9.ソフィアと青年
翌日、朝食を終えると、ソフィアとエマは出かける準備を始めた。
ソフィアは、図書館司書にはじめに渡す手紙を書き始めた。
(今日も手話の書物は読みたいわ。あと、絵の描きかたとか、図案のようなものはあるかしらね)
この日調べたい書物の候補を手紙に認めた。
(昨日の帰り際に閃いたのは良かったわ。今日の時間を有効に使えるもの)
(それと、昨日の…。とても美しい人だったわね…。でもそんな美しい人に笑われてしまったんだったわ。恥ずかしい…。それにしても、その笑った顔も整っていたわね)
ソフィアが男性のことを考えるなんて、今まで一切なかったことに、ソフィア自身は気づいていない。
(あの方はいつもいらっしゃるのかしら?今日もいらっしゃるのかしら?)
ペンを持ったまま、字を書き始めないソフィアを不思議に思ったエマは、声をかけた。
「お嬢様?いかがなさいました?またお顔が赤いようですが、お熱はありませんか?」
青年のことを考えていたソフィアは、自然と気持ちが昂っていることに気が付かなかった。
昨日から少し様子がおかしいソフィアに、エマは心配になった。
「お風邪でもひかれましたか?この国は一段と寒いですから」
エマはソフィアの顔を覗き込み、手を額に当て、熱の有無を確認した。
「熱はなさそうですね」
ソフィアは、こんなに心配させるほど顔が赤くなっているのかと恥ずかしくなった。体調は何でもないことを伝えたい。しかし、ではどうしたのかということを説明するほど、自分の気持ちを理解は出来ていなかった。この気持ちはどういうものなのか、年の近い女性であるエマに聞きたくても、エマに直接説明できないもどかしさで、ソフィアは更に困ってしまった。
(フレデリックに間に入ってもらうわけにはいかないし、ましてやお父様は無理だわ。本当は、マドレーヌがいれば一番適任なのに…)
マドレーヌの予定が合わなかったことが悔やまれた。
結局、誰に相談することもなく、図書館へと向かった。
司書に用意していた手紙を渡すと、予め用意されていた書物を受け取った。表題を見ると、手話に関するものであった。ソフィアは笑顔で感謝を表現すると、司書に伝わったようで、「良かったです」と返事をもらった。さらに司書は手紙に目を通し、「追加分の書物も用意しておきます」と言ってくれた。
「では、追加分は用意できましたら、私が受け取ります。お嬢様にお持ちしますね。先にこちらを閲覧室にお持ちしましょうか」
ソフィアは、まずは先に用意してもらっていた書物を運ぶのをエマに手伝ってもらい、閲覧室に向かった。
閲覧室に入ると、ソフィアは真っ先に窓辺を見渡した。
すると、昨日と同じ場所に、昨日と同じ青年が読書をしていた。
(今日もいらっしゃったわ!ご挨拶するのは変かしら?……変よね。知り合いというわけではないですし)
ソフィアが青年を見つめたまま固まっていると、エマが声をかけた。
「…お嬢様、どちらにお掛けになりますか? ……、どうかされましたか?」
はっと、ソフィアは軽く首をふり、位置を決め、エマに示した。
「こちらに置かせていただきますね。また追加分をお持ちします。私はあちらにおりますので」
エマはソフィアの上着を受け取り、ソフィアが見つめていた先を気にしつつ、退室していった。
ソフィアは、そっと窓辺に目を向けると、こちらを見ていた青年と目があった。
(!!!!!)
ソフィアは、心臓が跳ねあがったが、顔に出さぬよう気をつけ、小さくカーテシーをし、席に着いた。
(すごく驚いたわっ!こちらを見ていらしたの?でも…、挨拶することが出来たわ)
ほっと息を吐き、小さく微笑むと、さっそく今日の読書に取り掛かることにした。
小一時間ほどたったころ、エマがソフィアの横にやってきた。
「お嬢様、司書様がお願いした分を見繕ってくださいました。書籍はこちらに置きますね」
ソフィアは笑顔で返した。
エマは、窓際に目を配らせると、何かを確認するように、ソフィアにも目を向けた。
(?…エマ、どうしたのでしょうか)
ソフィアが不安げな顔をしていた為、自分の行動に疑問を持たれたことに気づいたエマは、自分が感じた疑問を投げ掛けた。
「あの、お嬢様?どなたかとお知り合いにでもなられましたか?」
(!!!!!)
ソフィアは、なぜそう思ったのか聞き返したかったが、とりあえず、手で✕を作った。
(知り合いというわけではないものね。私が気になっているというだけで…)
「そうですか?…、では、また私はあちらにおりますね」
エマは退室していった。
(エマは何が気になったのでしょう。エマに聞いてみたいわ。いろいろ聞いてみたいわ。どうしましょう…。やはりフレデリックにお願いしないとかしら)
侍従とはいえ、壮年男性であるフレデリックを挟む内容ではない気がして、悩みに悩んでしまった。
(いけないわ、集中しないと、せっかく図書館にいるんだから、調べなきゃ)
ソフィアは気を引き締めて、読書を再開した。
しかし、どうしてか、あの美しい青年が気になってしまい、チラッと目を向けた。何度かに一回は、青年と目が合ってしまい、その度に慌ててしまったが、徐々に変化が表れる。目が合うと、青年がソフィアに優しく微笑んでくれるのに気が付いた。ソフィアは物凄く照れたが、自分も微笑み返した。
そんなことを繰り返していると、窓の外は夕暮れが近づいてきた。
なんだかんだ、ソフィアは読書も進め、収穫もあった。
(図案は役にたったわ。絵といっても、絵画のようなものでなくて良いのね。線だけで描く単純な手法もあったわ。これならばわかりやすい。この書物には見本もたくさんあった。他には、手話には指文字というものがあったわ。音を表しているから、発音通りに示していけば、意味で覚えなくても良いし、五十音を覚えれば、表現できる。これは手話の単語を絵に代えてカードにしてみようとしたのと同じことで、五十音表を作成し、会話の時に広げて、一文字ずつ指して示していけば文になるわ。五十音さえ読めるようにしてもらえば、会話が可能かもしれない)
この日はここまでということで、ソフィアは書籍を揃え、退室をする前に、窓辺の青年に目を向けると、青年もソフィアに目を向けてくれていた。
お互い微笑むことで、この日の別れを告げた。
そこには、穏やかで、優しい空気が漂っていた。
ソフィアは司書に書物とお礼の書かれた手紙を渡し、エマと合流した。ソフィアは穏やかな笑みを浮かべている。
「お嬢様、何か良いことがありましたか?」
ソフィアは手で◯を作った。
「今日も有意義に過ごせたようで、何よりです。今朝は様子がおかしいと感じ、気になっていたのですが…」
エマには、ソフィアにいろいろ聞いて確認したい事がたくさんあった。それは、ソフィアも十分に感じ取っていた。
(今回の旅は、あと数日で終わる。先に延ばせる問題では無いし、フレデリックにお願いするしかないわね)
馬車に乗ると、ソフィアはフレデリックに渡す手紙を書き始めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
当初は、フレデリックを青年と表記していましたが、33歳くらいを設定していたので、壮年としました。