前編
さて。
まず最初にお断りしておかなければならないのは、これからご披露する物語の中には、西暦1963年から英国BBCで放送されている世界最長の――そうして世界でもっとも愛され続けている――SFテレビドラマシリーズ『ドクター・フー』、その新シリーズ・シーズン5の、けっこうなネタバレが含まれている、という点である。
もちろん。
出来得る限り、さまざまなネタバレ回避の試みを、実行してはみたのだが、それでも、今回のこの物語が、あちらの、壮大かつ繊細かつ優しさに包まれた物語群と、どうしても、切っても切り離すことの出来ない状態にあることに気付いてしまったこのバカ(=作者)は、賢明かつ懸命なる読者諸姉諸兄からの非難・論難を、それはもう十分に想像・覚悟したうえで、それでも、「ま、しかたないな、こりゃ」と、今回のこの物語を、ほとんど生のまま、皆さまにご提供することに決めたのであった。
と、言うことで。
このようなネタバレがお嫌いな方、あるいは、このようなネタバレをする人間がどうしても許せないというお方は、いますぐ本を、あるいはスマホやパソコンのブラウザを閉じ、まわれ右をし、お近くのレンタルビデオ屋に向かうもよし、ご加入済みの動画配信サービスやネットショップの海外ドラマコンテンツを探るもよし、問題のシリーズを一気見、その後、こちらの物語へともどって来て頂く方が、ベストではないにしろ、ベターではあるように想われる。
と言うかそもそも、この文章自体、「ドクター・フーは面白いぞ!!」という、この作者 (=バカ)が、皆さまへの布教・宣伝用に書いているものであるので、こんなつまらない小説なぞ読まずに、そのまま、そちらのドラマにハマって頂けたとしたら、それこそ本望、それで目的の97%は達成されたことになる。
であるからして、これキッカケでドラマにハマってしまった方々には、別にこちらに戻って来ていただく必要はないし、もしいまここに、すでにドラマにハマっておられる方、あるいは、ドラマを見たのち、それでも残りの3%が気になって戻って来られた方がおられるようであれば、それらの方々には、ぜひ、以降のページも読んで頂ければと想う。
何故ならそれは、この作者だけでなく、この物語にとっても、このうえない喜びであるからであり、それに対する感謝の念は、いくら表明しても、し尽くされることのないことであるからである。――皆さまどうも、いつもありがとう。
と、言うことで。
いつにも増して、いつものとおり、前書きと言う名の言い訳が長くなってしまったが、それではそろそろ、物語を始めることとしよう。
そう。合い言葉は、皆さまご存知の、あの言葉である。
「ジェロニモーー!!!!!」
*
さて。
これは、西暦2010年、私が9才から10才の――宙にまだ星が戻っていなかったあの頃の――ちょっとした、おとぎ話である。
その年、我らが秘密結社 《東石神井トーチウッダーズ》は、そのあまりにも悲惨な前シーズンの戦績や、いつまで経っても野球のルールを覚えてくれない若年メンバーへの憤り、そうしてなにより、“時の主”だか“運命の女神さま”だかのご配慮・ご神慮――等などとはまったく関係なく、ただただいつもの、その場のノリと勢いに押される形で、創設以来の規律を破り、女の子の、しかもおとなの女の子の、入団を認めるという事件を起こしてしまったのであるが――、話はこうだ。
*
私が彼女――我らが強力な五番バッターにして、みごとな左肩を持ったあの女性――の存在を知ったのは、トーチウッダーズの初代リーダー、カワシマ・ケイタが駆る、おんぼろフィガロの後部座席でのことであった。
このおんぼろ車のオーナーであり、《東石神井トーチウッダーズ》の世話役・補佐役・管理責任者であった、このカワシマ・ケイタなる人物は、ノーサンプトンとノッティンガムとレスターシティと代々木公園を足して4で割ったような、しかし、明らかな日本人的ウマヅラ顔をした、二十六とか二十七才くらいの、たいそうはにかみ屋の、たいそう背のたかい、たいそうこころ優しき、たいそうな青年紳士であった。
そうして、彼はまた、都内にある某有名大学の物理学部の院生でもあり、我々の親たちとの間に、どのような陰謀、あるいは金銭的約定があったのかは不明だが、下は5才3ヶ月から、上は13才1ヶ月という、ナマイキかつハナッタレを絵で描いたような我らがトーチウッダーズのメンバー (以下、“トーチウッダー”と略す)をひとつにまとめ上げてくれた、恩人・賢人・人格者なのでもあった。
もちろん。ここで、彼の成した偉業や功績を、いちいちホメたたえ、書き記していくことも、可能と言えば可能ではあるが――それは例えば、『くつろぎ広場ザイゴン事件』における調停役とか、『聖エルトン失踪事件』におけるシャーロック・ホームズさながらの名探偵ぶり等のことを言うのだが――それを始めてしまえば、『戦争と平和』さながらの長編小説が出来上がってしまう。
なので今回この辺は、サクッと割愛させて頂くこととして、私が言いたかったのは、要するに、この頃――西暦2010年のこの頃――われわれ東石神井台の不良少年的野球少年たちは、どいつもこいつも、5才3ヶ月のハナタレから13才1ヶ月のナマイキ小僧にいたるまで、ひとり残らず、この初代リーダーを、こころの底から愛していたし、尊敬もしていたし、いまでも彼に会いたい――そう、切に願っている、ということである。
うん。話を、彼が伯母上から譲り受けたという、空色のおんぼろフィガロへと戻そう。
*
「あの女性はどなたですか?」そう訊いたのは、この年のこの月に、11才になったばかりだった、将来の夢は医者だという、ババ・ダイスケ7番セカンドであった。
彼は、この日の買い出しにおいて、公平公正かつ神聖な“バルカン式トカゲスポックジャンケン”の結果、おんぼろフィガロの助手席――リーダーのとなりの席――を占領せしめていたのだが、いつものスーパー、いつもの『スーパー・ミステリオ』の駐車場で、荷物を詰め込んでいる最中、ダッシュボードの上で鳴るリーダーの、この頃はまだ珍しかったアップル社製スマートフォンの画面に、その女性の写真を見付けた――ということであった。
リーダーのおんぼろフィガロは――というか、我らが 《東石神井トーチウッダーズ》は――全体的に男子一色、マチズモ的雰囲気をまとっていたので、その車内に女性の写真――というのは、いかにも奇妙な話である。
であるからして、彼らと一緒に買い出しに来ていた私も、7番セカンド、ババ・ダイスケとともに、いったいその女性はだれなのか? と、皆が待つグランドへと戻る道中、くり返し、くり返し、リーダーに訊ねることになった。
するとリーダーは、最初は言葉をにごしていたが、それでも、我々の追求にいよいよ折れたのだろう、その他メンバーへの口外法度を条件に、問題の女性が、リーダーの“おんな友達”であることを、いつもの、あのはにかんだ笑顔とともに、教えてくれたのであった。
*
「なまえは?」それから1時間ほどがして、ピッチングの見本を見せていたリーダーに、とつぜんそう訊いたのは、クハ・ヒカルという――買い出しには付いて来ていなかったはずの――当時7才のやんちゃ小僧であった。「そのおんなに、名前はあるのですか?」
このヒカルという素行不良者は、まるで女のような顔をしていたにも関わらず、「兄貴! 兄貴!!」と、まるで劉玄徳を慕う張益徳が如き好意でもってわたしを慕ってくれていたのだが、なるほど。「これはここだけの話だぞ」というわたしの言葉に、「オーケー!、兄貴!」と返したこいつの口約束ほど、意味をなさないものもないようである。
「なに? なんだって?」リーダーは訊き返し、「その、“おんな友達”とやらに、名前はあるのですか?」金属バット片手にヒカルはくり返す。「みなが知りたがっています」
もちろん。わたしが、リーダーの“おんな友達”のことを漏らしたのは、ヒカルに対してだけであるので、“みなが”というのは、ヒカル特有のウソか、あるいは、わたし以外のメンバーが、チーム全体に言いふらしたのだろう。グラウンド中のトーチウッダーたちが、リーダーのまわりへと集まり出した。
さて。
もしこの時、我らがトーチウッダーズの平均身長なり平均年齢なりがもう少し高かったのであれば、「あら、これからオヤジ狩りでも始まるのかしら?」と、心配してくれた近隣住民の誰かが、最寄りの交番なり派出所まで警察官を呼びに行ってくれていたかも知れないが、それでもやはり我々は、皆がみな、愛くるしい笑顔のワンパク連である。そんな国家権力の助力は得ずとも、かわいい笑顔と、シュプレヒコールと、都合4本の金属バットさえあれば、それは十分こと足りることであった。
そう。それはつまり、それは大変ためらいがちのものではあったが、最終的にリーダーは、その“おんな友達”の名を、「キクチ……カナさんだ」と、我々に教えてくれることを、意味していたのである。
*
さて。
ここで話はすこし変わるのだが、この年、この西暦2010年という年、我々 《東石神井トーチウッダーズ》には、ひとりのヒーローと、ひとりの可憐なるヒロインがいた。
そう。それはすなわち、『時空を自在にあやつるタイムトラベラー、11番目のドクター』と、『英国住まいのスコティッシュ、若干7つの、アメリア・ジェシカ・ポンド』ふたりのことであった。
*
陽がかたむき、“ほんとうの暗闇”が訪れるほんのすこし前。「ごはんができたよ」とさけぶご婦人方の声がとおくに聞こえ、ボールが見えなくなった子どもたちが帰り支度をはじめる頃、彼と彼女は――おもにリーダーの口をとおして――我々トーチウッダーたちの前に、現れてくれていたのである。
公園やグラウンドの街灯たちが黄昏に気がつき仕事をはじめ、そのひかりの輪の中にリーダーは立つ。
ボールやミットのひしめき合う音が止み、我々トーチウッダーたちも声をひそめ、リーダーのまわりへと集まっていく。
「それで?」両手をこすり合わせながらリーダーが訊き、「どこまで話したんだっけ?」
「このまえ話したところまで!」そうさけびながら我々は応える。
「水晶で出来た山のはなし?」いままで出て来たこともない場所が示され、
「ちがうよ!」そう我々はどなり返す。
「オリエント急行のミイラの話?」いままで出て来たこともない怪物が語られ、
「それもちがうよ!」ふたたび我らはどなり返す。
するとリーダーは、「ああ、ごめんごめん」と、ワザとらしく頭を掻き――彼に言わせるとこの仕草は、“11番目のドクター”にそっくりということだったが――「前回は〇〇の話をしたんだったね」そう言って、やっと彼らの旅の続きを、話してくれるのであった。
*
ドクターとアメリアの出会いは、あるイースターの夜。自宅寝室の壁に出来た奇妙なひび割れをおそれた彼女が、サンタクロース――どうやら英国には、あの白ひげの太っちょおじさんにお願いごとをする風習があるらしいのだが――に、その“ひび”をふさぐものを送って欲しい、と願うところから始まる。
「だから、どうかこの“ひび”を、ふさいでくれるひとを寄こしてください」そう少女は願い、「おまわりさんとか、ほかには――」
グォオォン、グォオォン。
と、宙から奇妙なおとがした。直後、
ドン、ガシャ―ン!
と、こんどは庭の物置の壊れる音がし、おどろいた彼女が窓からそこをのぞくと、なんとそこには、よこ倒しになった青い電話ボックス――驚くなかれ、これこそが 《ターディス》と呼ばれる異星人のタイムマシンである――が現われていたのであった。
*
「なんで、電話ボックスなのに青いんですか?」
と、ここのくだりを初めて聴いたとき、前述のババ・ダイスケは訊いたが、その声は、「ねーねー、電話ボックスってなに?」という、最年少トーチウッダー、カタ・カツトシの質問のまえに吹き飛ばされることになる。
なるほど。考えてみればわたしも、実物は見たことがない。
なのでそのためリーダーは、「電話ボックスとはなにか?」の説明に時間を割くことになり、そんなこともあってか、「なぜ電話ボックスなのに青いのか?」というババ・ダイスケの疑問は、そのままずっと、流されることになる。
ちなみに。この『なぜ電話ボックスなのに青いのか問題』については、後日、我が弟分クハ・ヒカルが、「そりゃ、ドラえもんだって青いじゃないッスか」と、まるで当然のように説明してくれたのだが、「きっと、タイムトラベルには青がつきもんなんスよ、兄貴」――いや、それではなぜ、タイムトラベルには青がつきものなのだ? 「うん? あー、そっれは分かんないッスね」――うん。話をドクターとアメリアの出会いに戻そう。
*
青い電話ボックス型タイムマシンから飛び出して来たのは、ぼろぼろの服を着てずぶ濡れの青年――我らが“11番目のドクター”であった。
彼は、親切なアメリア・ポンドから供された、まっ赤なリンゴと、魚のフライと、甘く黄色いカスタードクリームのお礼として、壁の“ひび”を調べることにした。
すると、驚くべきことに、この壁の“ひび”は、ただの壁のひび割れなどではなく…………えーっと? なんだったっけ? ……ほんらい? 出会うことのない時間? 時空? 同士が? えー……、え? あっ、そうそう。「ほんらい出会うことのない時空同士がぶつかり合った結果」なんと! 少女アメリアの寝室の壁に生じてしまった、ということなのであった。(たぶん)
『囚人ゼロ号が脱走した、囚人ゼロ号が脱走した。』
壁のひび、“時空のさけ目”を閉じようとするドクターたちに、奇妙な警告が届いた。
それはつまり、“さけ目”の向こうには銀河の凶悪犯を閉じ込めておくための監獄があり、そこの囚人ゼロ号が脱走、“時空のさけ目”を通って地球に――少女アメリアの住む家に――逃れたらしい、というものであった。
*
さて。
我々トーチウッダーの、愛くるしい笑顔と、可愛らしいシュプレヒコールと、都合4本あった金属バットのおかげで、我らがリーダーの“おんな友達”が、「キクチ・カナ」という名前であることが分かってから二週間、彼女の話題は、そのままどこかに雲散霧消するようなこともなく、我々ロクデナシどもの日常にも、自然に溶け込み、学校の女生徒や、ボケた顔のリーダーをからかったりするとき等々に、ときおり顔をのぞかせては、くすり。とした笑いをさそうようになっていた。
そんななかでも、例のクハ・ヒカルは、アイツにしては珍しく、ことあるごとにリーダーに話を訊きに行っては、
「もともとは、リーダーのゴジッカのゴキンジョにすんでたらしいッスよ」とか、
「こどものころわかれて、14年ぶりにあったんですって」とか、
「シャシンじゃわかんなかったっスけど、アシがスゲーながいらしいです」とか、
そんなだらだらとした情報を持って帰って来て、わたしに耳打ちしてくれるのであった。
そんなヒカルの耳打ちを、流して聞きながらわたしは、一瞬だけ見た彼女の顔写真を想い出すと、映画かなにかに出ているひとではないのか? という質問を、アイツにしたことがあった。なにかのヒーロー映画に出て来た女優に似た雰囲気を、彼女に感じたからである。であるが、
「いや、なんか、まだ、大学生ぽいっスよ」そうヒカルは答える。「それでなんか、本とかつくるシゴトにつきたいんだそうです」
*
「なにかが隠れていたんだ、もしかしたら、まだなかにいるかも知れない」
そうドクターが言ったとおり、囚人ゼロ号は、アメリア宅にすがたを消して隠れていた。彼女を観察し、そのすがたを真似るためである。
『囚人ゼロ号に告ぐ、おまえは包囲されている。囚人ゼロ号、人間の居住地からはなれろ。さもなくば、その場ごと焼き払う。囚人ゼロ号、人間の居住地からはなれろ。さもなくば、その場ごと焼き払う。』
前述の警告と同じ声が、さまざまな音響装置を経由して、地球のありとあらゆる場所にこだまする。
この警告の送り主は、“アトラクシ”と言うひとつ目の大巨人で、囚人ゼロ号を逃がしてしまった彼らは、その失態を隠蔽するため、我々の住むこの地球に、なに事かを仕掛けようとしているのであった。
「このサイズの惑星なら、おそらく必要なのは40パーセントの核分裂爆発だ。だがその前にエネルギーを蓄える必要があるから――」
地球上の誰よりもはやくこのことに気付いたのは、もちろん我らがドクターである。
「時間は20分だな」とドクターは言い、「20分ってなに?」とアメリアは訊いた。
「人間の居住地とは、」ドクターは答える。「人間の居住地とは、君の家じゃなく、この惑星を指していて、すでに宇宙船は来ている。そうしてさらに、その宇宙船は、地球をまるごと焼き払う準備にはいっている」
そう。20分とは、この世界の終わりまでの時間だったのである。
であるが、しかし、そこは我らがドクターである。
この緊急事態に際して彼は、アメリアと協力関係を結ぶと、たった20分のうちに、一台のパソコンと、一台のスマートフォンと、そうしてなにより、持ち前の知恵と勇気と正義を用いて……、えーっと? ……なんか、こう、すっごいことをしたんだけど…………、え? あー、そうそう。世界中の著名な科学者たちをもまき込んで、地球中に特殊なコンピューターウィルスを展開、囚人ゼロ号の位置をアトラクシに伝えることで、ヤツをみごと捕獲、彼らを地球から追い払ったのであった。(たぶん)
「時空はひび割れた。パンドリカは開かれ、大いなるサイレンスが訪れる」
これは、アトラクシに連れ去られる囚人ゼロ号が、最後に言った言葉である。
「サイレンスだ、ドクター。大いなる静寂が訪れるぞ」
*
リーダーの“おんな友達”、「キクチ・カナ」の足がながいことを知り一週間が過ぎたころ、例によって例の如く、おんぼろフィガロの助手席を占領せんがための“バルカン式トカゲスポックジャンケン”を始めたわたしの頭を、リーダーが、クシャクシャッとかき回したことがあった。
「今日はついでがあるんだ。買い出しには、キミとヒカルのふたりで来てくれ」
それからリーダーは、どこから持って来たのだろうか、自動車用の小型掃除機を取り出すと、入念に助手席のあたりを掃除してから、「『ミステリオ』に着くまでに、うしろの方もキレイにしといてくれ」そう言ってわたしに、その小型掃除機をわたすのであった。
*
さて。
かくして地球を滅亡の危機から救った我らがヒーロー、『11番目のドクター』と、我らが可憐なるヒロイン、『若干7つのアメリア・ポンド』は、修理の終わった電話ボックス型タイムマシン 《ターディス》に乗り込むと――ここがまさに、この物語のおとぎ話然としたところではあるが――ひかり輝く星の大海原へと、旅立つことになるのであった。
*
「あのー」と、いつものスーパー、いつもの『スーパー・ミステリオ』で、こまった様子のヒカルが訊いた。「そろそろ、もどりませんか?」
というのも、いつものように、いつもの買い出しを終えた、いつもの我々三名は、その後の、かれこれ10分間ほどを、いつものフィガロに乗ったまま、いつもの駐車場に、いつもとちがって、いつまでも、いつづけていたからである。
「なにか、待ってるんですか?」そうヒカルが続けようとした瞬間、
コンコン。
車のバックドアをノックする音が聞こえ、
シュビンッ!
と、まるで実写映画のクイックシルバーが如き俊敏迅速さでもって、
「やあ! はやかったね!!」と、リーダーは、その音の鳴ったほう――問題の“おんな友達”「キクチ・カナ」のいる場所――へと移動していたのであった。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃったかも」
そうして、それからの数十秒だか数時間だか数年だかは忘れたが、わたしとヒカルは、彼らふたりの会話を、なんとか盗み聞きしてやろうと、おんぼろ車のがなり立てるエアコンに抗いながら聞き耳を立てていたのだが、
「ぜっんぜん、聞こえないっスね、兄貴」とヒカルが言うのとほぼ同じタイミングで、
カチャ。
と、こんどは、助手席側のドアの開く音がし、赤のカットソーに黒のジャケットを着たおんなの子――いや“女性”が乗り込んで来た。
「ごめんね、ふたりとも」そうほほ笑みながら彼女は、我々に声をかけると、「ほんと、オジャマじゃないかなあ?」そう訊いて来た。
が、しかしそれは、「今日、空が落ちて来たりしないかなあ?」という類いの質問と同じである。
「あ、あ、あの、あの……、」と、ヒカルは顔を赤く染めながら言葉に詰まり、
「とんでもない!」手をひらひらさせながらリーダーは答えた。「きっとみんなよろこぶよ!!」
そうしてそれから、どうにかやっと、我々の乗るおんぼろフィガロは、ガタピシギックリ、振動とともに、『ミステリオ』の駐車場から、脱け出したのであった。
*
「ねー、ねー、兄貴」はしり出した車の後部座席でヒカルがささやいた。前のシートでは、リーダーとキクチ・カナ嬢が大きな声で、談笑をしている。「アシ、なっがいスね」
どうやらヒカルの位置からは、おんぼろ車の助手席に押し込められた、彼女のながい右脚と、ショートパンツの裾からのぞく、彼女のキレイな太ももが、見えているようである。「それに、なんかいい匂いしますし」
が、そう言うこいつの顔があまりにも見苦しかったので、わたしは、かぶっていた帽子で、こいつの目を隠してやった。「ちょ、ちょっと、なにするんスか、兄貴」
正直なところ――このあしの長さやキレイな太ももはさておき――これまでの人生でわたしが出会った女性たちのなかで、文句なしに美人だと想えた例は――荻窪の叔父とイタリアの叔母を除けば――3人だけで、ひとりは、三宝寺池のほとりで出会った考古学者の女性、ひとりは、子どもだらけのピアノ発表会で、見事なまでの“メフィスト・ワルツ”を披露してくれた紫色のピアノ教師、そうして最後が、このリーダーの“おんな友達”、キクチ・カナ嬢であった。
*
さて。
無限にひろがる大宇宙へと飛び出した我らがドクターと少女アメリアは、ときにドクターの案内で、ときにドクターの手違いで、さまざまな時間、さまざまな空間へと赴いては、さまざまな人びとと出会い、交流し、歓談し、ときに彼らの手助けをすることもあった。
ヴェネチアで吸血鬼と戦ったかと想えば、宙をゆくクジラをすくい、泣いているおんなの子を見かけたのなら、その涙をふいてやる。
ドクターは、いつでも勇敢で、機知に富み、よく笑い、よく走り、だれにでも優しく、そうしていつでも、すこしだけ寂しそうだった。
そうしてそれは、少女アメリアにもよく分かっていたのだろう。彼女は、ときに暴走してしまいそうになる彼のよこで、彼のために、彼と人々との橋渡し役になったり、彼をしかり、彼を励ます役目を担ったり、また時には、彼の窮地を、その身をもって救ったりもする、とても優れた、彼の、よき協力者 (コンパニオン)であった。
*
「おい、あれはいったいどうゆうことだ?」
グラウンドのベンチに、買い出しの荷物を置いていたヒカルにそう声をかけたのは、トーチウッダーのなかでも最年長の部類にはいる、シラタニ・タクマという、健康優良児的3番キャッチャーであった。
そんな彼の――というか、彼のうしろに控えるその他大勢のトーチウッダーたちの顔には、あきらかに、「おんなの子の中には、来てはいけない場所に来てしまう、オツムのあまりよろしくないタイプの人間がいる」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。
「あ、いえ、あれは――」そう言ってヒカルはおびえ、口ごもり、手足をびくびくさせていた。
仕方がないのでわたしは、彼に代わり、シラタニ・タクマ&我らが“ブラッド・ブラザース”連中に、彼女――キクチ・カナ嬢――は、ただのリーダーの“おんな友達”であり、ここには我々の練習を見学しに来ただけであって、我らがトーチウッダーの、血よりも濃いキズナをこわしてやろうなどという、不埒・憤妙な考えはない旨の弁解・説明を行なった。――が、困ったのは、当のキクチ嬢である。
彼女は、紅白戦開始のためのメンバー取りがはじまった直後、なにを想ったのか突然、
「ねえねえ、私も参加できないかな? 野球」と、わたしに訊いて来たのである。「ただ見てるだけってのも、つまんなそうじゃない?」
ザワザワザワ。
と、古いタイプのマンガ家なら書くであろうざわめきが、トーチウッダー内に広がり、なかには、明らかなる侮蔑と嫌悪の眼差しで、彼女を見つめるメンバーもいる。
「ダメかなあ?」天使のようなほほ笑みで彼女は続ける。「あたし、こう見えても運動神経良いんだよ?――クリケットもよく見るし」
シラタニ・タクマをはじめとする極右少年たちの、するどい視線がわたしの背中に突き刺さる。さすがのわたしも、これには閉口し、リーダーに助けを求めることにした。
「ああ、まあ、たしかに」
それからリーダーは、トーチウッダー達の群れから彼女を引き離すと、まずは彼女の、ヒールの付いた革のブーツを指摘し、それから、先日の雨でぬかるんでいるグラウンドを指差し説明、そこに加えて、実はお硬い軟式ボールや、けっこう重たい金属バット、それに、近年起きた高校野球でのデッドボールやピッチャーライナー等などの重大事故について、噛んで含んで、彼女に、言って聞かせたのであった。
そのため今度は、「さすがにこれであきらめるだろう」という雰囲気が、トーチウッダー内に広がり、リーダーはリーダーで、遠目にも分かるぐらいにうなずくと、わたしを彼らのもとへと呼び寄せた。
が、しかしそれでも、これぐらいで引き下がるようでは、このお話のヒロインは務まらない。
「ああ、すまないんだが」そう言うリーダーのうしろには、引き続き天使のようなほほ笑みの彼女が立っていた。「かんたんなルールと、道具のつかい方を教えてやってくれ」
(続く)




