正反対
……周囲が、騒がしいな……。僕が眠っているのに。少しの間でも静かにしてくれたら落ち着けるんだけどな……。
不意に気づく。
──なんだろう、これは。物凄く懐かしい匂いがする……甘くて、淡い。真っ暗だけど、顔にいつかの肌触りがある。くすぐったい……。
触れるそれからは、底のない優しさと……僕に対する深い愛。
あの女とは……メルラスとは、正反対だ。まるで母親に抱かれているような気分。
「……リ、アンリ!」
呼ぶ声が聞こえて、視界が急速に明るくなっていく。目を開くと、そこには……
今にも泣き出しそうな顔のマリーナがいた。
「アンリ……また会えるなんて……夢みたい……」
そう言う彼女は突然、僕を強く抱きしめた。さっき暗闇の中で感じていた香り、顔に触れていた物──金の長髪、そして優しさと愛は……彼女のものだったんだ……。
目の前のまるで子供のように泣いている彼女が愛おしく思えてくる。僕のことをここまで心配してくれて……想ってくれていたのか……。
──いや、今は幸せの余韻に浸っている場合ではない。何なんだこの状況は。なぜ僕たちは夕日の下、王国の路上で民衆に囲まれているんだ?
僕は殺されたはずじゃ……?
「おぉ、アンリ。久しぶりだな」
後ろから声が聞こえる。聞き慣れない、しかし僕は彼の声を覚えている。この声を聞いたのは、大賢者の検定試験に合格し、証明書をもらったときだ。つまりこの声の主は──。
僕がマリーナに抱きつかれながらも振り返るとそこには、黒髪に細身の長身、大賢者のローブを羽織った男が立っていた。僕は、国民ならば誰もが、この男を知っている。
「ルセウスさん……」
「お、名前覚えててくれたのか。ありがたいね」
そして一拍置いて、彼は改まったように言った。
「俺は大賢者兼魔法局長のグリッド・ルセウスだ。君から事情が聞きたい。局まで付いて来てもらえるか?」
「良いですよ。僕も話さなくちゃいけないこと、相談したいことが山程あります。ただ──マリーナが落ち着いてからってことで……」
彼女を無理に動かすわけにはいかなかったし、本音を言えば──いつまでもこうしていたかった。メルラスと対面したとき、捨てたはずの生への執着が、彼女に触れたことで再び戻ってきたみたいだ……。
また会えて良かった。
今、僕の心にある思いはそれだけだった。