76.地震
76.地震
寒い朝。地震。
マグニチュード9・0。
神戸を再び地震が襲った。
「チッ!」
鮎川淳が飛び起きた。
(深呼吸。深呼吸。もう一度深呼吸)
揺れている中、深呼吸を繰り返した。前がどうだったか、父の忠から聞いている。まずは落ち着くことだ。
自分の安全を確認してから、寝惚けているしおりを起こした。
忠は起きていた。
寒いがドアを開け放つ。余震で傾くとドアが開かなくなる。
急いで着替え、しおりに(どうせ酔っぱらって寝ている)平悟郎を見に行くよう言うと、忠と現場に向かった。
スマートフォンでスタッフに集合するよう通知した。連絡網はできている。
東緑が丘は、ほぼ鮎川建設の建てた住宅だ。
倒れてはいない。ほっとするが、あちこちで小さな声があった。
家具が倒れたようだ。
住民は反対運動からの顔馴染み同士だった。
集まったスタッフと手分けして助けるように頼んだ。
忠にスタッフと裏の倉庫から水と食料を出すよう指示した。自動体外式除細動器(AED)も。
「緊急事態だ!」
明け方まで飲んでいた平悟郎もフラフラになりながらも手伝っている。足がどうのと言わせなかった。
淳は藍河から奨められ、一次救命処置(BLS)を習っている。スタッフにも必須にして、機会あるごとに訓練している。「教習所で習いましたよ」と言われたが、パニックになっては意味がない。そのための訓練だった。
(やっぱりな……数の勝利だ)
人海戦術だ。スタッフが二人一組で救援していた。元看護師や元救急救命士のスタッフが率先して指示している。
添木に新品の建材を使った。どうせ後で瑕疵をチェックすることになるより、先に使って数を減らしたほうが効率的だ。
訃報が届く。
「アーメン」
天使が十字を切った。
事故で頭を打って自宅療養させていた若いスタッフが亡くなっていた。
「次!」
気持ちを切り替える。緊張で涙は出ない。
怪我人を教会に運ぶよう指示した。自宅を巡回するより効率がいい。
ガス漏れがあるかもしれないので火気厳禁を徹底した。
水道が止まっていた。
(山田栄か!)
東緑が丘の水道は、南緑が丘を経由している。
水の量はこの地区だけで三日分しか用意していなかった。食料も同じく。
山田栄建設が改心したと考えた淳のミスだった。
忠が補修した教会は残っていた。〔慈悲の家c〕のシスターも医療の心得があるらしい。必死で看護していた。子供たちも見様見真似で働いていた。
水を確認したが、ここも三日分しかなかった。この地区だけでは足りそうになかった。「もっと必要だったのか」と淳は自分の甘さに情けなくなった。
シスターに水をできるだけ使わないよう言った。火気厳禁も。
昼のベルが鳴った。
かなり落ち着いていたので忠に後を任せ、他の地区を見に行くことにした。手の空いたスタッフが後に続く。
淳が西の大通りに出ると、南緑が丘が見えた。
「あああ……」
凍りついた。
煙が上がっていた。視線を下げると、ほぼ全壊していた。
半壊の家もあるが数はそれほど多くない。
人生の明暗だった。安価な鮎川建設と、高級で売った山田栄建設との差だった。
「どんな基礎をしたんだ! 灰原め! 急にいなくなったと思えばこれか!」
淳は無性に腹が立った。
何も言わずとも、スタッフが我先に走った。取りあえず辺りに声をかける。
あちこちでうめき声がしていた。地獄だった。
淳はスタッフの一人に、戻り重機を手配するよう命じた。人の手だけでは間に合いそうもない。
南の教会の礼拝堂は傾いていたが無事だった。
だが〔慈悲の家a〕は完全に倒壊していた。
朝早くのミサで礼拝堂にいた人たちが残っていた。
(信心するものだ)
次から次に礼拝堂に怪我人が運ばれて来た。
シスターたちが看護した。
水の量を確認して、火気厳禁を呼びかけた。絶対的な水の量が足りなかった。
(水道の計画を前倒しすべきだった……)
いまさら悔いても仕方ないが、計画はあったのだ。山田栄建設との共同事業だった。
不思議と施設の文化住宅は大丈夫だった。
(基本が箱なので段ボールと同じで案外しっかりしているからね……)
不意にワンパク三人組を思い出して笑った。記憶が混乱しているらしい。
表通りの緑が丘警察では、皆が右往左往していた。命令系統が変になっているのだろう。
淳は先を急いだ。
(〔リラクシン〕……)
静蓮が心配だった。それに、飲食店の〔リラクシン〕にどれだけ水があるかを知りたかった。
淳は救助をスタッフに任せ、ライフラインの確保に走った。
藍河に教わったことが脳裏に蘇った。
――「まず水。水がなくては生きていけないし、ストレスから脱水状態になる人もいますから、最低三日分以上用意することです。食料は火気を使わないものを三日分。基本的に火は使えません。どうしてかというと、ガス漏れがあるからです。何故、それぞれ三日分かというと、三日後には自衛隊の炊き出しが始まるからです」……「その三日間をどう生きるかで決まります」……そう言いきる藍河には説得力があった。……「よくご存知ですね?」……「一次救命処置(BLS)はホンダの研修で習ったんです。それに他の知識はお客さんから。自衛隊や病院関係のお客さんもいますんでね」……そう静かに微笑む藍河だった。――
(そういえば藍河さんは?)
スマートフォンで電話した。
つながらない。
墨月に電話した。家にはつながらない。スマートフォンにかけた。
『はい』
「墨月先生ですか?」
『はい墨月です。鮎川さん、外はどうなっています?』
防犯カメラが空を向いているらしい。
「東で一名亡くなりました。……南はかなりです。数えられません」
『大丈夫ですか? お手伝いはできませんが……』
すまなさそうに言う墨月だった。
「水が足りないんです」
『水?』
「飲料水です。全然足りません。医療物資も。どちらかにありませんか?」
『ありますよ』
「あるんですか!」
『うちのマンション地下と、茶泉学院大学附属病院に』
それは初耳だった。
『たぶん緑が丘の分はあると思います』
非常事態に備えていた墨月の話では、地下の大型コンピュータの冷却水は飲料として再利用できるらしい。特有の匂いがあるが、飲料に問題はないとのこと。
(この際、文句は言えないだろう……)
今はコンピュータがショックからスリープ状態になっているので、それほどの量は必要ではないらしい。
墨月から紹介された茶泉学院大学附属病院の理事に電話して確認した。
(しばらく持ちそうだ……)
忠に連絡して、スタッフの分配を決めてもらった。
淳は急いだ。
(静蓮……)
かなり歩きにくい。
「ふう……」
孫邸は半壊していた。
入口から入れず、二階から入った。
「……」
声が聞こえた。
「静蓮!」
「エンジェル……」
泣いていた。必死に足の上の家具を動かそうとしている。
二人で動かし、静蓮を出した。
静蓮が抱きついた。
「ありがとう。助けに来てくれて。ありがとう……あっ! お母さん!」
「待って」
静蓮の足は大した怪我ではないようだ。軽く止血する。
寝室に向かったが、扉が開かない。
淳が割ろうとしたが、丈夫な扉は傷つくだけだった。
静蓮といっしょに引いた。かなりの力で引いた。
(もう少し)
やっと、人ひとり通れるくらいの隙間ができた。迂闊に動かないように固定する。
「お母さん!」
小柄な静蓮が入った。
続いて淳も。
静蓮の母は家具の下敷きなっていた。
二人で協力して家具を退かせた。
「……」
静蓮の母が声にならない言葉を話した。
(これは……)
胸が潰されていた。医術のない淳にも一目見て助かりそうもないのが分かる。今まで生きていたのが不思議なほどだ。
(中国語?)
正しくは広東語だ。
「……――……――……――」
途切れ途切れだが静蓮には分かるのだろう。うんうんと頷いている。
最後に静蓮の母が「二人で幸せになるのよ」と言うのだけは淳にも伝わった。
淳には二人を抱くことしかできなかった。




