21.手放したもの
大公と大公夫人の葬儀は、多くの領民が涙した。
クラウディア様は立ち上がれない程に泣き崩れていた。まだ十二歳の大公女には早すぎる別れだろう。
しかしフリッツは涙を見せなかった。きっと泣けなかったのだろう。十七歳で突然背負う事になった大き過ぎるものが、彼の悼む心すらも上回ってしまった。
葬儀が終われば再び執務に追われた。十七歳で継ぐ事になった大公位。継承に関する手続きだけでも大変だった。
熱病によるパニックは収まってきたが、執務をサポートしてきた前大公の側近も亡くなった者がいた為、大公領を管理するのも日々躓いてばかりだった。その為、王家から大公位継承の挨拶に来る様催促が来たが、行く余裕が無かった。新大公が王家に忠誠を誓う儀式を行いたいのだろうが、行くに行けずに反抗している様に映ったのかもしれない。クラウディア様を王都に移せと言われてしまった。要は人質だ。
内政も不安定なまま、取り敢えずフリッツは王都に向かった。両親を失い悲しみに暮れているクラウディア様は勿論大公領において。
王家から示された儀式を一通り行っていた最中に、大公領からの報告があった。隣国が軍を引き連れ国境を越えて来たと。フリッツが不在の今、侵攻されてしまったのだ。
王から許可を貰い直ぐに大公領に戻る準備をした。その慌ただしい王都の大公邸を訪れる者がいた。ヴィゲリヒ家の当主だ。
ヴィゲリヒ家は子息子女を有力貴族と縁談させ、今では相当な権勢を誇っている。当主本人は元は子爵位だったが、王家から伯爵位も叙爵されていた。
「ヴァイエルン大公領の隣に我が息子が婿に入ったロッテベルク領があります。軍の支援を国境に送りますので大公様は大公城に戻り態勢を整え進軍なされませ」
ヴィゲリヒ家の数々の噂は大公領にいても耳にしていた。何か思惑があるのは分かっていたが、越境されてしまっている現状有難い提案ではあった。急いでいる事もあり腹を探る時間も惜しく、提案を受け入れた。
大公城に戻って直ぐに、今度は隣国の軍が撤退したとの報告を受けた。侵攻を食い止めていたヴァイエルン大公領の騎士の前線にロッテベルク領の軍が姿を現し、それを見て侵攻を止めたとの事だった。かなりの数を送ってくれたらしい。前線を率いていた騎士団第二師団長のバル卿からの報告だった。
前線からバル卿と、ロッテベルク領の軍を率いていたヴィゲリヒ家当主の息子が共に大公城にやって来た。
「内偵からの報告では、隣国からの使者には態と熱病に罹らせたとの事です」
周囲がざわりとした。
つまり隣国は熱病に罹った使者を送り前大公や大公城の者に移し、大公領の軍力を落としてから侵攻して来たと言う事だ。
同時にこのヴィゲリヒ家当主の息子でロッテベルクの婿が優秀な内偵を雇っているのも分かった。
ロッテベルクの婿にこの度の礼を伝えると、再び提案を受けた。
「大公様にはまだ婚約者もおられないと伺いました。我が妹カサンドラと婚姻なされば、父がヴィゲリヒ家の優秀な人材も共に支援出来ると申しておりました。またロッテベルクも共に国境守備に協力出来るでしょう」
ロッテベルク領とは比較的友好な関係ではあったが、軍事力ではヴァイエルン大公領の方が圧倒的だったので、どちらかと言うと大公領の方がロッテベルク領を支援していた。
それがこの数年で軍の拡張を図った様だ。このヴィゲリヒ家の息子が婿入りしてから改革を行ったのだろう。
妹と結婚すれば国境守備に協力出来るが、では結婚しなければどうだというのか。これまで支援して来た恩に、この様な脅しとして返って来るとは思いもしなかった。若い領主に対して足元を見てきているのだ。
フリッツは相当に悩んだが、現体制を整える為との皆の意見を受け入れ、ヴィゲリヒ家の娘カサンドラとの婚姻を受け入れた。
「なあ、フィン。俺はこの様な形で決まった結婚で、相手を愛せるだろうか」
二人で執務室にいる時、フリッツが言った。
「婚約者に恋するんだろ」
「……そうだったな」
恋も知らないままに結婚をするのは、幸せだろうか。望んだ所でどうしようもないが。
「フリッツ。私はこれから大公と呼ぶし、敬語を使うよ」
「……俺をフリッツと呼んでくれる人がいなくなるな」
「貴方はそういう立場の人間だからです」
「そうか」
「愛する妻が呼んでくださるでしょう」
「そうかな」
私の決意から数ヶ月後、ヴィゲリヒ家の娘カサンドラが多くの人間を伴ってやって来た。身の回りの世話をする使用人や護衛の騎士もいた。我がヴァイエルン大公領の者はそばに置くつもりが無いのだと直ぐに分かった。
嫁ぐにあたり不安感からそうしたのか、それとも信用してないからか。もしくはまた別の思惑からか。
大公の結婚式となればそれはそれは盛大に行わなければならない為、準備も大変だった。毎日何かしらを片付けている筈なのに次から次へと業務が降ってきた。剣を握る暇も無かった。ずっと慌ただしい日々を過ごして翌年に大公領にて大公の結婚式が行われた。
結婚しても大公に休みを与えられない程、業務が落ち着く事は無かった。
「蜜月休暇は必要ですよね。どうにか仕事片付けられないかとしているのですが、申し訳ありません」
「いや……」
新婚なのに大公は反応が悪い。休暇を必要としていないようだ。
「何かありましたか?」
「……まあ、政略結婚だからな。子作りは義務なんだよ」
これはこの新婚夫婦に何かあったのだろうと察した。
「カサンドラは義務だから抱けと言う。愛だの恋だのは必要ないと。どうにも俺のが反応せず役に立たなければ『大公としての義務を果たしてください』と猛批判だ」
それはキツい。男はいつでもどこでも機能するわけでは無い。義務だからと言ってもこればかりはコントロールは出来ないのだ。そういう男の繊細な面は令嬢の閨教育で習わないのだろうか。
これでは夜が怖くなる。蜜月休暇も作らなくて良いと思ってしまうだろう。
大公が執務に逃げながらも時々大公夫人のカサンドラ様の言う義務を果たしながら一年を過ごしたが、この一年は天候が荒れたり、その後は日照りが続いたりと、安定しなかった。そのせいで大公領の農作物は不作で、かなり厳しい財政状況だった。大公夫妻の盛大な結婚式を行った年に縁起の悪い事だった。
国への支援要請を依頼しようと協議していた所に、再び報告が来た。また隣国の軍が侵攻して来たと。
今度は我がヴァイエルン大公領が不作で兵糧をあまり確保出来ないのを知り攻めて来たのだろう。大公もまだ若く、跡継ぎも未だ居ない。絶好の機とみて以前からまだ二年だが再び侵攻して来た。
今回は隣国の兵数も多く、我が領でも広く兵を募った。不作だった事もあり、多くの農民が出稼ぎ目的で一般兵に参加した。
この戦は大公も私も初めての経験だった。従騎士として十四歳で騎士団に入って以降、初めての戦だった。前回の侵攻ではロッテベルクの婿が率いる軍の登場によって終わったので、戦にまでならなかった。
戦とは、嫌なものだった。
騎士が、一般兵の農民が、どんどん亡くなっていった。ヴァイエルン大公領の大切な領民が減っていくのだ。その家族や友人が悲しむ様を想うと、とても精神を保てるものでは無かった。
中でも騎士団でも最強と言われていたバル卿が戦死した。騎士団の騎士達の士気が落ち込んでしまった。
このままでは思い、大公はロッテベルク領に支援を依頼した。
それから暫くしてやっと戦が終わった。何とか持ち堪えたのだが、どちらが勝ったとか負けたとかでは無く、隣国が諦めたおかげで終わっただけだった。得るものは何も無く、失ったものばかりだった。
これまでの執務に加え戦後処理もあった為、変わらず忙しい日々が続いた。生きているのに死んだ様な顔色をしているのを大公に心配され、半日休みを貰った。「半日しか与えてやれずすまない」と言われたが、少しやつれた様子の大公を見ると半日でも十分だと思えたし、自分だけ申し訳無いとも思った。
半ば無理矢理執務室を追い出された私は、久し振りに町に出た。仕事では無く休暇で町に来たのはいつ振りか。おそらく前大公が亡くなる前の凡そ二年前だ。二年も前とも思うが、その間に起きた事の密度からたった二年の出来事かとも思った。
懐かしさを感じながら女の勤める酒場に行った。
しかし、女はいなかった。辞めていた。
店主に話を聞けば、結婚をして隣の町に引っ越しこの城下町から離れたらしい。
唖然としたけれど、どこかで冷静な自分もいた。
当然だろう。二年も全く会わず連絡もしなかった。日々に追われ連絡をする余裕は無かった。その間に戦争もあり、騎士の私の生死すら分からなかったのかもしれない。私よりも年上の女は結婚適齢期を過ぎてしまう前に、どうしているのか分からない私ではなく他の男との結婚を決めたのだろう。
冷静に考えれば考える程、女には申し訳無い気持ちだった。結局都合の良い女扱いをしていたのだ、私は。女に性欲を満たして貰い、甘え楽をさせて貰って、女のこの先の人生を考えてやらなかった。それなのに勝手に男を作って結婚してしまったとか、待っていて欲しかったとか、言える筈が無かった。
―戦期―
フィン20歳
フリッツ19歳
カサンドラ20歳
クラウディア14歳
ラン4歳
ヘラ23歳




