22.取り巻くもの
戦後処理も落ち着いてきた頃、大公夫人であるカサンドラ様が懐妊したとの知らせが届いた。大公はとても安堵していた。それもそうだろう。日々の子作りのプレッシャーから解放されたのだから。
不作と戦争の影響で暗い雰囲気だったヴァイエルン大公領に久し振りの明るい知らせだった。
さらにバル卿が戦死して落ち込んでいた騎士団の士気の立て直しにと、三年間出来ずにいた剣闘大会を開く事になった。
お祭りは領民が楽しそうに盛り上がっている様子が見られた。屋台は例年より若干少ないが、それでも十分な数の出店があった。楽しんで貰えているのが見え、良かったと思えた。
剣闘大会は勿論エントリーしたが、驚く程体が動かなかった。勝ち進めばそれだけ足が重く感じた。結局準々決勝で負けてしまった。
しかし問題は準決勝に進んだのが、皆、ヴィゲリヒ家の大公夫人の護衛にと連れてこられた騎士達だった事だ。ヴァイエルン大公領の騎士団は誰一人準決勝に進めなかった。
ヴィゲリヒ家の騎士が強いのか、私達が弱いのか。バル卿が生きていたら結果は違ったかもしれない。強くあらねばならない筈の私は、大公の護衛兼側近として慌ただしさの中、剣の稽古をなおざりにしてきた。三年前まで剣闘大会で優勝を狙っていた自分はどこへ行ったのか。
大きなお腹を抱えて、剣闘大会で騎士団の騎士達を叩きのめし健闘した騎士達を称えている大公夫人の姿を見て、焦りを感じた。このままではいけないのだと。このままではヴィゲリヒ家に呑み込まれるのではと。
失ってから気づくのでは手遅れだ。失うものが大き過ぎる。女を失ったばかりの私は、余計に危機感を持てたのかもしれない。それでも遅すぎた。
その日からどんなに忙しくとも剣の稽古の時間を大切にした。
剣闘大会から二ヶ月後、大公夫人が無事女児を出産した。喜ばしい知らせに、城下町ではお祭りの様な騒ぎだった。
それから数ヶ月して父が大公の執務室を訪れた。
「騎士を引退します」
大公の後ろに立ちながらそれを聞き、父にだいぶ老いた印象を持った。年齢的には四十代。だが、父は前大公が熱病に罹った時、父にも伝染り罹患した。死に至る事は無かったが、後遺症として比較的軽度の麻痺になった。手足は動かせ日常生活は送れるが、剣を強く握る事は困難になっていた。
父は前大公の側近だった事もあり、麻痺があっても騎士団に残り騎士達の指揮先導を行っていた。
「バル卿が亡くなり時世が変わった。大公家にも新しい子が生まれ、ルートヴィヒ大公様の元、新しい組織を引っ張っていくのは愚息の様な若い世代であると。私の様な者がいつまでも組織の上にいてはなりません。未来ある者を上に登用なされませ」
私にとってはあまり家にいない父で、会話も殆どした事が無く、剣術を教えて貰った事も無かった。どこか冷たい人だと思っていた。けれど、きっと、前大公に仕え、一途なまでの忠誠心があった人なのではと、そう思った。
これからは母と二人、城下町でのんびり暮らすのだと言った。世話焼きの母は喜ぶだろう。意外にも自由気ままな一人暮らしから同居人が増えて煩わしく思うだろうか。まあ、それは夫婦の話だから、両親でどうにかするだろう。
大公は騎士団の再編成を行った。二十一歳となった私は騎士団長に任命された。騎士団長としての業務が増えるので、大公の護衛はするが側近として執務の補助は別の者に引き継いだ。
強い騎士団にしなければならない。ただ、その思いで訓練を繰り返した。
ある日、大公が深い溜め息をついていた。話を聞けば再び子作りのプレッシャーが始まったのだとか。生まれた子が女児だった為、次は男児をと、大公夫人に迫られているのだそう。気の毒でしか無かった。色々と吸い取られている様子の大公を見ていると、大公夫人が魔女に思えてきた。
しかし大公の悩みはそれだけでは無いのだと言った。大公夫人がクラウディア様の嫁ぎ先を提案してきたらしい。幼かったクラウディア様も十五歳となっていた。
大公は可愛い妹を嫁に出さなければならない現実と戦っていた様だ。
二年後、大公夫人がまた女児を出産した。大公は生まれたばかりの可愛い娘を抱きながら、数ヶ月したら再び子作りのプレッシャーに悩まされるのだと悟ったと言う。子の誕生を手放しに喜べないなんて、最低な親だと恥じたらしい。
新しい子の誕生で大公城がお祝いムードの中、騎士団長である私の執務室を珍しい人が訪ねて来た。大公の妹君であるクラウディア様だった。
「フィン。助けて欲しいの」
直接こうして会話をするのはいつ振りか。大公の護衛をしながら姿は何度か拝見はしていたが、昔の様に気安く会話はしなくなっていた。
「穏やかでは無い様ですね」
「私と結婚して」
「真面目な話じゃないんですか?」
「真面目な話よ」
どう真面目なのか。昔と言っている事が大して変わらなかった。
「大公夫人が縁談を山の様に持ってくるの」
「クラウディア様程であれば引く手数多でしょう」
「でも私は大公夫人の薦める方との結婚なんてイヤ」
まあ、確かにあの大公夫人の事だ。ヴィゲリヒ家の思惑が絡んだ結婚になりそうではある。
「この間なんて五十歳の方の後妻になんて話もあったのよ。私十七歳よ?さすがにイヤよ」
「主人が亡くなれば財産は全てクラウディア様の物になりますよ?」
「財産目当てで結婚するの?私は愛する人と結婚して愛する人の子を生みたいわ」
クラウディア様は真っ直ぐに私を見つめてくる。私はそれが怖かった。純粋で素直で大事に育てられ、前大公夫婦が亡くなられてからも大公が守ってきたこのご令嬢の真っ直ぐな愛は、私には眩しくて目を焼かれそうだった。
「クラウディア様。貴女は大公家のご令嬢です。貴族令嬢です。一方私は一介の騎士です。この身分の差はどうにもなりませんよ」
「……分かってる」
「ではお引き取りください」
私は立ち上がってクラウディア様を執務室から出るよう促した。
「フィンは……私を大公家の娘としか見てくれないのね」
「当たり前です。私は大公家の騎士なのですから」
「一人の令嬢として……女としては?」
「大切な主君家のご令嬢としてしか見ません」
小さく「分かった」と言ってクラウディア様は部屋を出て行った。強い言い方だったかもしれない。でもそれが正しい対応であったと思う様にした。
しかしクラウディア様は決して諦めなかった。私の姿を見ると近寄って来て「結婚して」と言うし、執務室を訪ねて来て「結婚する気になった?」と聞いてきた。人目を憚らず言うものだから、すっかり城内の噂になってしまった。昔もそうだったからそれを知っている者には「相変わらずクラウディア様に愛されてるな」で片付けられたのだが、知らない者には怪しい関係と受け取られてしまっていた。だから私も人目がある所では尚丁寧に断っていた。
「今、恋人いないんでしょ?」
「放っておいてください」
「遊びでも良いから」
「貴女様の様なご身分の方が言うべき台詞ではありません」
「言わせてるフィンはニクいね〜」
「淑女ってお言葉をご存知ですか?」
こんなやり取りが日々の定番になってしまっていた。
三年後、この年も剣闘大会が開かれた。この大会で私は初めて優勝する事が出来た。ずっと準決勝や決勝でヴィゲリヒ家の騎士に負けていた。ようやく追いつけたような気がした。
大公も嬉しかった様で、いつもは観覧席のバルコニーで見ているが、試合後にバルコニーから下りてきて抱き締めて称えてくれた。この瞬間は主従と言うよりも友人に戻った様だった。
「クラウディアも喜んでいたぞ」
それを私に言う大公の心理は何だと、ちょっと考えてしまった。幼馴染としてなのか、クラウディア様の気持ちを知って態となのか。
大公はずっとクラウディア様からの猛アタックに触れてこなかった。何も言わなかった。知らない筈は無いだろう。
大公がクラウディア様がいるであろうバルコニーを見上げたが、「あれ?」と言うので同じ様にバルコニーを見上げた。そこにはいる筈のクラウディア様が見当たらなかった。
「クラウディアも下りてきているのか?」
周辺を見渡しても見当たらなかった。
大公と二人、胸騒ぎを感じてクラウディア様の捜索を数名の騎士に指示した。騒ぎにして良からぬ噂を立てられない為だった。
このお祭り騒ぎの中に紛れて何か起こすには、色々な条件が揃っていた。
クラウディア様は社交を嫌がって社交界に殆ど姿を現さなかった。一応務めとして成人した十八歳から社交シーズンには大公と大公夫人と共に王都に赴いたが、夜会なり茶会なりへの参加は数える程だった。顔があまり知られていない為に今回の剣闘大会に大公夫人が縁談候補者を招待していた。クラウディア様が私に好意を寄せているのを知っているから、出場する私の応援に必ず姿を現すと確信してだろう。
なのでクラウディア様にコンタクトを取ろうとする者がいてもおかしくなかった。夜会で話しかけるのと、人目につかない所で会話するのとでは貴族であれば受け取り方は変わってくる。密会していると噂を立てられては、今後のクラウディア様の将来に関わってくるだろう。
クラウディア様には護衛が付いている筈なのに、何の報告も無い。それが余計に悪い予感を増幅させていた。
バルコニーから下りて来ようとしたのなら大公城の周辺に必ずいる筈だと、警備兵の配置していない所を探した。案の定、大公があまり近寄らない大公夫人の使用人達が使う部屋にいた。
「何をしている!」
ハッとこちらを向いた顔は、クラウディア様以外知らない者だった。二、三十代の男四人。おそらく招待した者達だ。
「ご令嬢とお話をしていただけですよ」
「この様な部屋に連れ込んで?」
「お一人でいらっしゃる所に話し掛けたのがちょうどこの部屋の前でしたから」
白々しい。顔を青くしているクラウディア様を見れば、無理矢理に引き留めたのだと直ぐに分かる。そのまま部屋の前で話さず部屋に導いて怖がるクラウディアを囲っていた様子から、人目につかない様にしたとしか思えなかった。
「剣闘大会は終わりました。クラウディア様はお部屋に戻りますので、皆様も大公夫人がお待ちのサロンの方へどうぞ」
男達は諦めた様で部屋を出て行った。去り際に「さすが優勝されるお方は勘も鋭い」だの、「情夫との噂は本当だったかな」だの、好き勝手言い捨てられた。人を情夫扱いか、と思ったが、所詮大公領の騎士でしかない私が大公家の令嬢と仲良くしていればそんな噂をされてしまうのも仕方が無かった。
「お怪我は?」
クラウディア様は首を振った。
「何かされましたか?」
また首を振った。視線を落として目を合わせようとしなかった。
「護衛はどこに?」
「……護衛は、いつの間にかいなくて」
どういうことか。職務怠慢か。
「申し訳ありません。騎士の不始末は私の責任です」
今度は大きく首を振った。
「違う。違うの。私の護衛はヴァイエルン大公領の者じゃない」
「え……それは、本当ですか?」
「あの人達はヴァイエルン大公領の事を何も知らない。訛りも隠しているけれど明らかに違う」
大公家の護衛は騎士団が行う。そして騎士団の騎士は殆どの者がヴァイエルン大公領の領民だ。稀に近隣の他領から入団を希望する者もいるが、そういう者は身分を明らかにする為にも誰かしらの推薦状を持って来て貰う。
素性を隠して騎士団内に潜入している者がいるという事になる。それもクラウディア様のそばに。そして今回その者が手を貸した。
ヴィゲリヒ家の手の者だろうか。大公家の中に追い切れない程のスパイがいる。私が管理を徹底しなければならない騎士団の中にまで、ヴィゲリヒ家が入り込んでしまっている。
情けないし悔しい。剣闘大会で優勝したところで、騎士団を乗っ取られでもしたら大公に顔向け出来ない。
「怖い思いをさせてしまい申し訳ありません」
「お兄様とフィンだけでどうにか出来る事じゃない。使用人の中にも入り込んでいる。昔からの者以外は怖くて……」
クラウディア様の声や肩が震えていた。
いつもは容赦無く距離を詰めてくるのに、こんな時には頼らず甘えても来ない。頼れないのか、甘えられないのか。ふざけた調子でしか出来ないのかもしれない。
だから抱き寄せて肩の震えが止まるまで頭を撫でた。こういう時こそ頼って甘えれば良いのだと、伝われば良いと思った。




