14.王子様の御成り
暖かな陽気に、思いっ切り馬で駆けたい衝動を抑えなくてはならない様な春のある日、アードルフ第二王子がヴァイエルン大公領へとやって来た。
大公に言われた通り、私達は塔に引きこもっていた。まあ、いつも引きこもっているのだけれど。
王子様だからなのか、大公城に入城する際にパッパーとラッパが鳴らされた。その賑やかな音が塔にまで聞こえてきた。
フェルはその音が気に入った様で口で真似していた。とても楽しそうだ。
母と愛弟達と共に若干の不安を抱きながら部屋で過ごしていた。この婚姻話が流れればこれまで通りであるが、もし話がまとまり進められる様なら私達の立場はどうなるか分からない。大公が直ぐにアードルフ第二王子に爵位を譲る事は無いだろうが、ルートヴィヒ大公が大公で無くなれば私達を守るのは難しくなるだろう。フェルディナントやマティアスの存在を疎ましく思う様なら大公城から追い出すだろうし、反乱を恐れて命を奪う事も無いとは言い切れない。
部屋で過ごす事に飽きてしまったフェルは塔の階段で遊び始めた。私はフェルが塔から出てしまわない様に見張りながら一緒に遊んでいた。
暫くすると本城の方向から騒がしい声が聞こえてきた。何となく嫌な予感がしてフェルを部屋に戻そうとした。けれどイヤイヤ全盛期のフェルは全力で抵抗した。三歳児といえども男児を侮るなかれ、力が強くて制御が出来ない。骨のしっかりした男の子が体を反らせば力負けしてしまう。昔の様に畑を耕していたのならまだ力は強かったかもしれないが、残念ながら塔での生活に慣れ、私はすっかり貧弱になってしまった。
フェルに苦戦している間に声が近づいて来てしまい、これは本当に不味いぞと思った時、「いるではないか!」との声を掛けられてしまった。
怖くて振り返られなかった。
「アードルフ王子殿下、この者は違います」
大公の言葉で察して直ぐに膝を折って頭を下げた。一緒に居た使用人も同様に頭を下げたが、フェルは理解出来ない様でそれどころじゃなく腹を立てたまま地面に座り込んでいた。
「彼の者が大公の愛人ではないのか?では誰だ?」
「こちらは連れ子にございます。一緒に居るのが私の息子にございます」
頭を下げている私に影が掛かり、私を隠す様に大公が間に入った。
「息子はまだ幼く挨拶もまだまともに出来ません。どうかお見逃しくださいますようお願いいたします」
大公の影で小さくなっているとエミルがスッと私の側にやって来て、小声で「今の内に塔内へ」と言った。エミルに促されるまま中に入ろうとしたら、「待て」と言われてビクッとしてしまった。
「息子なんかどうでも良いわ。そこの女、連れ子と言ったな」
アードルフ第二王子は逃がしてくれなかった。
今、私は本城の一室に居る。そこは初めて入った部屋で、広さもさることながらあまりの豪華絢爛さに驚いていた。人も大勢いる。大公城の騎士や王子様が連れて来たであろう従者達。そこには勿論大公と大公夫人もいた。そして娘のドロテーアも。それら皆の視線が集まる所に私は居た。アードルフ第二王子の隣だ。
大公夫人の視線が恐ろしくて私はちょっと震えていた。
「ラン。食べさせてくれ」
食べさせてくれとは、テーブルの上の果物の事だろう。長旅で疲れているだろうと出された果物の盛り合わせを、私に食べさせろと言う。イヤとは言えない私は恐る恐るフォークでオレンジを刺してアードルフ第二王子に向き直った。口に運べと言わんばかりに口を開けている。なるようになれ!と口まで持っていった。特に怒られる事も無く王子は咀嚼して飲み込んだのを見てホッとした。
完全に私は侍らせられている。
そもそも何故こんな事になったのか。
アードルフ第二王子は大公城に到着してドロテーアと顔合わせをしたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。そこで噂の大公の愛人を見たいと言い出して塔までやって来た。母、噂になっているらしいよ。
そして塔で私を発見し、大公の愛人と間違え声を掛けた。大公は私を庇ってくれたが、結局は愛人より若い私に目をつけた理由だ。そして本城へと連れて来られ、こうして給餌をさせられている。
私を伴って本城に戻ったアードルフ第二王子に対して大公夫人は勿論激怒した。それはもう王子様に迫る勢いで。
「其の者はここに立ち入る権利はありません!」
今日ばかりはそうだそうだと心の中で叫んだ。さっさと塔に帰してくれと思った。
「権利が必要なのか?では我が許可する」
独裁ってこういう事かな?
「我が娘の立場はどうなるのですか」
「妻はもっと美しい方が良い。まだ子どもだしな」
王子様も十二歳ですよね?ドロテーアに向かって何と心無い事を言うのだろうか。
「ランも連れ子ではあるが大公と養子縁組すれば問題無い。我と結婚すれば我がこの大公領の主となれるだろう」
凄い事言ったよ、この王子様。
ただの平民の娘だった私が王族と結婚してゆくゆくは大公夫人?どんな夢物語だ。そんな夢物語私は望んでいない。
「王子殿下が平民と結婚するなぞ……そんな事は許されません!」
「そんな事は無いだろう。どうせ王は我を疎んでおる。厄介払い出来るならと許可しそうだが」
王子様の立場を自身が理解している事に驚いた。自覚があるのなら直せば良いのに。
「どうだ、ラン。お前も大公夫人になりたいとは思わぬか?」
凄いパスが来た。本当に困る。
「私にはそのような地位は過分にございます」
絶対イヤって言えたら良いのに。
「其の者もそう申しております。お戯れはおやめくださいませ」
今ばかりは大公夫人が加勢してくれている様である。
「やっと王城から出られたのだ。戯れたって良いだろう」
いつも戯れている噂を聞いておりますが……?
「ではランは美しいから愛人にしよう」
また凄い事を言い出した。血の気が引いて頭がクラクラしてきた。
「それはなりません!」
今度は大公が否定してくれた。もっと頑張って欲しい。
「何故だ?大公も愛人がいるではないか。妻は一人しか許されていないが、愛人を持ってはいけない法が無いのは大公がよく知っているだろう?」
「ですが、ランは我が息子達の世話をしており今後は教育にも携わって貰う予定でいます。いずれその功としてそれなりの家へと嫁がせるつもりでいます。愛人としてでは無く、正妻としてです」
思い掛けず大公の考えを聞く事になり、胸がドキドキとした。こんなにも大切に思ってくれているのだと実感出来て体が熱くなった。
「愛人の連れ子を守ろうとしているのか。面白いな。まあ良い。この話はまた今度だ。疲れたから皆下がれ」
下がれと言われて下がろうとしたら、「ランはここにおれ」と言われてしまった。その後給餌の続きをさせられた。
王子様に侍らせられるのは夜まで続いた。夜は晩餐があるとかで、大公が上手い事言い訳を連ねてくれて晩餐にまで連れて行かれるのは回避出来た。
「エミル。ランを塔の部屋まで送って行け。周囲の警戒と見回りもな」
それは何かされる恐れがあるからだろうか。少しゾッとした。
エミルが歩く後について本城の中を歩いた。今何処を歩いているのかも分からない。
エミルとはこの間言い合いをした時以来だったので、少し気まずさがあった。本城内だしエミルは護衛任務中だからいつもの様な会話は無いけれど、何となくエミルの背中を見られなくて、視線を下にして歩いた。
迷路の様な本城をひたすら歩いてやっと見慣れた塔の目の前まで来た。
「ここまでで良いわよ」
「いや、大公様から部屋までと言われている。一応室内もチェックする」
そう言われてしまえば従うしか無かった。
エミルに自室まで警護して貰い、部屋に入ると室内をぐるりと見回って点検してくれた。
「……そんなに、何かされるかもしれないの?」
「あんな皆の前で大公夫人は恥をかかされたからな、一応警戒は必要だろう」
エミルはタペストリーの裏も捲って見ていた。そしてつい先日貰ったばかりのタペストリーを点検して戻した時、何かに目を留めた。
「何でこの騎士の顔の所だけ布地がボロボロなんだ?」
ギクッとした。まさか、そんなに細かい所にまで気がつく程厳重にチェックをしてくれた人に、その本人に見立ててデコピンをしまくったとは言えない。
「……汚れが付いてたから叩いたらそうなっちゃって」
「ふーん」
多分信じてくれた。
「今日は夕食をこの部屋で取れ。後でいつもの使用人に持って来て貰う様に伝えておく。お前はこの部屋から出るなよ。鍵を掛けていつもの使用人以外は室内に入れない様に」
「この部屋から?塔の中でも駄目なの?」
「安全が確認出来て大公様の許可が出るまではな」
「……そう」
つまり母や愛弟にも会いに行けないのか。昼間、あの後フェルがどうなったかも気になっているのに。
エミルは私の頭をグシャグシャと撫でた。
「ちょっと!髪がボサボサになる!」
「今日はもういつもの使用人以外誰にも会わないから良いだろ。ゆっくり休めよ」
警戒した雰囲気を少しだけ解いて、エミルは笑って見せてくれた。そして「じゃあな」と言って部屋を出て行った。
今日はとにかく凄く疲れた一日だった。




