6 氷を求める令嬢①
有休休暇1日目
わたしは割と穏健派だし、慎ましやかな性格だ。
争いは好まないし、口喧嘩も苦手。
相手の意見を尊重するし、クレームがあっても大抵のことは流せる。
それが大人としての嗜みだし、自分の感情を客観視できる余裕がないと医術師業はやってられない。
ただ、そんなわたしでも時には引けないときがある。
「傷口には消毒じゃなくて生理食塩水!」
「いや、ここは消毒するべきでしょう!」
通りがかりの若いお兄さんと揉めていた。
非番の中央神殿の神殿騎士なのか、腰には剣を携え、首には医神ケイローンの首飾りをつけていた。
高身長にすらりとした体幹、脚、鍛え上げられた肉体は服の上からでも分かった。
動作一つ一つに無駄がなく気品に溢れ、明らかに育ちの良さを感じる雰囲気を纏っていた。
よく見ると目鼻立ちの整ったイケメンだ。
艶のある漆黒の髪と藍色の澄んだ瞳をみていると吸い込まれそうになる。
カイルがイケメン殿堂入りするんだったら殿堂入りトップ十には入っていそうな美丈夫だ。
通りを歩く老若男女、立ち止まっては彼に視線を向け頬を紅く染めてきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえる。
魔性とも言える姿は国宝と言っても過言では無いだろう。
この人だと顔面国宝扱いなんでしょうね。
対してわたしには殺気ともとれる痛い視線を感じる。
これはわたしが悪者になるパターンだ。
分が悪い。
左手の薬指に紅い宝石の指輪をしているから、既に既婚者か。
当然といえば当然の結果ね。
貴公子然とした容姿と物腰柔かな言葉遣いだったが言い争う内に相手も語気が荒くなってきた。
「あっ⋯⋯あのぅ。井戸の水でキレイに洗うんで」
怪我をした女の子はヒクヒクしゃくりあげながら、わたし達の様子をみていた。
女の子の親御さんもどうしようかと戸惑っていた。
「「いえ、手当てします!!ここはちょっと決着をつけさせて下さい!!」」
わたしと青年はお互い同時にはもる。
しかし処置を譲らない所から相手にも矜持があるらしい。
何があったかというと、わたしは無事に宮廷を去り、帝都の中央広場で乗合馬車の停留所まで行った。
南方神殿行きの馬車は昼過ぎに出立する予定だったので、少し早い昼ご飯を食べて待っていた時だ。
目の前で小さな女の子が盛大に転んだ。
すぐに父親らしき人物が抱き上げ、あやしていたが、転んだ時に打った膝には傷があり、血も出ていた。
ここは医術師として見過ごせない。
傷口を手当てしようと駆け寄るとこの青年も同じ考えだったらしい。
怪我を見せて貰い処置をしようとしたら、これがまた治療方針で揉めるハメになったのだ。
「傷口を消毒したら、いい常在菌まで死ぬし、細胞も傷みます!ここは細胞外液と同じ成分のわたし特製生理食塩水で洗い流して」
わたしはカバンから生理食塩水が入ったボトルを取り出した。
「いや、消毒しないと!化膿したらどうするんです」
その青年も消毒液の入ったビンをカバンから取り出した。
くぅっ!!ここでも、現代医療の常識は異世界の非常識。
やたらと治療を阻まれて進まないじゃない。
消毒液は正常な細胞も傷つけるから、洗浄後は使わないのが基本なんですよ。
「あのぅ、子どもも泣きやみましたので、これで⋯⋯」
明らかに困惑している親子にわたしは一歩前に詰め寄る。
「申し訳ない」
青年がペコリと頭を下げた瞬間をわたしは見逃さなかった。
「隙あり!!」
わたしは子どもの止血を確認し、用意していた生理食塩水を傷口の膝にかけて洗う。めくれた皮膚でも肌と繋がっているものはきれいに伸ばして生理食塩水に浸したガーゼを被せて包帯をした。
「生理食塩水は細胞と同じだから井戸水よりしみないでしょ?」
「手慣れているんですね」
青年は感心する。
ふふん、異世界で鍛えられたこの包帯術をとくと見よ!現代日本じゃ絆創膏をペッと貼れば終わりなのに、この異世界じゃ絆創膏がないときた。
必死で包帯を巻く練習をしたおかげで、ここへ来て包帯法の手際の良さは神殿医術師の同期随一なんだから。
「うん、ありがとう」
女の子は笑顔を見せてくれた。
やっと解放された安堵感があったのか、親子はペコリと頭を下げてそそくさと帰って行った。
「どうしてガーゼまで浸すんです?」
先ほどの青年は思うことがあるのか、まだ立ち去っていなかった。
「湿潤療法というやつです。傷口を乾燥させないほうが早く治るんですよ」
「君はどこの医術師ですか?」
「わたしは西方神殿のエイル・オーデルハイヴ。あなたこそ、どちらの神殿騎士ですか?」
「あぁ申し遅れました。わたしは中央所属の神殿騎士、ヴォン・ヴォニエール」
お名前が、可愛いお菓子の小箱を連想してしまう。なんだか可愛いすぎて偽名みたい。
しかも所属は中央か!
地方の神殿には、神殿騎士と神殿医術師が同じ神殿に所属する。
医術師自体が貴重な人材ということもあり、他の国から攫われたり、戦争ではあえて医術師から狙われたりするため、神殿騎士が護衛となって医術師を守ってくれる。
有事の際は神殿騎士が戦時で活躍し、その土地を守る役割もある。
中央神殿は別格で騎士でありながら医術師でもあるのでこの界隈ではエリートだ。
頭のいい貴族の子息が騎士と医術師の資格を両取りできるからと中央神殿に所属する。
戦地では活躍でき、平時でも医術師として地位と仕事があるから人気がある。
それもあり貴族階級出身者が多いのよね。
ただ知力体力も並外れて高くないといけないんだけど。
「あなた、神殿騎士じゃないんですか?」
「メインは騎士ですが、中央神殿はどちらも名乗れるんですよ」
そうか。帯剣していたから神殿騎士だと思ったけど、中央神殿出身者は医術師も履修してどちらも名乗れるんだった。
現代日本なら衛生兵ね。
「どうして氷がないの!!」
ヒステリックな甲高い声が広場にこだまし、わたしとヴォン・ヴォニエールは思わず顔を見合わせた。
「もう宮廷にお納めする分しか残っておらず、申し訳ありません」
発する声の先には立派な馬車が店に横付けされていた。店主と思われる恰幅のいい中年の男は令嬢をなだめながら、外までお送りする途中のようだ。
「宮廷に納める分をこちらにまわすことはできないの?!」
「申し訳ありません」
苛立ちが収まらない令嬢はまだ店主に食って掛かっていた。
夏も終わりに近いといえど、まだまだ暑い。
氷を求める令嬢が店にわざわざ乗り込んで行ったようだった。
わがままとも言える要求だけど、氷なんて贅沢品を買えるなんて羨ましい。
わたしなんて、こちらの異世界に来てから夏に氷なんて食べたことがない。
かき氷にアイスクリームなんて、今や遠く懐かしい記憶だ。
作り方は分かるのに、文明の利器、三種の神器と持て囃された冷蔵庫がこの異世界にはない。
冬に風邪をひいた人にアイスクリームは作ったことはあるけど、この時期に氷を手に入れるのはかなり難しい。
悔しいかな、この時期にアイスクリームを売ったら大成功だろうに。
氷を売っているお店も氷室をもっているから提供できるのだ。氷室と呼ばれる洞窟などに冬に凍った氷を保存して天然の冷凍庫にしている。
冬に作った氷にも量に限りがあるから、令嬢に売る分はもうないのだろう。
「ない」といわれているが、令嬢はなかなか引き下がらない。
「あれだろ?取り憑かれた令嬢だろ?」
「氷が欲しいって度々きているらしいわね」
「氷が買えるまでずっといるみたいよ」
まわりの野次馬がヒソヒソ話していたのが耳にはいる。
氷に執着するなんて⋯⋯。
余程、氷が好きなのか。
わたしなんてかき氷を食べたくても夏の氷は高級品。とても買えないからな。
現代日本の便利さが恋しい。
露店で食べるいちごシロップがたまらなく美味しい。みぞれに抹茶、レモンも捨てがたい。
前世を羨んでも仕方ないんだけど。
あれ?
あの令嬢、なんだか顔が真っ青でげっそりしている。
ヒステリックな令嬢に違和感を覚えた。
苛立ちが強い。
十五歳くらいだろうか。
若い顔立ちなのに血色が悪く表情も暗い。
身体は痩せていて、ふらつきも見られた。
なんだか危なっかしいな。
そう思った時だ。
あっまずい。
令嬢が急に倒れこんだ。
従者に説得されながら馬車に乗ろうとして、ふらついたのだ。
幸い従者が抱え込んで地面に激突するようなことはなかったが、顔色といいふらつきといい、ちょっと具合が悪そうだ。
そんな場面を目の当たりにしては医術師として診ないといけないではないか。
有休休暇中だけど。




