18.王子様の御帰り
その一報は、事件の翌日もたらされた。
容疑者である使用人が、牢の中で死んだ、と。
王子様が帰る日となった。
「帰りたくない」と言う王子様は「短い」「もっと居たい」と駄々をこねていた。そういう所は十二歳らしく感じる。
だが私にはとても長い期間だった様に感じているので、王子様には失礼な事だが今日は晴れやかな気持ちで見送れそうだった。
「ラン、一緒に帰ろう」
お見送りの場でまたもや王子様がとんでもない発言をした。私の隣に立つ大公の反対側にいる大公夫人が持つ扇子が、またミシッと音を立てていた、様な気がした。
もう既に最前列に立つこの並び順からおかしい。愛人の連れ子でしかない私が大公の隣に立って王子様をお見送りするなんて、前代未聞だ。王子様の命でなければあり得なかった。
ちなみに母は一度も王子様とは顔を合わせなかったらしい。当初王子様は噂の愛人に興味を持っていたのに、その興味は全て私に向かった。母に、「生贄にしてごめん」と謝られた。大公が隠し通したのだ。私を生贄にして……。大公の事だから母と王子様を会わせるのだけでなく、母と大公夫人を会わせるのも避けたかったのだろう。
「私には殿下のお側は務まりません。私はこの大公領で、例え少しであろうと大公様のお力になりたいと思います」
私の宣言に隣の大公が驚いた様子だった。王子様に対して臆せずハッキリ物を申した事にも、大公夫人が見ている前で大公の力になりたいと言った事にも、両方に驚いたのかもしれない。
でも王子様は「なんだ、つまらん」と冗談を真面目に返されて面白くなさそうだ。きっと私の困る顔と大公夫人の怒った顔を見たかったのだろう。私は怖くて大公夫人の顔は見られなかったけれど、王子様の反応からして怒ってはいなかったのだと思う。
「大公女」
王子様がドロテーアに話し掛けた。おそらくあの事件の時に疑惑を向けた時に問うた以外では初めてではないかと思う。
私も大公も大公夫人も驚いたが、ドロテーアが一番驚いたのではないだろうか。
「次の社交シーズンはお前も王都に来い」
「はっ、はいっ!」
それだけ言うと王子様は「ではな」と言って立派な馬車へと乗り込んだ。そして王子様が大公城に入城される時と同じ様にラッパが鳴らされた。高く青い空に向って吹かれたラッパは、近くで聴くと体の中に響いた。そして私達が頭を下げている中ゆっくりと王子様御一行が城を出て行った。
嵐の様とはまさにこの事だろう。
アードルフ第二王子とドロテーアの婚姻話はこの滞在期間に特に話されなかったらしい。無しになったとも、話を進めるとも、王子様は何も言わなかったと。
王子様はまだ十二歳だ。王族の婚姻なのだから王子様自身で決められる事ではないのだろう。
でもドロテーアを完全に拒絶している訳では無い様だ。もしかしたら事件の時にドロテーアに嘘や裏を感じなかった事で、多少なりとも心を開いたのかもしれない。
一番懸念されているのが王子様とドロテーアが婚姻する事によってヴァイエルン大公領の実権をヴィゲリヒ家に奪われてしまう事だ。しかし王子様自身がヴィゲリヒ家を毛嫌いしている為、例え王子様が大公位を継承してもそれは回避出来るのではないかと思う。
王子様とドロテーアの婚姻の話は今後どうなるか分からないが、無い話ではないだろう。王子様がドロテーアに「王都に来い」と伝えた様に、今後も二人の縁が続いて行く可能性は十分にある。
勿論、ドロテーアが今はまだ純粋でヴィゲリヒ家の策略に加担していない状態だからであって、今後大公夫人やヴィゲリヒ家の企みに自らの意思で加わったのなら、王子様のドロテーアに対する態度も変わるのではないだろうか。
先の事は分からないが、とにかく一番の懸念事項だった王子様がヴィゲリヒ家の傀儡となる未来は、然程心配をしなくても大丈夫そうだ。
塔の自室での監禁状態の生活も一先ず解除され、これまでの様な生活に戻った。愛弟達と気兼ねなく遊べる様になり、特にフェルは私とずっと満足に遊べなかったので、それを挽回でもするかの様に私をなかなか離さなかった。それの何と可愛い事か。愛おし過ぎて私の方が離れ難く、自分の勉強そっちのけで遊びに時間を費やした。やっぱり弟の様な王子様よりも、この実の愛弟の方がずっとずっと良い。
散々遊んだ後、いつもの様に夕食後に母や愛弟達と団欒をしている所へ大公がやって来た。
「当事者であるランに報告をな」
真面目な話だと直ぐに分かった。おそらく私のドレスが破られた事件についてだろう。
いつもは母にべったりするフェルも今日ばかりは私から離れようとせず、私の膝の上に座っていた。母が大公と話が出来るようにと引き離そうとしたが、それを嫌がった。さすがイヤイヤ全盛期。人に強要されると余計に嫌がる。この子は生来の我の強さを持っているのかもしれない。
まだ話が分からないだろうからと、そのままで良いと大公は言ってくれた。
「結論から言うと、事件の詳細は分からずじまいなんだ。申し訳ない」
「謝らないでくださいっ!」
この方はいつも平民の私にも平気で頭を下げて謝るので困ってしまう。
「あの事件の後、牢に連れて行って聞き取りをしたのだが怯え震えるばかりで何も喋らなかった。一晩落ち着かせて翌日から改めて聴取をしようとしたのだが、翌朝に死んでいるのが発見された」
「それは……自決ですか?」
大公は首を振った。
「首を綺麗に切られていた。遺体の手に刃物が握られていたが、怯え震えていたただの使用人があんなにも綺麗に首を切る事など不可能だろう。勿論身体検査をしてから牢に入れていたから刃物を持ち込めた筈が無い。あの使用人が暗殺者だとでも言うのなら分かるが、これまでの行動からしてそれは無い。ただの捨て駒に利用されたと考えるのが妥当だ」
捨て駒にした人は誰なのかと、聞いて良いのか分からずその言葉は飲み込んだ。結局何の情報も得られなかったのだ。推測でしか言えない。
「またランが狙われたが今回は命に危険のあるものではなかった。ドレスを破られただけだったからな。何の目的でそんな事をしたのか分からないが、犯行に使った鋏もあんなに見つかりやすい所にあったし、自分が疑われるとは思わなかったのだろう。犯行に意味があると言うよりは使用人個人のただの嫌がらせの様だ。ランに恐怖を与える為に捨て駒として利用したか、もしくは勝手に行動して捕まったから情報を吐く前に殺したか。だから今回はもう警戒を解いて自由な生活に戻した。暫く我慢させたな」
「いえ、大丈夫です。戻してくださってありがとうございます」
お陰で可愛い愛弟と触れ合えている。その可愛い弟のフェルは私の膝の上でウトウトとしだした。今日は沢山遊んでテンションも高かったから疲れたのかもしれない。大公がフェルのふっくらした頬に触れてもフェルの眠気の方が強いらしく、寝ていってしまった。思わず大公と顔を見合わせ微笑み合ってしまった。




