9
「あの、レニール様……」
レニールは後ろをついてきたセイルの弱々しい声に振り返った。
「なんだね、セイル」
彼の表情は暗い。長年支えてきた「聖女様の裏切り」に、思う所でもあるのだろうかと、その顔を見下ろした。
当時、十を数えたばかりの子供にそんなことができるわけがないと、少し考えればわかりそうなものなのにと心の中で嘲笑する。
だが、レニールの言うことを、決して疑わないようにと注意深く育ててきた結果だと思えば、彼のその反応は非常に満足のいくものだった。
セイルはレニールが己の手駒とするため、幼少期に孤児院から引き取り、自身を崇拝するように育ててきた駒の一つだった。
「聖女様をどうするおつもり、なのですか……」
ぼそぼそと疑問を口にしたセイルに、嘲るような気持ちを押し隠したまま、いかにも優しげな笑顔を浮かべた。
「おかしなことを聞くのだな? 聖女様はじきにお目覚めになる。これまでと変わらず、お仕えするだけだよ」
そう、今までとやることは変わらない。
レニールの本来の計画では十年前の時点で聖女アンを殺害し、その後釜として自身の娘を聖女に押し上げる予定だった。
だが何故か用意した呪いがうまく働かず、聖女は昏睡状態となった。
ならばとその兄を懐柔する方向に方針を転換してみたものの、信頼を勝ち得ることはできなかった。
何のために方々まで手を回して、聖女の護衛に内定させたのかと、一時期はセイルを疎ましく思ったものだった。
しかし、やっとツキが回ってきたらしい。
「……いえ、レニール様。アン様の、ことではなく」
「ああ、あの聖女を騙り害した男のことかね?」
セイルは己の計画を殆ど知らない。レニールが野心を強く持っている、ということには気付いているのだろうが、それだけだ。
「そうだな、お前に一つ働いてもらいたい」
セイルが顔を上げる。
「一体何を……」
「それは――」
その時、外の廊下を走る足音が聞こえた
「失礼いたします!」
「どうした」
慌てた表情で部屋を訪ねてきた足音の主は、レニール子飼いの神官だ。
「聖女の兄と薬師が姿を消しました」
「――!?」
驚いたのか息を呑んだのはセイルだった。
レニールは、ニィッと笑う。
「これは丁度いい。セイル、お前に仕事を与えよう」
「レニール様、今は――」
レニールは、彼の言葉を制して懐から短剣を取り出した。その柄には呪術が刻み込まれている。
「これを使って、始末してくるんだ」
「なに、を……」
「言わなくてもわかるだろう?」
レニールは、その短剣をセイルに押し付けるようにして渡す。
「レイモンド・アーデルハイン――。聖女の兄を、殺してきなさい」
あの兄妹を亡きものとすれば、後は全て自分の思い通りになるのだから。