7
聖女を部屋に送り、一人になったセイルは、意図的ではなく溜息が漏れ出た。
部屋の近くに与えられた自身の部屋に戻るが、その憂鬱な気分は晴れてくれそうにない。
三日間のぎこちないやり取り、そして森で聞いた彼からの非難のような厳しい言葉が思い出される。
自分も知らない間に、あの方のことをあんなにも追い詰めさせていたのだろうか。
自分の言葉の何が気に触ったのかはよく分からなかったが、それでもあの時の彼が、どこか泣きそうな顔であれらの言葉を口にしていたのだけは分かっていた。
「『一度も』……、その後はなんだったんだろう」
自分から距離を取った彼に、この三日間ずっと抱いていた疑問だ。聖女の顔を崩さない彼に、今更聞くのは難しかった。
「――失ってから気付く、って本当だったんだな」
一線を引かれた態度に、どうしようもなく寂しさを感じていた。友人ではない、打ち解けた仲というわけでもきっとないだろう。それでも想像以上に、心を許していたのだと気付かされた。
彼と話をしなければ。あんな感情的なやりとりではなく、彼が何に対して怒っていたのか理解したいと思った。そして今度は、あの言葉の続きを……。
その時、遠くで扉の開く音がした。
「聖女様の部屋……?」
この近くには、人のいる部屋は彼のものと、この自分の部屋しかない。人通りもほぼなく、夜はとても静かなためその音が妙に響いて聞こえたのだ。
彼がこんな時間に出かけるなんて珍しいことだった。
「……様子を見てこよう」
どことなく不安になり、セイルは部屋を出た。
廊下をぐるりと見渡し、そこに人影を見つける。だがそれは探していた人物ではなく――
「レニール枢機卿……?」
「おや、こんな夜更けにどうしましたか、セイル」
「レニール様こそ……。私は、聖女様のお部屋から物音が聞こえたのが気になって」
「物音?」
「はい、おそらくお部屋を出られたのだと思うのです。そちらでは見かけておられませんか?」
レニールは、顎に手を当てて少し考えた後首を横に振った。
「見ていませんね……。こちらには来ていないと思いますよ」
「そうですか……、ありがとうございます」
セイルは、彼が来たのとは逆側に視線を奔らせ、そちらへ一歩足を踏み出そうとする。だが、レニールがそれを引き止める。
「お待ちなさい、セイル。随分と急いでいるようですね。何かありましたか?」
「何かあった、というわけではないのですが……」
その時ふと、森の中で交わした言葉をふと思い出す。
――そんなにジェインのことが信用ならないなら、君の後見人――レニール卿に聞くといい。
「あの、レニール様。ジェインという薬師を知っていますか?」
「……その名を何処で?」
空気が一瞬でピンと張り詰めたのが分かった。レニールは変わらず笑顔だが、その目の奥は笑っていない。
まずい名前を口にしたのだと理解させられる。
「あ、いえ……。その、腕のいい薬師だと聞いたので、もし御存じなら意見を伺いたく……」
「意見……、どのような?」
「信用に、足るかどうか」
「――なるほどそうでしたか」
張り詰めた空気が一瞬にして霧散した。理由は分からなかったか、ひとまずほっとする。レニールは腕を組み、少し考え込むような顔で口を開いた。
「たしかに、彼女は腕の良い薬師だと思いますよ。人智を超えた薬を生み出すこともできる。ですがそれゆえに、危険です」
セイルは息を飲んだ。その様子を目ざとく見つけたレニールは、目を眇めてセイルを見た。
「まさかもう、聖女様に会わせてしまったのですか?」
「……は、はい」
セイルが頷くと、レニールは難しい顔をした。
「それは良くない。ジェインなる女は、聖女様を利用しようとしている」
「利用……?」
「ええ、そうです。そもそも私はここまで来たのは、聖女様の部屋のバルコニーに人がいるようだと知らせを受けたからのです。部屋の中へ入っていく後ろ姿を見たとのことだったので、聖女様御本人か確かめに来たのですよ」
「――もしその人影が、聖女様でなかったなら……」
セイルは本物の聖女が眠っている部屋の方角を振り仰いだ。
「レニール様。聖女の眠る部屋へ参りましょう」
「……私もそれが良いと思います」
セイルは足早に歩きはじめる。その後ろでレニールが、ニヤリと笑っていたことには気が付かなかった。