表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大公の愛人の娘  作者: 知香
第一部
4/23

4.冷たい大公城

「何度言ったら分かるのですか!」


 頭の上に刺さりそうな声で叱られ、バシッと左手の甲を鞭で叩かれた。痛みから手がビクッと浮いてしまう。


 右手はペンを持っていた。単語の綴りの勉強中だった。一文字間違えただけでこれだ。書き直して次から次へと単語を書いていく。


「また違います!そうでは無いでしょう!」


 そしてまた鞭が降ってくる。今度は手首に当たった。ラッキーだった。袖があり肌に直接当たらないだけ良い。痛いは痛いのだけど。


「紙もお金が掛かっているのですよ!」


 それなら私になんかに文字を教えなければ良いのに、と思ってしまう。


 大公城に来る前にフリッツから読み書きを教えて貰っていたから初めの頃は得意気だったのに、それは本当に基礎中の基礎だった様で直ぐに劣等生扱いされる様になった。最近は叱られ過ぎて私の意欲も無くなり、惰性で授業を受けていた。完全に落ちこぼれだ。



 その日の夕食の時間、ナイフを手に取ったら手が小刻みに震えた。鞭で叩かれた過ぎて上手く力が入らなかった。


「ラン。手、大丈夫?」

「まあ、いつもの事よ」


 母が心配そうに眉を下げて聞いてきた。

 私達はいつも二人で食事をする。平民の食事に比べたら美味しいし量も多い。でもどうやらフリッツや大公夫人はもっと立派な食事が出されているらしい。以前フリッツが私達と食事をしたいと行って来た事があるが、その時用意された食事は見た目は豪華だし品数も多かった。きっとそういった料理が普段から出されているのだろう。

 だからと言って私も豪華な食事をしたいとは思わない。どうせ手が痛くてナイフが持てないのだから、パンとスープで十分だった。


「貴女には迷惑を掛けているわね」

「そんな事無いよ」


 母は綺麗な所作で口に運んでいく。私と違って優等生だ。フリッツへの想いから意欲をなんとか保ち、必死に食らいついているのだろう。


 美味しい筈の食事は反対に食欲を減退させていた。手が震えてナイフが上手く扱えなくて食べるのを諦めた。パンとスープだけで良いやとフォークも置いてしまった。



 食事が終わって湯浴みも終えると使用人が部屋から下がった。やっと監視の目が無くなり母と二人っきりになれホッとする。


「今晩もフリッツ来るかしら」

「どうかな。彼は……忙しいみたいだから」


 フリッツはこれまで通りを望み、私達から“大公”と呼ばれるのを嫌がった。

 さらにフリッツはほぼ毎日母の所に通っている。たまに執務室に泊まる事もあるが、完全に大公夫人への元には行かないと行動で示している。おかげで大公夫人はお怒りらしいが。


「子ども、欲しい?」

「そうね。欲しい、かな。彼も望んでる」

「本当に欲しい?」

「身の程知らずかもしれないけれど、愛する人の子を身籠りたいと思うわ」

「そういうものなの?」

「女の本能かしらね」


 私にはまだ分からない。人を愛する事もまだよく分からない。


「弟か妹が出来るんだ」

「気が早いわね。まだ出来ていないわよ」

「やっぱ男の子を生まないとかな」

「私はどちらでも良いわ。でも男の子だと……大変かな。私男の子は育てた事無いし」


 母はふふっと笑った。

 そう言ったけれど、本当は大変の意味は違うだろう。男児なら大公の後継者となる。大公夫人やヴィゲリヒ家が黙っていない。それに貴族社会で愛人の子として蔑まれるだろう。貴族が愛人を持つのはよくある事だ。特に後継者問題があるのなら愛人を持つ事は推奨される事もある。それでも婚外子に対する差別はある。ついこの間まで平民だった私には分からない苦労を沢山する事になるのではないだろうか。

 それに大公の子となれば平民とは違い、母親では無く乳母が育てる事になるだろう。男の子の育て方が分からないとか大変とか、あまり心配する必要が無いだろう。寧ろ生まれて直ぐに取り上げられてしまうかもしれない。


 愛する人の子が欲しくとも、その先を考えると不安にもなるだろう。


 母は大公であるフリッツに「城に来い」と言われて命令と受け取って城に来た。そしてフリッツに「命令じゃない」事、「無理強いをしたいわけじゃない」事、「愛しているからそばにいて欲しい」事を説かれたらしい。けっしてヴィゲリヒ家に対抗する為の後継者を生ませる為に連れて来たのでは無いと伝えたかった様だ。

 母が本当に腹をくくったかどうかは分からないが、フリッツの為に教育を受けて、疲れたフリッツに癒しと安らぎを与えている。ただ愛しているというだけでそこまで出来るものだろうか。私には、本当に分からない。



 その後も他愛のない話を母とした。

 暫くしてフリッツがやって来たので私は挨拶をして自室に戻った。挨拶をした時、フリッツは私に優しく微笑んで額にキスをしてくれた。娘の様に扱ってくれる。

 秋になり私の部屋は夜になるとひんやりとした。特に部屋に一人になると余計に感じた。夏は涼しくて良かったけれど、これから来る冬は寒いかもしれない。

 壁際に置かれた寝台に近付き冷たい寝具の中に身を潜らせたけれど、足が冷えて寝つけそうに無かった。左手を寝具から出して手の甲を壁にぺたりとくっつけた。冷たくて腫れた手の甲には丁度良かった。石を積み上げて出来たこの城の塔は平民の家より隙間風もなく立派だけれど、いつも寝つきが悪かった。

 母の部屋はフリッツが来るから綺麗な壁紙が貼られタペストリーも飾られており、そして常に明かりが灯されて温かな感じがする。その部屋から自分の部屋に戻ると寂しさが増すのだ。


 母に家庭教師から叱られる事に対しての愚痴をこぼす事は出来なかった。母も辛い思いをしながら頑張っているだろうから。それに母は私に迷惑を掛けていると後ろめたい気持ちを持っている。

 これまで一人で私を育ててくれた母の苦労は近くで見てきた。母が幸せになれるのなら私が我慢すべきなのだ。私に後ろめたい気持ちは持って欲しくない。母の人生の選択に私が原因で選べないなんて迷惑を掛けたくは無いのだ。

 母に愚痴を言えない代わりにエミルに聞いて貰っていたが、今日はいつものエミルの口笛の音がしなかったから吐き出せなかった。明日はエミルが来てくれたら良いなと思う。


 寝具の中で足を擦り合わせても温まりそうに無く、体を丸めて寝ることにした。左手だけは冷たい壁に貼り付けたまま。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ