23.君の名を
国王とオルヴェンヌ辺境伯との会合では、シルヴァンとソフィアの婚約の他にも、今後について話し合った。
『まずは、こちらの今後の予定であるが、3週間後にアドリアンの成人記念式典及び立太子の発表を行う。そこには、先日のディヴォア帝国の祝賀会にも呼ばれていた各国の来賓を招待しているから、より緊張感が生じていることだろう。ここで、第一王子シルヴァンも披露する予定であったが、当初の目的は、アドリアンが立太子し、立場を明確にしたことで、離宮に隔離していたシルヴァンを自由にするためであった。しかし、この情勢だ。この第一王子という立場を利用しようと狙うものも多かろうから、本日決まったソフィア嬢との婚約も発表したい。よろしいか?』
「はい。同じくソフィアの立場も守ることができましょう」
アドルフは国王の提案に同意した。
『うむ。2人の結婚は、ソフィア嬢が辺境伯を継いで、帝国から独立してからが良いかと思うがいかがかな?』
「そちらも異議はありません。私としては、このような運びとなったため、アドリアン殿下の立太子までに、ソフィアに爵位を継がせたいと考えます。異例ではあるかと思いますが、私の生前退位と申しましょうか。婚約発表と同時に発表出来ることが望ましいかと。第一王子とあられるお方が、辺境伯令嬢の婿となるのではなく、女辺境伯の婿になる方が箔がつきます。しかしソフィアの意思を確認してからとは思うのですが」
アドリアンの通訳を見ていたシルヴァンは急にまわりの環境が変わりつつあるソフィアの事が心配になり、ソフィアに目を向けた。ソフィアはシルヴァンの視線を感じ、シルヴァンと目を合わせると、優しく微笑んだ。
(うっ、可愛い…。こんな時に、不謹慎だが)
シルヴァンの心の中は複雑だった。
『さて、ソフィア嬢、オルヴェンヌ辺境伯の考えについては、どのように考える?』
国王に問われ、一度目を伏せたが、顔を上げると、ソフィアは覚悟した。
『私も、同意いたします。オルヴェンヌ領を守りたい。ここで暮らすものたちの産業も、商業も、生活も。ここまで父が大切に築き上げてきました。これらをこの情勢から守りたいのです。ディヴォア帝国は知らず知らずのうちに、自ら私が有利であるよう、種を蒔いてくださいました。皇太子殿下との婚約破棄も障害も私に非はなく帝国側が悪いのだと関係国に広めてくださったのです。たくさんの賛同も得ることが出来ましょう。そして私は本日、ブランシュールという後ろ楯を頂きました。この一連の動きは、私にかかっております。私から仕掛けましょう。時がきたと思っております。花を咲かせましょう』
成人を迎えたばかりの1人の女性の逞しさに、一同は惚れ込んだ。
『素晴らしい!なんと素晴らしいのだ、ソフィア嬢。私は気に入ったぞ。父のオルヴェンヌ辺境伯も優秀な男だが、さすがその娘であるな』
国王は感嘆の声を漏らした。
アドルフは涙を浮かべながら、ソフィアを抱きしめた。
「まだまだ若い君に、重い覚悟を背負わせてしまった。すまない」
ソフィアはアドルフを抱きしめ返した。
(なんて、素晴らしい女性なんだ、ソフィー。私は何があっても君を守ろう。君を支えよう)
シルヴァンは静かに決意した。
国王は話を続けた。
『あと、アドリアンの正式な婚約も発表する予定だ。結婚はそこから半年から一年の間に行えるといいと考えるが、こちらは、オルヴェンヌ領の状況を見ながら進める。アドリアンが結婚したのを見届け、2人も結婚する運びが良いと考える』
『つまりは、オルヴェンヌが公国へと独立した後、アドリアンが結婚するということですか?』
シルヴァンが己の解釈を確認する。
『オルヴェンヌの公国化を、アドリアンの王太子としての外交にも役立てさせてもらう。そして、オルヴェンヌの為に忙しくなるであろうからな。自身の結婚は落ち着いてからが良かろう。その方がフランソワーズ嬢も寂しくしなくて済む』
『父上、そこまでお考えの上ですか』
アドリアンは感謝と覚悟を示した。フランソワーズ嬢とはアドリアンの婚約者で、ブランシュール王国随一の資産家、シャレット公爵家の令嬢である。アドリアンも政略的な婚約であるが、2人は幼馴染みでもあり、大変仲が良い。
ある程度詰め終わった所で、晩餐としようと国王からの提案により、食堂へと移動した。
晩餐には、元王女クリスチアーヌも参加した。
心優しい彼女には、今日の話し合いの結果は、大変嬉しい報告となり、自分のことのように喜んだ。
晩餐も終わりを迎える頃、シルヴァンとソフィアは、バルコニーへと移動した。
『こんな形で、君との未来が結ばれるとは思わなかったよ』
『私もです。あなたとの恋を終わらせようと覚悟をしていた所でしたから』
『そうか。私もなんだ。手紙を出せなくて済まなかった』
『いえ、仕方がなかったんです。まさか、王子殿下でいらっしゃったとは』
『身分もだが、障害も隠していて済まなかった』
『それはお互い様です』
『君は怪我を負ったからだ。傷は痛まないかい?』
『ええ、もうほとんど痛みはございません』
『出来ることなら、君に起きた不幸を代わってあげたかったな』
『そんな!あなたが傷つくことは私も嫌です。それに、私に障害が残ったから、あなたに会うことが出来たのですよ?』
『それは、どういうことだい?』
『発声障害のため、字が読めない方とは会話が出来なくなりました。そこで、何か方法はないかと、図書館へ行ったのです。そして、あなたに出会いました』
ソフィアはシルヴァンを見上げ、微笑んだ。
『なるほど。絵を描いていたのは、字が読めない人のためかい?』
『見ていらしたのですね。恥ずかしいです。今は使用人との会話に絵札を使っています』
そこで、ソフィアはペンを置くと、シルヴァンに向き直った。
『でも、今は少しだけ手話も使えるようになったのですよ』
ソフィアは手話で話をしたのだ。
それには、シルヴァンはとても驚いた。
『あなたとも直接お話できますね』
ソフィアはシルヴァンを見つめ、微笑んだ。
シルヴァンは、そんなソフィアが愛おし過ぎて抱き寄せた。
ソフィアもシルヴァンの温もりに、頬を寄せた。
すると、ソフィアの上から声が聞こえた。
「そ…ひぃ…あ…」
驚いて顔を上げると、シルヴァンが優しく微笑んでいる。シルヴァンの口元が動く。
「そひぃあ」
『発声、合ってるかな?』
シルヴァンは、ソフィアの名前を呼んでくれたのだ。少し拙いが、それでもソフィアの名を呼んでるのは伝わった。突然の出来事に、ソフィアは感激し、涙した。
『はい!合ってますよ!私の名前です!あなたの声で、私の名前を呼んで頂けるなんて!』
『練習したんだ。君の名前を知った日に。君の名前を呼びたくて』
『ありがとうございます!とても嬉しいです。とても…!!』
出来なかったことも出来るようになる、とても良い関係が築ける2人であると、確信したのであった。
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