20.書けない手紙(シルヴァン視点)
アドリアンが部屋を訪ねてきてから、1週間がたった。
あれからシルヴァンは手紙を書けずにいた。
(ソフィー。君は未来の皇太子妃なのか…?私はどうしたらいい?…ダメだ。書けない。今書こうとすると、優しい言葉が綴れそうにない)
すると、部屋にアドリアンが飛び込んできた。
『兄上、急に入室し、失礼します』
部屋の中では、手紙を広げ、頭を抱えるシルヴァンがいた。
アドリアンとともに入室したラファエルはシルヴァンに寄り添うと、顔を上げるよう促した。
『ああ、アドリアンか、どうした?』
幸せそうだった兄が、一変して落ち込んでいる姿に、アドリアンは胸を痛めたが、時期は深刻なため報告した。
『国王陛下と王妃陛下が帰還いたしました。情勢が動くとのことで、兄上も交えて本日会食を行います。月一回の晩餐同様、こちらの離宮に参ります』
アドリアンのただならぬ様子に、シルヴァンは構えた。
『情勢が動く?』
『はい。私も簡潔にお話を伺っただけなので、詳しくはわからないのですが、アルフレッド·ディヴォア皇太子殿下が廃太子ならびに皇子の立場を放棄し、皇族を出ました。ディヴォア帝国内が不安定になっているようです。今回の祝賀会には各国要人が招待されてましたので、近隣諸国にディヴォア帝国の内情を曝した形になったようです』
『つまり、近隣諸国も動き始める可能性が高まってるということか』
『はい。どこよりも先に基盤を整えておかなければいけません』
『…、あの、皇太子殿下の婚約の話については?』
『申し訳ありません。今のところその話は出ませんでしたので、確認がとれてないのです』
『いや、良いんだ。個人的な問題だから。直接会食の時に聞けるから、自分で確認するよ』
では、またあとで。とアドリアンは退室していった。
夕刻になると、国王、王妃、元王女、第二王子が離宮にやってきた。
『久しいですね、シルヴァン。元気にしていたかしら?』
元王女クリスチアーヌは、久しぶりの弟との再会に喜んだ。
全員、食堂の椅子に腰かけると、国王は深刻な顔つきで、話を始めた。
『急だったが、集まってくれてありがとう。情勢が動き始める前に、皆とは状況把握と確認がしたかった。私から説明するが、不足部分は王妃、君が補ってくれ』
『かしこまりました』
離宮での晩餐は、シルヴァンの為に全員手話で行う。理解が難しい時には筆談で補っている。
『まず、ディヴォア帝国皇帝の誕生祝賀会に王妃とともに参加してきた。先月の建国記念日式典に皇太子殿下が襲われる事件が起きたそうだ。そこで、祝賀会の前に、そこに関わった者の処遇も発表されたのだ』
国王は詳細を状況も含め説明した。
『随分と帝国内がというか皇室が荒れてますね。この皇室が治めている帝国という点に不安を感じます』
アドリアンも国王の心の内を案じた。
『うむ。とはいえ、これだけならそこまで急ぐこともないのだが、皇太子が婚約者のソフィア·オルヴェンヌ辺境伯令嬢と婚約破棄した所から、大きな問題となるのだ』
(!婚約破棄!!では、ソフィーは婚約者ではなくなっている!)
シルヴァンの心に、希望の光が灯った。
『それは、何が問題なのですか?』
アドリアンは話を促した。
『皇帝は、婚約破棄での両家の取り決めまで公表したのだ。皇太子殿下の不貞が原因で、殿下が襲われ、それを庇ったソフィア嬢が怪我を負ったという経緯があり、すべての責任をとり、皇太子殿下及び帝国は、ソフィア·オルヴェンヌ辺境伯令嬢へは一切関与しないとしたと』
(怪我!?ソフィーが?そのようには見えなかったが…)
シルヴァンはソフィアの様子を思い浮かべていた。
『すみません。父上。それを意味するところが、私にはよくは…』
アドリアンが頭を悩ませていると、シルヴァンが補足した。
『帝国が関与しないといったのは、オルヴェンヌ辺境伯令嬢に対してですね?それも、一切。ということは、辺境伯令嬢が領地にいる限り、帝国は領地を放棄しているようなものでは?』
『そういうことだ。あの広大な領地を手放したと言っているようなものだ。オルヴェンヌ領は、ディヴォア帝国でも唯一我がブランシュール王国に隣接する領地だ。治安においても、経済においても、重要な領地である。ここで手を組む以外になかろう。もとより、オルヴェンヌ辺境伯とは良好な関係を築いてきた。さらなる友好関係を築きたいと考えている。』
この内容に関して、皆、異議はなかった。
『ここまで早急に話を進めている理由はなんですか?』
今まで静かに話を聞いていたクリスチアーヌが質問した。
『うむ。アドリアンの成人記念式典及び立太子まで残り1ヶ月を切っている。こちらの予定は各国要人にも招待状を送っているため、変更は難しい。つまり、この時までには、アドリアンのためにも、ブランシュールとしては後ろ楯は作りたい。まずはオルヴェンヌ辺境伯と話し合いの場を設ける手筈はとった。数日後にはこちらに来てもらえるだろう』
この予定が決まっているが為に、この日の会食となったのだろう。
『慌ただしくなって申し訳ない。時がくる。ここまでシルヴァンには、隔離し拘束してしまって申し訳なかった。アドリアンが立太子した暁には、自由にしてもらおうと思っていたのだが、こちらの都合で申し訳ないが、アドリアンの後ろ楯が欲しい。シルヴァンよ、アドリアンを支えるために、政略結婚を視野に入れてくれ』
その言葉には、クリスチアーヌとアドリアンが驚愕し、シルヴァンは、唖然とした。
「そんな!でしたら今までシルヴァンを隠しておく必要などなかったのではありませんか!?私も政略結婚しております。これではまだ不十分なのですか!?」
クリスチアーヌは声をあげて反論した。
『すまない。しかし、あの巨大帝国が崩壊するとなると、何が起こるかわからない。国を、国民を守らなければならないのも、王家の宿命だ』
『そんな…、私が未熟なばかりに…』
アドリアンは涙した。
『…時が来ますか。仕方のないことです。私は、アドリアンを支えます。政略結婚も受け入れましょう。第一王子として、国のためにお役に立てることは、嬉しく思います』
シルヴァンは気丈に振る舞った。
横にいるクリスチアーヌは、シルヴァンを抱き締めた。
あっ、と、アドリアンは思い出したように質問した。
『ところで、オルヴェンヌ辺境伯との話し合いには、ソフィア嬢も招待しているのですか?』
それには、シルヴァンも顔を上げ反応した。
『もちろん、可能であればお願いしたいと添えたのだが。この一連の情勢は、ソフィア嬢にかかっているところもあるからな』
『ええ。でも、可能であればとしたの。ソフィア嬢は負った怪我により、発声障害を残してしまったそうなの。祝賀会にもいらしてなかったし、体調に無理がなければと思っております』
王妃は国王の発言に補足した。
それには、3人は唖然とした。
「そんな、ひどい」
優しいクリスチアーヌはソフィアを想い、涙を滲ませた。
(ソフィーは、発声障害をかかえていたのか。私と目を合わせ微笑むだけ。私たちには言葉はいらないとは思っていたが、言葉が出せなかったのだ。なんてことだ)
シルヴァンは胸が痛んだ。
次はオルヴェンヌ辺境伯との話し合いの日に会おうと国王は述べ、会食はお開きとなった。
シルヴァンは部屋に戻ると、膝から崩れ落ちた。
(私が文通していたソフィーは、ソフィア·オルヴェンヌ辺境伯令嬢なのだろう。彼女が辛かったときに傍にいてあげたかったな)
そして、涙を流した。
(これからも、傍にいたかった…。私が自由になったら、ソフィーに会って全てを明かし、愛してると伝えたかった。私に恋をすること、愛を育むことを教えてくれたソフィー…。でも叶わない。私はこの国の駒となる。第一王子として生まれた私の宿命だ)
ラファエルが寝支度のため部屋に入ると、シルヴァンが床に崩れ伏せていた。
慌てて駆け寄ると、シルヴァンは泣き崩れていた。
『シルヴァン様、どうなさったのですか!?何があったのです!?』
『私は、時が来たら、自由になるものだと思っていたが、事情が変わった。国のため、政略結婚も覚悟しなければならなくなった。ソフィーを想うこの気持ちとはお別れだ』
「シルヴァン様…」
ラファエルはシルヴァンの落胆に寄り添った。
『すまないな、ラファエル。きちんと気持ちにはけじめをつけるから。今日だけは、今日だけは、彼女を想うことを許してくれ』
ラファエルはしばらく寄り添うと、シルヴァンが落ち着いたのを見届け、支度を済ませ、退室していった。
シルヴァンは、ペンをとり、一つの手紙を認めた。
『親愛なるソフィー
時がきたら、全てを伝えたかったが、それが叶わなくなった。すまない。
君を想う温かい日々は、私にとってかけがえのないものとなった。
ありがとう。
勝手ではあるが、私のことは忘れてください。
君の幸せを願っている。
シルヴァン』
(この手紙は、アドリアンが立太子したら出すとしよう。その時が、私の初恋の終わりだ)
シルヴァンは、窓の外を眺め、ソフィアに想いを馳せた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。