20.見てきたもの
大公の専属護衛フィンの視点の昔話です。
我が家は代々ヴァイエルン大公家に仕えて来た。特に父は前大公の側近であり、毎日忙しくしていた為にあまり父と家族として過ごした記憶が無い。
七歳になった時に父に大公城に連れて行かれた。殆ど会話らしい会話をした事が無い父に突然、「大公子の剣術の相手をするんだ」と言われ、そのまま大公子の所に向かわされた。
私の父は大公領の騎士団の騎士であり、世襲貴族では無かった。だから貴族のマナーなんてものは殆ど知らなかったし、父とあまり話した事が無いので剣術を教えて貰った事も無かった。そこら辺にいる平民の坊主だった。そんな平民の坊主がいきなり大公子の前に立たされたのだ。理由が分からず挨拶も何も出来なかった。そんな坊主に向かって、大公子はニッと笑った。
「俺はルートヴィヒだ。フリッツと呼んでくれ」
「フリッツ……?」
「お前、名前は?」
「フィン……」
「フィンか!これからよろしくな」
私よりも背が低くて年下であろうとは思ったが、私よりもずっとしっかりしていて、馴れ馴れしく名を呼んでしまったのにお咎め無しだった。それどころか寧ろ喜んでいる様だった。それから私は大公子を「フリッツ」と呼び、剣術の相手でもありながら友人にもなった。
「え!乳兄弟!?」
「何だ、知らなかったのか」
「じゃあ昔会った事があるって事?」
「そうじゃないか。小さ過ぎて何も覚えてないけど」
数回目に会った時には二人の仲はすっかり砕け、身分を気にする事無く友として接していた。それを誰かに咎められる事も無かった。
父から剣術の相手にと言われたが、剣の握り方も知らない私はフリッツの相手はせず、素振りばかりだった。フリッツは既に数ヶ月前から学んでおり、私よりも上手かった。
それでも五年もすれば二人の打ち合いもさまになっていた。
その頃から二人の稽古時間に観客が来る様になった。とても可愛い観客だった。
ちょっと離れた所からこちらをじっと見る。休憩時間になると可愛らしい歩幅でちょこちょこと近付いて来て私の手をギュッと握る。そしてそのまま手を頭に持って行く。頭を撫でて欲しい時のとても分かり易い合図だった。
「クラウディア。兄様の手は要らないのか?」
フリッツが聞けば大きく首を横に振る。
「兄としてフィンに負けるの、悲しいな」
フィンの五つ年下で六歳になった妹君、クラウディア様。きょうだいのいない私にとって、妹の様に可愛い存在だ。フリッツとは乳兄弟だけど、クラウディア様の乳母は別の者なのできょうだいと言うのも烏滸がましいかもしれない。
大公夫妻にとって待望の息女でとても可愛がっている。フリッツも妹には弱く何でも許してしまう。
私も似たようなものだ。頭を撫でてあげながら嬉しそうにはにかむクラウディア様が可愛くて仕方が無い。
私がフリッツと出会ったのがフリッツが同じ六歳の時だ。クラウディア様のこの幼い様子から、当時のフリッツがどれだけしっかりしていたのかがよく分かる。次期当主となる為にそういう教育を早くからされていたのだろう。反対にクラウディア様は沢山の愛を受けて育ち、甘えるのが上手い。
そんな可愛い妹の様に思っていた幼いクラウディア様から、十二歳になる頃には猛烈アタックを受ける様になった。
「フィン!こんなに可愛い子が言い寄っているのにどうして靡かないの!?」
十八の健康的な青年の腕をがっしりと掴むのは未婚の貴族令嬢としてどうかと思うが、ご本人は決して引かずにささやかな胸元を腕に押し付けてくる。おそらくそれが少女の戦略なのだろう。撫でて欲しいと無言で手を取っていた可愛らしい子は何処へ行ってしまったのだろうか。十二歳にして既に女になっていた。
「クラウディア様。以前から申しております様に私には恋人がおりますのでお離れください」
「……別れないの?」
「別れておりません」
ぐっと言葉を飲み込んで口を真一文字にしている。とても不服そうな表情だ。それでも腕は離してくれない。
「クラウディア。いい加減離してやれよ」
フリッツの助け舟も効果無く、少女なりの色仕掛けは終わらない。
「フィンの恋人はクラウディアと違って出るとこ出てるからな」
「お兄様!?」
「そんな平らな体じゃ色仕掛けも通用しないぞ」
「なんて下品なの!?」
「騎士の会話に比べたらまだ上品だ」
「騎士同士ならまだしも、レディの前でする話じゃないわ!」
「クラウディアのその行動もまあまあ下品だぞ」
クラウディア様はすっかり顔が赤くなってしまった。私の腕を離すと「お勉強の時間だから」と言って城内へ戻って行った。
「妹が悪いな、フィン」
「フリッツが謝る事か?」
「あんな色仕掛けをどこで覚えてくるのやら」
兄としては心配なのだろう。大事に、大切に育てられた箱入り娘の反抗期。大人びた行動や言動をしようとするけれど、背伸びしているのが分かってしまう。その成長を可愛くも思うし見守りたいとも思うが、危うくて心配にもなる。
「今日はもうあがりだろ?恋人の所に行くのか?」
「そうだな」
「俺も恋人欲しいなー」
「気軽に恋人を作れない立場は大変だな」
「婚約者決めなきゃな」
「王都に行った時モテてたじゃないか。婚約者も選びたい放題だろ」
フリッツが十五歳になってから社交シーズンは大公夫妻と共に王都に行く様になった。私も大公領の騎士団に十四歳から入っていた為、フリッツの護衛の一人として王都に同行している。
次期大公としてフリッツの人気はなかなかだった。広い大公領を治める立場にあるので国政に関わっていないのもあり、他の貴族の様に一年の大半を王都で過ごす事は無く、娯楽好きな貴族令嬢にしたらつまらないと言うだろうと思いきや、大公という地位もさることながらフリッツの見目の良さに惹かれる令嬢が多かった。
「俺も恋がしたいな」
「婚約者とすればいい」
「意思で出来るものなのか?」
「さあ?」
仕事が終われば城下町に出て騎士団の同僚と飲みに行く事もある。ヴァイエルン大公領で一番栄えている町なので店も多い。恋人はその酒場の一つで働いており、顔見知りから雑談をする仲へ、そしていつしか男女の仲になった。騎士にはよくある話だ。
仕事が終わった女と女の部屋で一晩を過ごす。男の好みをよく知っている女は淫らで扇情的だから、欲に忠実に雄になれば良い。楽だった。
家に帰る事は殆ど無かった。フリッツの護衛だから仕事中は大公城に居るし、仕事が終われば女の部屋か家に帰るのが面倒で騎士団の詰所に泊まった。
私よりも三歳年上の女は世話焼きで、母の様でもあった。
十歳になると騎士見習いになり、七歳の頃からフリッツと剣の訓練をしていた私は比較的優秀だった。そして十四歳になると従騎士として騎士団に入団し、専用の宿舎に入る為家を出た。そこから十八歳になった今まで、数える程しか家に顔を出していない。父も現役で大公に仕えているが、あまり顔を合わせる事は無かった。顔を合わせてもお互いに職務中なので親子の会話等は無い。視線すら合わない。相変わらず城で寝泊まりする事の多い父なので、母は一人で暮らしている様なものだった。だから家に寄れば母は必要以上に私に世話を焼く。それが楽しみの様に。少し鬱陶しく思ってしまう年頃なのもあって、自然と足が遠退いてしまった。
反対に女の世話焼きはちょうど良かった。踏み込み過ぎない程度が程良く、好みを感じ取って合わせてくれていた。頭の良い女だ。
毎日が同じ様な繰り返しで、それが当たり前で、この先もこんな感じで日々を過ごしていくのだと思っていた。
けれど、突然その日々が崩れ始めた。
毎年恒例の剣闘大会の話題でフリッツや皆と盛り上がっていた。
「今年はフィンが良いとこまで行くだろ」
「いやぁ、前年優勝者のバル卿は衰え知らずだよ」
「三十五歳を超えた今年はもう出ないって噂だぞ」
「誰かに負けるまで出続けるって言ってなかったか?」
バル卿は騎士団で一番強いと言われていた。実際にこれまでに多くの功績もあり、全部で第五師団まである騎士団の第二師団の師団長だ。上に立つ者でありながら戦では先頭に立って突っ込んで行ってしまうので、騎士団長の任には不適当と師団長の地位に収まっている。
「お前、意中の女を呼ぶって言ってたな」
「行かないって断られた」
「フラレたか」
「フィンの女は?」
「店で屋台出すから抜けられたら見に来るとか言ってたな」
「絶対見に行くとか怪我しないか心配とか言う健気な女に騎士はモテねぇな」
「そんなことより金儲けだ。日々の生活の方が大事だよ」
他愛もない会話でゲラゲラ笑っていた。
そんな中に一人の騎士が走ってやって来た。
「ルートヴィヒ様!」
フリッツの名を呼んだ。私達の輪に加わって談笑していたフリッツは、その騎士の慌て様から少し空気を変えたのが分かった。
「何だ?」
「大公が熱病でお倒れになりました」
「熱病だって!?」
フリッツは足早に城内へと戻って行った。私も護衛としてその後に続いた。
しかし感染の恐れがあるからと大公の寝室への立ち入りは出来なかった。寝室前で大公の側近から話を聞いた。
一週間前から隣国の使者が大公城を訪れていた。国境に関する取決めの為だった。しかし五日前、その使者一行が全員熱病で伏せった。大公家として医師の手配や介抱等、出来うる限りの世話をした。どうしても世話に当たった使用人に熱病を発症する者が居たのだが、とうとう大公まで発症してしまった。大公は使者と対面で会議を行っていたから感染したのだろうとの話だった。
何か不穏な空気が大公城に漂い始めた。翌日に使者一行の内の一人が亡くなった。それから次から次へと大公城に感染者が拡がった。大公夫人も感染し、大公の側近である私の父も感染した。殆ど家に帰らない父だったので私や母に伝染る事は無かったが、大公城の使用人や騎士団員の中で少しずつ拡がっていった。
大公が執務を行えないのでフリッツが代行をする様になり、同時に私も護衛と兼任して補助を行う様になった。分からない事だらけで毎日が慌ただしかった。
毎日睡眠を少ししか取れない中でも何とか執務を行っていたある日、「大公夫人危篤」の知らせが届いた。だが熱病で伝染る危険性があり、後継者であるフリッツは母親に会えないまま、大公夫人は亡くなった。
大公夫人が死去して大公城が哀しみに沈んでしまった。しかし一番哀しみに心を支配されてしまったのが、大公だった。騎士団員は体力があるからか熱病にかかっても回復する者が多かった。大公も危険な状態に陥る事無く何とか持ち続けていた。だが大公夫人が死去したと聞きショックだったのか、そこから悪化し亡くなってしまった。
こんな風に人とはあっさり亡くなるものだろうか。フリッツの何処を見ているのか分からない唖然としている顔を私は真っ直ぐに見れず、フリッツが動くまでただ足元を見つめていた。
ご参考に…
フィン18歳
フリッツ17歳
クラウディア12歳




