26.シルヴァンの知恵
ブランシュール王国から戻ったソフィアとアドルフは、公国建国に向けて、動き出した。まずは、公邸となるであろう辺境伯邸の改修と増設に着工した。出来るだけ資金を無駄に使いたくなかったソフィアは新設することは避け、既存の建物を有効に使うこととした。領地内の優秀な大工や左官を集め、予定より短期間で仕上がることとなった。
広くなった辺境伯邸では、使用人の人数も増やし、教育を施した。
一方、ブランシュール王国では、アドリアン王太子が活躍する。巨大国家であるディヴォア帝国が手出しできない強い存在となっているソフィアと親密になりたい近隣諸国は、オルヴェンヌとの友好関係が露見されたブランシュールとの関係を深めた。ソフィアにコネが全くない近隣諸国は、ブランシュールに頼るしかなく、ブランシュールはそれを利用し、アドリアン王太子の存在を強めていくことに成功した。さらに、ブランシュール側から、近隣諸国にオルヴェンヌの公国建国に協力を求めることにも成功し、ソフィアやアドルフが外交することなく、公国建国の支援を賜ることとなった。
その影には、知識が豊富なシルヴァンの机上の戦略によるものが大きく、ブランシュール国王も王太子も余裕をもって活動することができた。
アドリアンが外交に出ている間、シルヴァンはオルヴェンヌ領に訪問していた。毎回、数時間から数日間といったところだが、ソフィアとシルヴァンは逢瀬を楽しんだ。
初めてシルヴァンが辺境伯邸に訪れた際は、シルヴァンのあまりの美しさに、使用人一同惚けてしまって仕事にならなかった。そんなことも今となっては良い思い出である。
この日は天気も良かったため、庭園の花を眺めながら、2人は寄り添い、会話を楽しんでいた。
『それにしても、驚いたなぁ。みんな手話で会話してくれるとは…』
『あなたがこちらに来る頃には、驚きますよと申し上げたでしょ?』
『ああ、素晴らしいよ』
2人は見つめ合い、微笑み合った。
『会話といえば、私が領民に言葉を述べたい時には、どうしたら一番良いのかと考えているのです。毎度通訳を必要とするのも、私からの言葉なのに、私からでは無いような気がして。通訳ですと、ちょっとした違いから誤解を生むことも怖いですし。領民の多くは識字能力を持ちませんから、文書でも述べられないですし』
『どうして、多くの領民が識字能力を持たないんだい?』
『この地は貴族が少ないのです。ほとんどが平民で。家庭教育を受けることがありませんから』
『では、文字の読み書きが出来るようになれば良いんじゃないかな?』
『そんな労力を使わせてしまうのは、心苦しくて』
うーん、とシルヴァンは悩んだ。それは、どのようにソフィアを諭したら良いのかということだ。ソフィアは自己犠牲の精神が強い。周りの人が苦労すると思うことをさせないようにしている。字を読めるようになることは、辛いことではないということを理解させたかった。
『みんな言葉を話すよね?話せるようになるまで、これは労力がいることだったかな?』
『いいえ。こちらは、成長していく過程で自然と出来るようになりました』
『君は手話を覚えるのに、労力を使ったと思ったかい?』
『いいえ。私には必要なことでしたから、大変だったという思いも、あまりなかったように思います』
『では、領民は、文字が読めないままで良いと思っているかな?読めるならば読めたら良いなと思っていると思わないかい?』
『ええ。それは、読めたら良いなと思っていると思います』
これに関しては、エマや使用人たちの反応で知っている。学べたことをとても喜び感謝されたからだ。
『そしたら、学べる場を作ってあげたら良い。この町は、商業や産業が盛んだ。字を読めたら、仕事の助けにもなる。仕事の助けになることならば、領民の理解も得られよう。今後の未来を担う若者には特に、読み書きや計算など生活で使いそうな能力と、仕事に活かせる技術を、そうだな、この町なら例えば女性には裁縫や編み物や刺繍を。一堂に集めて学べる場を作ったら良い』
『一堂に集めてですか?』
『ああ。なぜ、平民は教育を受けられないのだい?』
『家庭教師を雇えないですし、皆さん働いてますから、時間もないからかと…』
『おそらく、経済的な理由だよね?一堂に集めて教育をする形をとれば、教師は一人で済む。一人の教師に支払う給与は、国が補助したらどうかな?平民には無料で学びの場が作れるだろう?』
『なんてことでしょう。学んでもらわなくてはという考えではなく、学びの場を提供すれば良いのですね』
『君の使用人たちは、絵札を使って文字を覚えたり、手話も出来るようになったよね?それは、使えたら良いなと思った皆と、学ぶ機会を与えたソフィアの力によるものでないかな?領民にも同じことが言えないかい?』
『まぁ!その通りですわね。私、皆からすごく感謝してもらったのを思い出しました。とても素敵な案ですわ!まずは領民が一同に集まれる建物を用意しましょう。既存の施設では集会所も使えますわね』
こうして、オルヴェンヌ領には、大学が作られた。のちに、ほとんどの領民は身分によらずとも、読み書きが出来るようになった。
シルヴァンは、オルヴェンヌにとっても、影で支えてくれる、重要な人物となった。
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