君はもう
窓から差す朝日が僕を揺り起こす。夕方に眠りについたはずが、もう朝になっていた。マリーナはまだ眠っている。
「朝だよ」
僕は彼女の肩を揺さぶりながら言った。僕のせいで心身共に負担がかかって疲れているのは分かる。それはとても申し訳ないが、そろそろ起きてもらわないと困る。
「ん………あと少しだけ…」
彼女は子供のようにそう言って、再び寝息を立てはじめる。僕は……彼女の寝顔を見つめることしかできない。
……起こされるのって気分悪いから仕方ないね。
──少しして、
「ちょっと寝過ぎちゃった……」
起きたマリーナが、そう言って照れたように笑う。
「もっと早く起こしてよ〜」
文句を言う彼女に事実を告げても、聞く耳を持たないだろう。そして彼女の目は未だ眠気を帯びていた。
……金色の長い髪に、少し寝癖がついている。
そうだ、マリーナに聞きたいことがあったんだ。
「森で襲ってきた魔物はどうなった?」
この僕も、彼女すらも気づかないほど隠密な急襲……つまり他のモンスターとは格が違うほど強いということだ。さらに不死の、そんな魔物が王国に放たれればどうなるか……想像もしたくない。
「あぁ、あのゴブリンは君を………炎に包み込んだ直後、灰になって消えたよ」
まさか。そんなことが。あの魔物が? そんなことがあり得るのだろうか。恐らくメルラスと同じ不死性を持ったであろう奴が……。
俯いて考えていた僕が顔をあげると、マリーナは今にも泣き出しそうな顔で、何かを言おうとしていた。
「あの……アンリ……守ってあげられなくてごめん……いつまで経っても私は君のことを……」
「……!」
マリーナがそんな風に思っていたなんて。やっぱり僕は彼女にとって守られる存在なのか……? でも僕はきっと……
「そんなこと言わないで。僕だってマリーナと同じ大賢者だ。今は魔法が使えなくても……次こそ君を……!」
守ってみせる。少し恥ずかしいことを勢いで言ってしまった。ただそれも、彼女の涙を見ることに比べれば……。そしてマリーナは微笑みを浮かべてこう言った。
「えへへ、そうだよね。君はもう、あの日の少年じゃないんだ……。アンリ、改めてよろしくね。だ………」
その頬には涙がつたっていた。……結局泣かせてしまった……!
そして、消え入りそうな声で彼女が言った言葉が聞こえなかった。しかし、目の前に頬を染めた笑顔のマリーナがいる。
それだけで、今の僕には十分だった。
彼女の涙が止むまで時間はかからなかった。そして僕は話題を変えた。
「さっきのことについての考察なんだけど……」
……一体、使いを送っただろう──。
あの時メルラスは確かにそう言った。『使い』、つまりあの魔物にはメルラスの命令が込められていたのではないか。理屈は分からないが、あの女は炎に包んだ対象を移動させることができるようだ。つまり……
「森にいた魔物にはメルラスの力、そして命令が与えられていたんだ。『アンリをここに連れて来い。それが終われば死ね』と」
それを聞いたマリーナはいつになく真剣な顔だ。
「………アンリ」
「あ、もちろん単なる僕の推測に過ぎないんだけどね…」
彼女は神妙な面持ちでこう言った。
「メルラスって誰?」
……! そうだった! マリーナは僕がグリッドに説明しているとき眠っていたんだ! 同じ説明の繰り返しか…… これは長くなりそうだ……。
「……なるほどね。その不死身のメルラスって女が今回の騒動の黒幕か。」
「それでメルラスはこの大陸を滅ぼすって……」
さすが大賢者というべきか、彼女は少しの説明で全てを理解した。彼女は顎に手を当て、少し考えを巡らせているようだ。
「その時だけは……魔法が使えたんだよね。アンリが言う、『瘴気』ってやつで……魔法使用によって魔力が減る感覚はあった?」
言われてみれば……なかったような気がする。グラスに水が注ぐように、絶え間なく魔力が増え続けていた。もちろん、限界を超えることはなかったが、魔力を消費したそばから回復する、そんな不思議な感覚があった。
そのことをそのまま、僕は彼女に伝えた。
「ってことは、アンリは無意識に魔力を回復していたんだね。他の人もできるのかな?」
「どうだろう……」
僕たちが俯いて考えていると、扉を叩く音が部屋に響いた。マリーナが扉を開くと、そこには昨晩会ったふくよかな主人が立っていた。
「魔法局長の方がお呼びですよ。あの方はもう行ってしまいましたが……」
「ああ、ありがとうございます」
特に荷物も持たない僕たちは、彼に礼を言って部屋を出た。グリッドは何の用で呼んでいるのだろうか。
昨日の今日で話すことはあまりないと思うのだが……。
宿を出た大通りはいつもの如く、人で賑わっていた。皆、裕福そうな格好をしている。
その中で大賢者の黒いローブを着た二人組というのは、かなり目立つな……。好奇の目で見られることはあるが、話しかけられることはあまりないのが幸いだ。
このローブを着ていると、一目で大賢者であると分かってしまう。
面倒事に絡まれる可能性もあるが、大賢者が皆例外なく、漆黒のそれを身に纏う理由──誇りだ。
大賢者として、王国の平和を一身に担い、魔法を現在よりも発展させる。ローブはその信念の象徴なんだ。
大賢者としての心構えを再認識した僕は、再び前を向いて歩き出した。局に入り、受付の女性に事情を話したマリーナの後を行くと、幾度か階段を上った廊下の突き当たりに扉がある。
『局長室』──そう、書かれている。そしてマリーナがノックの後に扉を、開けた。