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「っ……」
目の前にいるレイモンドが、緊張で身体を固くしたのがセイルにはわかった。
今彼を糾弾したのは枢機卿。枢機卿という身分も、国民から深い信頼を得ている。そんな人間が聖女を貶めた存在としてレイモンドの名を挙げれば、当然彼らの怒りはこちらへ向かう。
レイモンドの髪と目の色により、人々も半信半疑であるようだが、次第に疑念の方が大きいあるのを感じる。
当然といえば当然だ。
今のレイモンドは、薬が抜けた影響により、急速に少年期を脱しようとしている。長い髪や纏う衣装は彼が大聖堂を抜け出した時のままのため、遠目には女のように見えるままだろう。だが、近くにいる者は分かるはずだ。彼の身体つきも相貌も最早、女のものではない。
「セイル、降ろしてくれ」
レイモンドは静かな声でそう言った。
「……はい」
先に地面へと降りたセイルは、彼は馬から降りるのに手を貸す。
「ありがとう」
今まで彼を聖女として崇めていた者たちも、もし騙されたのだと判ずれば、いつ暴徒と化すか分からない。その状況で、彼も恐ろしさを感じないわけではないだろう。
それでもレイモンドは穏やかに笑った。重ねられていた手を離し、凛と前を向く。
その後ろ姿は、彼が聖女として振る舞ってきた姿と、なんら変わることはない。
強い人だと思った。
そんな貴方だからこそ、何をおいても守りたいのだと改めて思う。だが彼は決して、この腕の中に収まってくれている人ではない。
今もそう。セイルの手を離し、守られてはくれない。
それでももう傍を離れはしない。あの夜のように、倒れる貴方をただ見ているだけなどという無様な真似は、もう二度と。
セイルはこの十年、いつもしていたように彼の後ろに控えた。レイモンドは一瞬だけ後ろを向いて、こちらに微笑みかけた後、また前を向いて口を開いた。
「――レニールの言う通り。私は聖女として、皆さんの前に立ってまいりました」
少し低くなったレイモンドの声が響く。
決して声を張り上げているわけではないのに、人々に届く――聴かせる、不思議な声は変わらない。聴衆は怒るでもなく、静かなざわめきが広がるに留まっている。
「私があなた方を『騙していた』というなら、その通りでしょう。その謗りは如何様にも受けるつもりです。ですが――」
レイモンドはスッとレニールに視線を移した。
「私が何故、この十年もの間、聖女の――真なる聖女の身代わりを務めねばならなかったか。そして、本当に悪しき妨害者は誰なのか……。賢き聖女の民ならば、真実を見抜けるものと信じております。そうですね、レニール」
同意を求めるようにレイモンドは薄く微笑んだ。
「さあ、答えてください。他の枢機卿はどうしました? 今日は新しい聖女の披露目の会なのでしょう? どうして貴方と……、その娘しかいないのですか?」
枢機卿はレニールを含めて三人存在する。本当に新しい聖女が降臨したとなれば、当然あと二人の枢機卿この場にいなければおかしい。
周囲に神官たちはいるものの、どの人物もレニール寄りの人物ばかりである。
だが、レニールは余裕の表情で頷いた。
「我が娘――真なる聖女様の御意向によるものだ。謙虚なる我が娘は、盛大な場を好まれず、付き添いも父である私だけで良いと仰せになったのだ」
しゃあしゃあと論理を述べるレニールだが、レイモンドもその返しを予想していたのか、にっこりと微笑む。
「そうですか。それは安心しました。てっきり、呪術で彼らを動けないようにしたのかと。……本物の聖女様にしたように」
レニールが本物の聖女――つまりアンを害したと言ったも同然の言葉に、ざわりと群衆が動揺する。レニールが少しだけ動揺に目を泳がせるのを、セイルは見逃さなかった。
「狼狽えるな!」
レニールが声を上げる。
「よもや罪人の戯言を信ずるわけではあるまいな? その者は私欲のため、聖女を騙り続けた者であるぞ!」
レニールの言葉に、再び疑惑の目がこちらに向けられる。レイモンドが聖女を騙り続けていたというのは、紛れもない事実だ。それがある以上、場を完全にこちらにつけるのは非常に難しい。
ここまでか。
そう思ったセイルはレイモンドを守るべく、彼の前に出ようとする。だが、それをレイモンドが手を掴んで止められた。
「大丈夫、来たよ」
レイモンドがレニールの後ろにある扉へ目を向ける。セイルもそちらへ視線を移した時、その扉が開いた。
「『罪人』は、一体どちらなのかしらねぇ」
そこには、残り二人の枢機卿、そして本物の聖女であるアンを連れたジェインの姿があった。