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 アンの部屋に辿り着いたレイモンドは、小さな燭台に火を灯した。

「暗くて悪いけれど……」

 ここに人がいると気付かれてはならない。そのため夜の今は特に、明かりを取ることが難しかった。

「かまわないわよぉ、呪術に顔色は関係ないもの」

 さっそく、とアンの枕元に寄ったジェインは、その首元にある呪術の痕を見て眉根を寄せた。

「これは……」

「何かわかった?」

「なんていうかぁ……、この子が『聖女』じゃなかったら、たぶん今ごろ死んでたわよ」

「そんなに……、酷いものなの?」

 ジェインは肩を竦めて頷いた。軽い調子で言われた言葉だったが、冗談であるような雰囲気は欠片もない。

 自分があの時あのまま箱に触れていたならば、と考えれば、アンはまさしく己の命を救ってくれたのだと感謝の念が湧く。少しそれと同時に、やはり彼女を犠牲にしてしまったという罪悪感が胸を刺した。

「それで、ジェイン。この呪いは解けるの?」

「正直、かなり難しいわねぇ。この子が救った『聖女の力』が、呪いをより複雑にしているの」

 かつて解呪に失敗してきた者たちが言っていた、「解呪を阻む大きな力」というのが、ジェインの言う「聖女の力」同等のものだろう。

「ほとんど無理、と言っても過言じゃないわ。ただし、わたし以外ならねぇ」

 パチンと片目を瞑るジェインに、レイモンドは俯きかけていた顔を上げた。

「それって……」

「――――っう、く」

「アン!?」

 その時突然、アンが呻き声を上げた。

 十年ぶりの声だった。しかし喜ぶことはできない。ベッドを覗き込めば彼女の表情は苦しみに歪み、脂汗が浮かんでいる。手はギュッとシーツを握りしめていた。

 何かしたのかとジェインを見るが、彼女も困惑の表情を浮かべて、何もしていないと首を振った。

「よくわからないけれど、呪術の力が強まっているみたい。見て、文様が光っているでしょう?」

 ジェインの言葉通り、彼女の指差す先では、アンの首元の痣が赤黒さを増し、うっすらと光を帯びている。

「どうしたら……」

「今すぐ解呪しなければ。鞄を取ってくれる?」

 レイモンドは、ジェインの持参していた鞄を彼女に渡した。その中には何かの器具や、薬草、液体の入った小瓶など、様々なものが詰められていた。

「これとこれ……、それから……」

 ジェインは幾何学模様の描かれた小さな紙をアンの胸元に置いた。その上に薬草の葉を散らす。次に彼女は黄色味を帯びた少し粘性のある液体を取り出し、それをアンの額に塗る。

「それは?」

「聖油よぉ。呪術に絡まった聖女の力を抑えるために使うわ」

「それって、大丈夫なの?」

 アンは聖女の力によって命を繋ぎ止めていると、ジェイン自身が言っていたはずだ。不安になって訊ねると、ジェインは少し困った顔した。

「……本当のことを言うと、少し危ないわねぇ。でも、それをしないと解けないの」

「――わかった、ジェインを信じるよ」

 大丈夫だと安請け合いするよりも、彼女もその返答は信用できる気がした。

 信じるという言葉に安堵したのか、少し表情を緩めたジェインは、頷き返すと表情を引き締めた。

「はじめるわ」

「あの、さ。アンの手を握ってもいい?」

 レイモンドの問いに一瞬ぽかんとしたジェインだったが、ふっと笑って頷いた。

「えぇ、握っていてあげて」

 レイモンドがアンの細い手を包み込む。呪いの影響で苦しいのだろう。握り返してきたその手の力は、痛みを感じるほど強かった。

 ジェインがアンの上に置いた紙に手をかざす。そして、彼女が目を閉じた時、どこからともなくぶわりと風が吹いた。その風はジェインの服をはためかせ、髪を巻き上げる。それからアンにかざした手を中心に、淡い光が灯る。その光はアンの身体全体を包むように広がっていった。

「っ……」

 ジェインの額から汗が滑り落ちる。

「もぅ、すこし……」

 反発するようにアンの首元の痣が赤黒い光を放つ。レイモンドの手を握るアンの力も強まった。

「――ッ」

 アンが苦しげに息をついて、ギュッとレイモンドの手を強く握りしめる。その瞬間、ジェインの手から放たれていた光も、目を開けていられないほど眩しいものとなった。

 その光が治まるのと同じように、アンの手からも力が抜けていく。レイモンドは目をこすってアンの顔を覗き込んだ。

「あ……」

 顔で首元の痣が消えている。そして、アンは何事もなかったかのようなやわらかな表情で、寝息を立てていた。

「ああ、アン……」

 レイモンドはアンの頬に手を滑らせる。

 この子が眠っている。今までのような、生きているのかもわからないような眠りではなく、ただ本当にすやすやと眠っている。握っていた手を手首に移動させれば、脈まで感じられた。

「もうしばらくしたら、目も覚めると思うわぁ」

 ジェインは紙や薬草を片付け、額の聖油を布で拭いながらそう言った。

「ありがとう、ジェイン……。本当に、ありが――」

 彼女には何度お礼を言っても言い足りない。そう思いながら感謝の気持ちを口にしていた時だった。

 それ以上声が出ない。何かが上がってくるような嫌な感じガがした。口元を手で押さえ、アンから顔を背ける。

「レイモンド……!?」

 酷い咳き込み方をした。身体を折り曲げて、その発作が治まるのを待つ。

「――ここにいるのですか!? 今の光は……、――!!」

 その時、部屋へと入ってきたセイルが瞠目する。

 レイモンドは、何をそんなに驚いているのだろうと、彼をぼんやり見上げながら、ふと己の手のひらを見た。

「あ……」

 その手は真っ赤な血で染まっていた。受け止めきれなかった鮮血は、腕と胸や足まで、血に染めている。

「まさか、呪詛返し……!? どうして……」

 レイモンドの傍に膝をついたジェインは、レイモンドの顔を覗き込んで青ざめている。

「――これではっきりしましたな」

 セイルの後ろから現れたレニールが、愉悦と侮蔑の混じった笑みを浮かべながら現れる。

「我らが聖女様を呪ったのは、妹君の地位を奪おうとした貴様であると」

 何か反論しなければ。

 しかし血を失いすぎたのか、視界がぐらぐらして、もう頭がまともに動かない。

「…………けて、」

 レイモンドは重い頭を必死で上げた。そこには、顔色を失ったまま動けないでいるセイルの姿がある。

「セイル……」

「――――、ッ!」

 視界が急に反転して暗くなる。

 レイモンドは意識を失った。

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