ?」
「『いろは』はおにぎりがメインだし」
「名前が『おにぎりカフェいろは』なんだからおにぎり屋なのは一目瞭然じゃない。紹介されるのはスイーツだとしてもおにぎりがメインなのは誰にでもわかるでしょ?」
「そっか…」
咲希に言われてみればそれもそうかもなと思えてきました。
おにぎり屋なのにスイーツで取材依頼が来たことになんとなく引っかかりを感じていた夏実はそれを取り除かれた気分です。
「じゃあ田原くんに夏実の番号教えるからね!取材日決まったら教えてね!」
咲希からの電話が切れて、すぐに見知らぬ番号からの着信がありました。
「あ!大野さん?田原です。久しぶり」
「あ、はい。大野です…」
「取材依頼のメール見てくれた?」
「見ました…」
「それでどうかな。取材引き受けてくれる?」
「う、うーん。実はまだ決めかねていて」
「どうして?何か気になることがあるの?」
「えっと、率直に言いますと、うちはおにぎり屋なんですよ。スイーツはその日の気まぐれで作ってるし定番デザートってコーヒーゼリーくらいしか置いてないんですよ」
「え?そうなの?僕が昨日行ったとき食べたティラミス。もう食べられないの?あれ美味しかったのに〜」
「え?昨日?来たの?うちに?」
「どんな店か知らずに取材はできないだろ?近所なんだから行ったよ。新しくお店が出来てたのは知ってたんだけど大野さんのお店とは知らなかったよ。おにぎりプレートとティラミスとアイスコーヒーを頼んだよ。おにぎりは生姜と青紫蘇のやつと、鮭。あとは小さい高野豆腐が入ったやつ。高野豆腐からジュワッと出汁が出てきて美味しかったよ。キムチも食べてみたかったけど出勤前だからやめたんだ」
「声かけてくれれば良かったのに」
「その場で取材お願いしようかと思ったけど、忙しそうだったからメールにしたんだ。定番のスイーツメニューがないってことだけど、それも売りにすれば良いよ。何が出てくるかわからない。何が出てきても美味しい。ってね」
「そうなの…」
「SNSでは毎日紹介してるでしょ?」
「SNSも見たの?」
「そりゃ見るさ。いくら竹林さんの紹介でもどんなとこか一応確認してみないと」
「ふーん。」
「で、どう?OKしてくれる?」
「う、う…ん?」
「良かった!じゃあ明日行くから。昼時は避けるから大丈夫!」
「あ、明日?!」
「急いでたんだ。助かったよ。ありがとう!」
「え?ちょ、ちょっと!」
夏実が慌てますが、すでに電話は切れています。
どどど、どうしよう!おばーちゃーん!
夏実は階段を駆け下りました。
◇◇◇
翌朝、いつもの時間にいつも通りの朝の準備をする2人。
前夜、取り乱す夏美に紗代子は言いました。
「そんなこと言ったってさ、これから特別なにかするってわけにもいかないよ。取材が来るからって取り繕っても、やり慣れないことすると後々困るだろうし」
紗代子の言うことももっともです。
「そうだね。そのままで良いか」
「いつもの夏実、いつものいろはで良いのよ。明日のデザートは決まってるの?」
「明日は桃を使ったレアチーズとマーブルケーキが用意してあるよ。スポンジやパイ皮は冷凍してあるからいつでも焼けるし…クリームもある。アイスもある。」
「じゃあ大丈夫だ。あとは夏実の笑顔があればバッチリ!」
「ははは!そうだね。いつも通りで大丈夫!あ、でも田原君が美味しいって言ってたティラミス風のデザートだけ作ろうかな」
ティラミス「風」ですのでマスカルポーネチーズは使っていません。
いろはに常備されているクリームチーズ、コーヒー、ココアなどの素材で作れる簡易的なティラミスなのです。
「じゃあ明日はちょっとだけ早く店に行くよ」
取材依頼のメールを見てから落ち着かない気持ちだった夏実はすっかり平常心です。
「それで夏実。取材の田原くんはいつ来るの?」
「…わかんない。聞いてないから」
「聞いてないの?」
「明日なんて言うから、すっかり慌てちゃって聞くの忘れちゃった」
「まあいつでも良いけど忙しいときだと困るね」
「昼時は避けるって言ってたよ。あ、咲希に連絡するの忘れてた。ちょっとメールしてくるね」
ご来店ありがとうございます!
お越しくださいまして感謝です!
昨日、「登場人物」エピソード1に投稿しました。
自分でびっくりするくらい人が出てきてました。
「登場人物」は随時更新します。
次回の更新は8月26日(火)を予定しております。
またのご来店を心よりお待ちしております(はぁと)