私のお義兄様は悪役令息ですが、私がお婿さんにするので何も問題ありません
「ほら見てくださいまし、悪役令息ですわよ」
「氷の貴公子も悪事が公になった今となっては壁のシミね」
「フィリス嬢を虐げたのですから、それくらいの報いはあって当然でしょう」
ヒソヒソと囁かれる声に、思わず耳を塞ぎたくなった。
ああ、頭がおかしくなりそう。怒りで暴走してしまいそうなのを必死に堪える。
「シエラ嬢もお可哀想に。悪役令息を兄に持ったばかりにねぇ」
「ほんとほんと」
華やかな格好をしていながら聞くに耐えない醜い悪口を囁き合う令嬢たちから目を逸らし、私は一人の青年に視線を注いだ。
後ろで一つに束ねられた藍色の髪に、蒼穹のごとき瞳。
背はスラリと高く、細身だ。誰もが息を呑むほどの美貌を持ち、静かな存在感を放っている。
それが私の敬愛するお義兄様――ニコラス・ロブソン侯爵令息だった。
見ているだけでうっとりと夢心地になってしまう。
かつて『氷の貴公子』と名高かったお義兄様は、決して令嬢と馴れ馴れしく接したりはしない。義妹の私にさえ紳士的だ。
そんなところもまた素敵。
どうしてこんなに美しく完成されたお義兄様を罵ろうなどと思えるのか、理解に苦しむ。
婚約者であった少女を精神的に追い詰め、肉体的な暴力も振るったこともある――そんな噂を皆が皆丸呑みにしているなんて馬鹿らしかった。
「お義兄様がそのようなことをするわけがないですのに」
私だけはお義兄様を理解しているし、心から信じている。
けれど私が令嬢連中にお義兄様の素晴らしさを教えたところで何かが変わるわけではないだろう。むしろ逆効果に違いない。
だって彼女たちは、真実よりも恋物語を見ていたい愚か者たちなのだから。
悪役令息というのは、恋愛劇などにおいて女主人公を虐げる役回りのこと。そして最後には断罪され、惨めに退場する。
物語として読むとしたら、なるほど確かに痛快だ。しかしそんな物語を現実に持ち越してお義兄様を貶めるなんてとても許容できることではなかった。
「第二王子殿下、並びにその婚約者フィリス嬢のお成り〜!」
そんな声がして、パーティー会場に主役たちが入場する。
片方はやたらとキラキラした白髪の男。そしてもう片方は、小柄で愛らしい金髪の少女だ。
少女――フィリス嬢は、婚約者からの虐待に十年間も耐え忍んでいたが、ひょんなことをきっかけに第二王子殿下と出会い想いを交わし、辛い境遇から脱して幸せを掴んだのだという。――まるで恋物語のヒロインのように。
そして、かつての婚約者であるお義兄様が悪役令息などと不名誉な呼び名をつけられるようになった原因でもある。
第二王子を見上げ、頬を染めて微笑むフィリス嬢を見て、私の腑は煮え繰り返りそうになる。否、煮え繰り返りまくっていた。
「こんな無法、あってたまるものですか」
私は呟き、唇を噛み締めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
フィリス・メアディ伯爵令嬢とお義兄様が婚約することになったのは、政略的な思惑によるものだった。
メアディ伯爵領にある鉱山を無料で貰い受ける代わりに、ロブソン侯爵家が没落寸前だったメアディ伯爵家への資金援助を行い、さらにメアディ家の令嬢を娶るという契約を結んだのだ。
けれど、ロブソン侯爵家には一人娘の私しかいなかった。だからその契約を成立させるためにお義兄様はロブソン侯爵家の嫡男になるべく養子に入った。
当時お義兄様は十歳。私より三歳上で、「今日からこいつがお前の義兄になるんだ」と言って父に紹介された時の衝撃をよく覚えている。
今まで見たことがないくらい、この世のものとは思えぬほどに綺麗な少年だったから。
私はあの瞬間、確かに恋をしたのだ。
紛れもない初恋だった。
しかしお義兄様にはフィリス嬢という婚約者がいる。
婚約者のいる相手に想いを寄せるだなんてあってはならないこと。それくらい七歳の私でも理解していた。
でも、それでも、お義兄様への想いは年月を重ねるにつれ、どんどん増していった。
「ねえお義兄様、私、今度のパーティーでお義兄様とダンスがしてみたいです!」
「僕と踊るのはいけない。貴女はいつか婚約者ができた時、その相手と踊るといい。……だが、練習なら付き合って差し上げよう」
「嬉しいです! ありがとうございます、お義兄様」
ダンスのリードがお上手で、ダンス講師に教えられた時の何倍も踊り方がスッと頭に入ってくる。
私はお義兄様に教えられながらダンスを上達させた。
――ああ、好き。
触れ合う度に胸が高鳴り、心が躍ってしまう。
お義兄様は私に優しく接してくれる。妹としてではなく一人の小さな淑女として見てくれた。
お義兄様の視界に長く映っていたい。できるなら、おはようからおやすみまで一緒にいたい。きっと義妹として正しくない感情なのだとわかってはいても、そう思わずにはいられい。
婚約者候補にとどの令息の姿を見せられても首を縦には振れなかった。
だって、どれほど金持ちで、どれほど顔が良い方であったとしても、お義兄様より魅力的な令息がいるなんてわけがないから。
どうして私ではなくフィリス嬢なのだろうと憎たらしく思う。
確かにフィリス嬢はとても可愛らしく、私なんかよりもずっとお義兄様にお似合いだ。私は薄茶色の髪に焦茶の瞳、それにこれといった特徴のない顔だから、お義兄様の隣にいてはきっと見劣りしてしまう。
だから仕方ないのだと自分に言い聞かせ、我慢して我慢して我慢し続けて――。
けれどある日、夜会に現れたフィリス嬢は、お義兄様ではなく第二王子殿下を伴っていた。
そして彼に大切そうに庇われながら、待ちぼうけを喰らっていたお義兄様へと言い放ったのだ。
「ニコラス様、わ、わたしに行った今までのこと全部、謝ってくださいませっ!」
「ニコラス・ロブソン。お前はフィリス・メアディ嬢へ心身共に苦痛を与えていたそうだな。お前の所業は到底許し難いものだ。第二王子の名においてフィリス・メアディとニコラス・ロブソンの二名の間で結ばれた婚約の破棄を命ずる」
「婚約の破棄ですか。殿下からのご命令であれば従いますが、殿下たちのおっしゃることは身に覚えが――」
「うるさいぞ。おとなしく罪を認めろ!」
冷静に言葉を返すお義兄様、しかしその言葉は第二王子殿下によって遮られてしまう。
それから涙目のフィリス嬢は今までされたひどいことだと言って次々と嘘を並べ立て、第二王子殿下がそれを庇護し続けた。
お義兄様は一方的に糾弾され続け、公衆の面前で恥をかかされることになった。
――どうしてこんなことに。
話を聞いた私は唇を噛むが、相手は王族。ここで短慮な行動を起こせば、さらにお義兄様の不利になると考えると不用意には動けない。そのことが情けなくて仕方なかった。
第二王子殿下の命令という形でメアディ伯爵家との婚約を破棄された結果、ロブソン侯爵家には多大なる損害が出たし、お義兄様の評判は地に落ちた。
第二王子殿下との婚約が決まり、盛大に祝福されるフィリス嬢とは反対に。
「フィリス嬢にとって、こちらの言動の一つ一つが苦痛でならなかったのだろう。……こうなったのは僕の責任だ」
けれどお義兄様はそんな風に言って、苦笑するばかり。
「そんなはずないではないですか!」と私は声を荒げたが、だから何になるというわけでもなかった。
悔しい。お義兄様は何もしていないのに、なぜフィリス嬢の踏み台にならなければならないのか。
全て、第二王子妃になりたかったフィリス嬢の企みに違いない。フィリス嬢の幸せそうで、それでいてどこか優越感のこもった笑顔を見ればわかることだった。
お義兄様が彼女を虐げていたという証拠として扱われているのは、金に目が眩んだ使用人たちの証言のみ。
なのに向こうに第二王子がついているせいで、それは絶対のものとされてしまっている。ろくに調べられてもいないだろう。
なんて理不尽。なんて屈辱。
しかも、父であるロブソン侯爵は、断罪の夜会の翌日の朝食の席にてお義兄様にこんな言葉を投げかけた。
「このままではニコラスを次期ロブソン侯爵に据え置くのは無理がある。非常に心苦しいが、ロブソン家から籍を抜き、生家に戻ってもらうのが一番の手だろう」
お義兄様は表情や態度にこそ一切出さないものの、パーティーに出て悪役令息だと陰ながら糾弾されたことで心に傷を負ったはずだ。
それがわかっていながら、さらなる追い打ちをかける父に腹を立てずにはおれない。
「あんまりです! お義兄様は何一つ悪事はなさっていないではありませんか!」
「シエラ、だが」
「言い訳は結構! 偽証をした使用人を野放しにし、お義兄様を咎めるなんて――」
椅子からガバッと音を立てて立ち上がる。
侯爵家の娘にあるまじきはしたない行為だが、そんなのは考えていられなかった。お義兄様が私のお義兄様でなくなってしまう。離れざるを得なくなってしまう。そんなの、考えたくもなかったから。
おはようからおやすみまで一緒にいたいのに。同じ屋根の下、暮らし続けたいのに。
「……義父上のおっしゃる通りだ。僕は、次期侯爵から退いた方がいい」
「お義兄様!」
「これ以上ロブソン侯爵家に迷惑をかけるわけにはいかない」
けれどお義兄様はピシャリとそう言って、朝食をさっさと食べ終えてしまうと部屋を出て行ってしまう。
私はギロリと父を睨みつけ、「人でなし」と罵った後で、お義兄様の後を追った。
ドレスをはためかせ、ひたすらに走る。
少なくともロブソン領はまだ出ていないはず。なら、お義兄様はどこへ?
屋敷の中を探した。どうしても見つからず、門番に聞いてみたら、護衛の一人もつけずに外へ出て行ったというではないか。
一体どういうつもりなのだろう。嫌な予感が胸に湧き上がり、私も屋敷を飛び出す。
丘にある屋敷の麓、最寄りの街を巡っても、お義兄様の姿は見当たらない。
そして走り回り、ダンスで鍛えた足腰がさすがに悲鳴を上げ始めた頃――私はふと、とある場所を思い出した。
――私の勘は当たっていた。
「お義兄様っ」
ぼぅっと、海辺に佇むその人物の腕をグッと掴んで引き戻す。
振り返ったお義兄様はハッと息を呑んでいた。
「……貴女、どうして」
いつも表情がほとんど変わらないお義兄様の驚き顔を見るのは初めてだ。
見開かれた蒼穹の瞳は少し虚ろで、しかし美しさを損なってはいない。
良かった。間に合って。間に合わなければ二度とこの愛しい温もりを味わうことができなかったかも知れないと思うとゾッとする。
「お義兄様、ここで何をなさっていたんですか。この世に別れでも告げるつもりですか?」
ここは海。しかも荒波で、一歩でも踏み出せば波に呑まれてしまう。
お義兄様がロブソン家の養子としてやって来た時、この領内を一通り案内したことがある。その中でお義兄様にとって一番のお気に入りだったのがこの海辺。お義兄様の生家が海辺だったので落ち着くと言っていた。
だからここにいると思ったのだ。
まさか、海の中に片足をつけて立っているだなんて思っていなかったけれど。
気の迷いを起こすほど、お義兄様の心の負担は重かったということだろう。
「お義兄様。お義兄様がお辛いのは、よくわかります。図々しいかも知れませんが、わかりませんなんて言いませんよ」
元々、お義兄様はロブソン家の嫡子としてフィリス嬢を娶り、いつかロブソン侯爵となるために十年近く生きてきた。
それが突然覆され、何もかもなくなって……いくら完璧で素晴らしいお義兄様とてこの世から消えてしまいたくなってしまって当然だ。
「お義兄様は素敵な人なんです。皆は悪役令息と呼ぶでしょう。しかし私はそれを許容しませんし、いつでもお義兄様の味方であり続けます。ですから早まらないでください」
お義兄様はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「僕はロブソン侯爵から嫡子の任を解かれた。当然の成り行きだ。だが、だからと言って実家に今更戻ったところでどうなる。誰もが僕を嫌厭し、寄り付かない。僕は結局厄介者になるだけだ。それくらいなら」
その頬は硬く、どれだけお義兄様が追い詰められていたのかがわかる。
にっこりと微笑んで、私はお義兄様へ手を差し伸べた。
「じゃあ、こういうのはいかがでしょう?
お義兄様が私の、お婿さんになるんです」
「――――」
「父は納得させます。させてみせますとも。私は婚約者がいませんし、かと言って実質今から他の養子を取って教育し直すなんて至難の業でしょうから、結局は私が次期侯爵にならざるを得なくなると思います。
しかし私は今まで一切そういう勉強をしてこなかったものですから、ものすごく苦労するでしょう。そこでお義兄様に支えていただくのです。私の夫として。そうしたらお義兄様が表舞台で悪意に晒されることは減ります。とてもいい考えだと思いませんか?」
お義兄様はもう、私のお義兄様ではいられない。でも私は離れたくない。お義兄様も行くあてがない。
それらの問題をいっぺんに解決する方法はこれしかないように思えた。
お義兄様が悪役令息であろうがなかろうが関係ない。私がお婿さんにすれば丸く収まる。妙案ではなかろうか。
お義兄様が弱っているところにつけこみ、私の想いを実現させようとしているだけだと言われればそれまで。しかしどうしても、お義兄様を放っておくことなんてできなかった。したくなかったから。
お義兄様はまじまじと私を見つめ、しばらく動かなかった。
しかし私が手を差し伸べ続けているとやがて――。
「貴女の婿、か」
私の手のひらに線の細い指を重ね、氷のような美声で言った。
「悪くないな」と。
「ありがとうございます、お義兄様」
お義兄様にはきっと、私への情はまだないだろう。
でもそれはこれからいくらでもどうにもなることだ。私はお義兄様を愛している。心から愛し尽くしている。たとえ私にお義兄様の隣が相応しくなかったとしても構わない。一緒にいられるだけで、お義兄様を私のものにできただけで、それで充分だった。
とはいえお義兄様の評判を落とし、これほどまでに追い込んだ者たちを許せるわけではない。
フィリス嬢と第二王子殿下には、お義兄様に恥をかかせたことを絶対に後悔させてやる。そして私の手でお義兄様を幸せにしてみせる。
お義兄様の麗しい顔を真正面から見つめながら、私はそう強く強く決意した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お義兄様がフィリス嬢を虐げていたという馬鹿げた冤罪を否定するには、偽証を覆すものが必要だ。
まず私は裏切り者の使用人を特定することから始める。金に目が眩み、フィリス嬢に命じられて嘘を吐いたのであろう使用人たち。しかし彼ら彼女らの偽証は匿名の内部告発という形にされていたようだった。
「そのまま働き続けられると思っていたら大間違いです」
父は執務に忙しく、使用人の解雇まで手が回らないらしい。
そんな情けない父に代わって私が、主人の信用を損なわせたその報いを正しく受けさせるのだ。
父にはやや強引に話を通し、私がお義兄様に代わって嫡子になること、その支えのためにお義兄様を私の婿にすることを認めさせた。
お義兄様との婚約発表はお義兄様の無実を証明してからと決まったので、急がねばならない。父から使用人たちを調べる許可を得れば早速行動開始だ。
まずは使用人たちの会話に聞き耳を立てる。
特に厨房などは溜まり場で、料理メイドやら掃除メイド、執事などが入れ替わり立ち替わりやって来ては色々な情報を落としてくれた。
「見て見て? このイヤリング、この間いただいたフィリス様からのご褒美で買ったの」
「いいなぁ。私もフィリス様に声をかけられたら良かったのに」
「王宮で働けるようになったらもっと給料上がって贅沢できるのにな」
「嫌よねぇここの職場。早く王宮に転職したい……」
使用人同士でも大っぴらに会話することはないものの、二、三人などの少人数で雑談をしている際に話題に登ることが多かった。
うちで働いている使用人は約五十。そのうち、フィリス嬢と確実に関わりを持っていると確認できたのは十人以上、不正な内部告発があったことを把握し黙認しているのがさらに十人ほどいるのは確実だ。
「ここまで絞れれば大丈夫でしょう」
ぼそりと呟き、父の執務室へ。
そこから父を引っ張り出してきた。
「隠れて見ておいてください。これから私が使用人に全てを吐かせます」
「シエラ、乱暴なことだけはするなよ」
「……静かに」
そう言い残して、私は厨房へ突撃。
ちょうどフィリス嬢関連のことを話していた使用人三人が、ギョッとしてこちらを見つめた。
「シエラお嬢様!? どうしてここに――」
「全て聞かせてもらいましたよ、あなたたち。
金と地位を約束されて目が眩み、お義兄様の良さがわからない愚かな女に傾ぐなど、我がロブソン侯爵家の使用人として許されることではありません」
静かな声音で、鋭い言葉の刃を向ける。
蒼白になった使用人たちは、「ご、誤解です……」と蒼白な顔で呟いたり、「お聞きになっていたんですか!?」と悲鳴のような声を上げるなどしている。その声で他の使用人が厨房へ集まってきた。
ちょうどいい具合に裏切り者たちが全員揃った。
そのことに内心満足しながら、私は喋り続ける。
「あなたたちがお義兄様を貶めたせいで、次期侯爵は私となりました。そのことはあなたたちも知っているでしょう。父から許可はいただいておりますので、私があなたたちに処罰を下すことができます。
虚偽の証言をした者には主に逆らったとして極刑を、それを見て見ぬふりをしていた者には職務怠慢による罰金刑を。……ですが」
「ひぃっ!」
にっこり笑って見せたせいか、使用人の一人が悲鳴を漏らして腰を抜かしてしまう。
その滑稽さに私は口元の笑みをさらに深めた。
「今この場所で、私の問いに正直に答えるなら罪は軽くなることでしょう。救われたくば私に話しなさい。それでも黙っていたり虚偽の答弁をしようなど企んだ者には一切の容赦はしませんので、そのつもりで」
ここは厨房。脅しに使えるものはいくらでもある。
近くにあった肉切り包丁を手に取れば、一気に空気が張り詰めた。
皆、私が本気だということにようやく気がついたらしい。
ある者は震えながら、ある者は悔し涙をこぼし、ある者は目を白黒させながら、皆命乞いをし始める。
しかし当然私は命乞いが見たいわけではない。フィリス嬢の協力者または協力者がいたことを知っていた人物を徹底的に問い詰め、彼らか彼女らの心をへし折っていく。
そのあと紙を手渡して、今までの行いの全てを直筆で書かせた。
――数時間後、全てが終わった時、この屋敷の使用人の七割がこの件に関わっていることが判明していた。
七割。七割だ。これだけ忠誠心が低い使用人ばかりなのかと反吐が出そうだった。
「お父様。最後の沙汰を下してやってください」
「――わかった」
それまで息を殺していたロブソン侯爵の登場に、使用人一同のどよめきが走る。
もしかするとこの場を切り抜け、ロブソン侯爵に言い訳をすればどうにかなると思っていたのかも知れない。そうだとすれば本当に愚かで哀れだ。
「お前たち。屋敷の主として、我が家の名を穢した全員に解雇を告げる。直ちにここを立ち去れ」
紹介状なしの解雇。それは実質、次の職を探すのは難しい。
主がとんでもない非道な人物でない限り、前の職場で問題を起こしたことは明らか。そんな人物を雇おうなどと思う者はいないからだ。
けれど、紹介状なしの解雇の沙汰を下しても、誰も反論する者はいない。
皆命が惜しいとばかりに、そそくさと屋敷から飛び出して行った。
これで使用人との決着はついた。次は彼らが書き残した紙を片手に、主犯たちに挨拶へ行くのみ。
私はいそいそと準備を始めた。
柔らかな日差しが降り注ぐ王宮の庭園にて、戯れる二人の人物の姿があった。
片方は白髪の美青年。もう片方は金髪の少女。少女は美青年の膝の上に乗せられ、チュッチュと口付けられている。
そこに割り込むのは無粋だろうか。――きっと無粋に違いない。
しかしそんなことに構うものかと、私は庭園の中へと足を踏み入れる。
「ごきげんよう、お二方。ずいぶんお熱いことで。素敵なことだと思いますよ、愛し合う二人が甘い時間を過ごすことは」
ようやく私の存在に気づいたらしい彼ら――第二王子殿下とフィリス嬢が、驚いたように顔を上げた。
「誰だ!?」
「申し遅れました。私、シエラ・ロブソンと申します」
ドレスの裾をつまみ、恭しく頭を下げる。
形だけでも王族への敬いの姿勢は示しておかないといけない。
「ど、どうしてここに……」
「フィリス・メアディ嬢。この度はあなたと、そして第二王子殿下とお話ししたいことがあり、訪れた次第です」
「話したいこと、ですの?」
怯えるようにこちらを見つめながらも、その瞳は語っていた。
今更何をしに来たのかと。わたしは第二王子殿下の寵愛を一身に受けているのだと。
果たして最後に笑うのは私なのか彼女なのか。
その目で耳で体で確かめてみればいいと私は思った。
「ここで話すのもなんですから、中へ入りましょう」
「どうして悪役令息の妹などを――」
「国王陛下とは事前にお会いする旨のお話はいたしておりました。国王陛下から、このことをお伝えいただいたはずなのですが?」
第二王子殿下だけなら、あの夜会の時のようにろくにこちらの言い分を聞かないに違いない。
だから頼れる人物、国王陛下に同席いただくのが重要だった。だから私は、手紙を書いて、いつの日程ならいいかの調整などをしていた。
それにしても突然訪問するのは悪いので、関係者に知らせてもらうよう言っておいた。しかしそれがうまく伝達していないということはおそらく、第二王子殿下がろくに話を聞いていなかったということだろう。
第二王子殿下は気まずさと怒りが入り混じったような表情で、「ついてこい」とフィリス嬢を伴って城の中へ。
私はその後に続いた。
向かった先は謁見の間。そこで国王陛下は私たちを待っていた。
「ロブソン侯爵家の娘よ。そなたは我々に何を語る?」
「お義兄様――ニコラス・ロブソンの件に関してお話しさせていただきたく」
場が静まり返る。第二王子殿下は苦々しい顔で私を睨みつけ、フィリス嬢は先ほどとは打って変わって少し不安げだった。
まさか国王陛下まで同席することになるとは思っていなかったのだろう。国王陛下の前でうっかり口を滑らせれば、彼女は詰む。
もちろんそうでなくても詰むのだけれど。
「フィリス嬢はお義兄様に長年虐げられていたとおっしゃいますが、私はどうにも腑に落ちず、調べて見たのです。するとどうでしょう、使用人の多くがフィリス嬢にご褒美をいただいたと証言するではありませんか」
「――――」
「もし使用人たちのそれが偽証であれば、お義兄様を断罪した例の夜会にて第二王子殿下がおっしゃったことはロブソン侯爵家への侮辱と見做されることになります」
「そちらこそ俺たちを侮辱しているであろうが!」
早速声を荒げたのは、やはり第二王子殿下だった。
「ではこちらの紙をご覧ください。一枚は全て使用人たち……いいえ、今は解雇したので元使用人たちの直筆で彼らにとっての真実が記されたもの。そしてもう一つは、あの夜会のひと月ほど前に不自然に増えた使用人の金の使い込みに関する文書です」
一枚目の紙は、いまいち証拠として薄い。
しかしそれを裏付けるのが侯爵家の購入履歴。給与は増えていないのに、急に宝石等を購入する額が増えたことがそこには明確に記されていた。
怪しまれないよう侯爵家の金と偽って買っていたらしいが、それは誤魔化しに過ぎず、少し調べたらすぐにわかることだ。
「そんなの、偽造文書かも知れないだろう!」
「偽造文書ですか。それなら夜会の時、お義兄様へ向かって突きつけたあれは、どうして偽造でないと言い切れるのでしょう。あの匿名の内部告発とフィリス嬢の言葉だけで、どうして彼女が被害者になり得るのでしょう? 国王陛下は、どう思われますか」
国王陛下に目を向ければ、息子に対し厳しい視線を向けていた。
「お前、そのようなことをしておったのか。ロブソン侯爵令息に責があるのは明白と、余にはそう報告したな。それは虚偽であったのか?」
「違います。そうではなく、ただ」
フィリス嬢を救いたかっただけ、なのだろう。
実はフィリス嬢はお義兄様に優しくされてたことなど知りもせぬままに。
「――フィリス嬢、これは一体どういうことなのかお答えいただけますか。あなたは第二王子妃になるため、お義兄様を貶め、悪役に仕立て上げた。違いますか?」
「いいえ。わたしはただ、ニコラス様に謝っていただきたかっただけですわ」
「謝罪してほしいなら、ロブソン侯爵である父に頼んでそのような機会を設ければ良かっただけのこと。わざわざ王子殿下に頼りあのような公衆の面前で貶めた、その理由は一体何なのです?」
「ああでもしないと言い逃れされると思いましたの。そうなってしまえばきっと侯爵家の力で揉み消され、ニコラス様こそが正しいことになってしまいますわ!」
「あなたが受けた被害が本当であれば、しっかりとロブソン侯爵家を調べ尽くせば証拠はたくさん上がるはずですよね。しかし嘘なら、匿名の内部告発で罪をでっち上げた程度ではボロが出てしまいます。ですから皆にとって衝撃的な婚約破棄宣言という形をとった、違いますか?」
図星だったのだろう。フィリス嬢は目を泳がせ、黙り込んでしまった。
本当にこの女はずるい。絶対に許してなんてやるものかと睨みつける。
「お義兄様――ニコラス・ロブソン侯爵令息と結ばれていた婚約という契約を違え、嘘によって貶めたその罪は重いですよ」
ロブソン侯爵家が資金援助を行ったことで息を吹き返したメアディ伯爵家は、さらなる高望みをしたのだろう。
フィリス嬢を侯爵家の夫人にしておくのはもったいない。どうせなら王家に嫁がせてしまえばいいのではないかと。
そこで出会ったのが第二王子殿下。ありもしない悲しい境遇――お義兄様に虐げられているという嘘で同情を買い、手玉に取って第二王子殿下の婚約者の座に収まった。
それでハッピーエンドだとでも思っていたのだろう。でもそうはならない。ならせてやらない。
「容姿はもちろん、天から降ってきたのかと思うほどの美しいお声も、その紳士的で遠回しな優しさも全て全て全て全てが完璧過ぎて尊いお義兄様を貶めておきながら幸せになるなど、この私が許しません。お義兄様の心を傷つけ苦しめたというこの世で最も重い罪を犯したのです、謝罪すべきはどちらなのかよく考えてみてはいかがでしょうか、フィリス嬢?」
「……あ、あなたは勘違いしているのです、シエラ嬢。ニコラス様はそんなに素敵な方じゃ」
「これ以上お義兄様を侮辱するんですか? そんなに殺し合いをなさりたいのであれば受けて立ちますが」
本当に私が殺気を放っているのがわかったのか、フィリス嬢は震え上がり、涙を目に溜めて「怖いですわぁ」と第二王子殿下に縋りつく。
しかし第二王子殿下はフィリス嬢より私の言葉を信じてしまったようで――。
「フィリス、お前俺に嘘を吐いていたのか! ふざけおって」
「殿下……? まさか、シエラ嬢のおっしゃることが本当だと? 嘘ですわよね?」
「悔しいが、彼女の言い分は聞けば聞くほど正しく聞こえる。それに元々変だとは思っていたんだ! 暴力を振るわれた割には痕跡がほんの少ししか見当たらなかった。あれはもしやわざと作ったものではないのか!?」
「そんなっ。殿下、信じてくださいませ!」
「お前との出会いはそもそも運命でもなんでもなかったのか、畜生、騙された!」
「殿下、愛を囁いてくださったのは嘘なのですか。幸せにしてやるって、言ってくれたのに……!! どうして? どうしてわたしは幸せになれないんですの? 不本意な婚約から解放されて、殿下に大切にされて、全部うまくいくはずだった! わたしの計画は成功して、なのにっ」
第二王子殿下が怒鳴られ、すすり泣くフィリス嬢は、鬼のような形相で私を見上げる。
そして、吠えた。
「わたしを追い詰めたところでどうせニコラスは悪役令息で壁のシミですわよ!! あんな男、誰に好かれるはずもないじゃない! 『氷の貴公子』!? バッカじゃありませんの。少し顔がいいくらいで調子に乗っているだけのくせに。どうせ婚約者もできないままに独りでのたれ死ぬんでしょうそうに決まっていますわ!」
とんでもない罵倒だ。しかし今度は怒りが湧き上がることはなかった。
だってただのくだらない負け惜しみだったから。
「私のお義兄様は悪役令息ですが、私がお婿さんにするので何も問題ありません」
「婿……!?」
「泣きじゃくるだけで反省を見せないあなたに、詳しく説明しては差し上げませんよ」
あとは勝手に転落していけばいい。
可愛い顔をして醜悪としか呼べない思考を持ち、それによってお義兄様を貶めたフィリス嬢も、今更恋から覚めた第二王子殿下も同罪だ。
この二人はまとめて裁かれることになるだろう。
「――話はわかった。精査が必要ではあるが、おそらくメアディ伯爵令嬢の訴えが虚偽であろうことは明白だ。
愚息がロブソン侯爵家へ損害を与えたことには違いあるまい。ロブソン侯爵家には慰謝料を支払い、愚息には相応の罰を与えるとする。ロブソン侯爵令嬢、不満はあるか」
「いいえ、ございません。ですがあえて申し上げるとすれば、ニコラス・ロブソンの名誉の回復にご助力くださると嬉しく思います」
国王陛下は大きく頷いてくださった。陛下は話が通じる方で良かったと安心する。
第二王子殿下とフィリス嬢の沙汰がどうなろうが、これでお義兄様を幸せにする第一歩は踏み出せた。
私は思わず笑顔になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やっと婚約ですね、お義兄様!」
「貴女はもう僕の義妹ではないだろう」
「ああ、確かにそうですね。じゃあどうしましょうか? うーん、じゃあニコラスで。ニコラス、ニコラス、ニコラス。口にすればするほどいい響きでうっとりしてしまいます」
王宮でフィリス嬢と第二王子殿下とやり合った数日後のこと。
条件を達成した私は、晴れてお義兄様――改めニコラスとの婚約に漕ぎ着けることができた。
彼はすでにロブソン侯爵家から籍を抜き、今だけ元の姓になっている。婚姻すれば再びニコラス・ロブソンになるというわけだった。
一目惚れした時にはまさかニコラスの隣に立てるだなんて思ってもみなかった。
これからはもう義兄妹ではなく婚約者同士なのだ。そう思うとどうしようもなく浮かれ上がってしまう。笑顔が溢れた。
「ニコラス、キスしてもいいですか?」
「ダメだろう。婚前の男女がしていいことではない」
「うーん、確かに。じゃあ手を繋いでください!」
こくりと首を縦に振って、ニコラスは躊躇いがちに私の手を取ってくれる。
『氷の貴公子』と呼ばれるだけあって少しも照れた様子はなく、無表情。しかし彼の手はあたたかく、その感触を味わっているだけで夢心地になれた。
「本当に貴女は僕に好意を抱いているんだな。第二王子殿下とその婚約者にやり返すなんて、普通そう簡単にできることではないだろう」
「好きな人のためなら何でもやれるのは当たり前です。初めて出会った時に一目惚れして、それから何度も何度も惚れ直してきたくらいなんですよ?」
「……知らなかった」
知らなくて当然だ。今までずっと隠してきたのだから。
しかしもうその必要はない。存分にニコラスを愛そうと決めていた。
こんなに素敵な方をお婿さんにできるなんて、私は幸せ者だと思う。
国王陛下は第二王子殿下には王位継承権剥奪、フィリス嬢にはメアディ家との絶交という形で処罰を下し、約束通りニコラスの名誉に関することを気遣ってくださっているようなので、今すぐとはいかずともそのうち悪役令息呼びは無くなると思う。
ニコラスを悪役令息だと嘲笑った大勢の令嬢たちを許すことは一生ないが、ニコラスが二度と悪意を向けられることがなくなるならそれでいい。
むしろ、ニコラスが令嬢たちに変に絡まれたり囲まれたりすることをこの先しばらく心配しないでいいので都合が良いくらいだった。
「これから一緒に二人で頑張っていきましょう、ニコラス」
「そうだな」
「ふふっ、まずは次期領主としての勉強を教えてくださいね。そしてその隙間時間にいっぱいデートをしましょう。それから……」
ぺちゃくちゃと喋り続ける私を、すぐ隣でニコラスが見つめてくれている。
そのことが私は嬉しくてたまらなかった。
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