大賢者
草原が炎に包まれている。
その原因は誰が見てもひと目で分かるほど、あまりに大きすぎた。
「隊長! 王国の被害を防ぐためにここまでおびき寄せたは良いものの──全く損傷を与えることができません!」
剣を片手に、下級兵が上司に駆け寄っていく。
その後ろでは、炎を吐き出す巨大な飛竜が自らを囲む兵士たちを蹂躙していた。爪でのひっかき、踏みつけ、或いは炎……体格が違いすぎる故に、竜の動作全てが人にとって致命傷になり得たのだ。
響き渡る悲鳴、飛び交う雄叫び、曝け出される人体の内側。そこはまさに地獄絵図だった。
「──馬鹿な……『賢者』たちはどうした!? それに全員が身体強化を受けているはずじゃないのか!」
「はい! ですが、剣も魔法も一切通用していませ──」
隊長の眼前、報告中の兵士の首が飛んだ。飛竜の尾による薙ぎ払いが頭を掠めたのだ。先端が、ほんの少しだけ。
首の断面から吹き出す血液が隊長に降りかかる。
(あ……無理だろ、これ。勝てるわけないって)
そう思った彼は声の限り叫んだ。
「──ッ!! 全員撤退しろ! そして誰か応援を要請しに……行っ、て」
次第に弱まっていくその声に返事はなかった。
男の眼前には死体の山が連なるばかりであり、魔力を感じる生命体は禍々しい殺気を放つ飛竜のみだったのだ。
大国マライスカの二番隊、二十三名は瞬く間に散ってしまった。
(精鋭部隊だぞ……? なんでこんなに呆気なく全滅してるんだ?)
隊長の頭を埋め尽くす疑問符、少し遅れてやってくる圧倒的恐怖。
まだ死にたくない。そんな生への渇望は、その髭の長さの分だけ蓄えられた、王国を守る一兵士としての誇りを一切問題にしなかった。
「誰かっ……誰か助けて……死にたくないっ!」
息も絶え絶えに駆け出す。下級魔法である身体強化を使用して走力を上げれば生存率は上がるだろうに、パニックになった頭がそれを思いつくことはない。
飛竜は追いかけることすら面倒がり、逃げた男を炎で始末しようと、鎌首をもたげ深く息を吸った。
後ろ足だけで立ち、遥か高い場所の空気を。
──その時。
一人の青年が凄まじい速さで、自らの首を下ろそうとする飛竜に迫っていた。倍率最大の身体強化を自身に使用し、右手にナイフを持って草原を駆ける姿は漆黒のローブに包まれている。
十分飛竜に近づいた青年が遥か高く跳ね上がる。走行の勢いを乗せたままほぼ真上に飛んだのだ。
竜の鱗。それは非常に硬度が高く、並の剣術では剣の方が折れてしまうと言われている。彼はナイフが鱗に触れるその直前、空いている左手をそこへ向けて言った。
「発火」
燃え上がる。顔に落ちてくる鱗の灰に片目を瞑りながら、露出した竜の柔らかい肉に、殺人竜の喉元にナイフを突き立てた。そして──
「爆ぜろ」
刺さった箇所が内側から爆発した。
「ガフっ、シュゥ……」
竜が吐き出す息に炎は混じっていなかった。
彼が狙ったのは炎を制御するための器官だったのだ。炎を吐くことができなくなった竜は、困惑しながら痛みの元へ右前足の爪を振りかざす。
青年は、硬化した竜の筋肉に刺さったナイフを右手で掴んだまま、左掌を迫る竜の巨大な右手に向けた。
「炎弾」
放たれる巨大な炎弾。着弾時に小規模な爆発を起こし、竜の右前足は欠損した。
灰が風に吹かれて消えていく。
痛みに悶え、暴れだす飛竜。青年はナイフを竜の体から引き抜き、落下しながら投擲の構えをとる。それと同時に、再び左掌を飛竜の胸に向けた。
(……あの辺りか……?)
ナイフを投げるより一瞬だけ早く、彼が炎弾を放つ。着弾、爆発。そして先程と同じように露出した肉にナイフが深く、深く突き刺さった。貫通する前に、龍の背中側の鱗にぶつかって刃は止まった。
────断末魔。巨体から放たれる、死の寸前の絶叫が草原に響き渡る。ナイフは心臓を貫き、飛竜の生命活動に大きな損傷を与えたようだった。
「ふぅ、終わりだな……」
彼は断末魔に顔をしかめ、耳を押さえながら凄まじい速度で遠くへと走っていった。王国マライスカへの報告だ。
逃げ出した隊長が足を止めて振り返り、飛竜が死んでいることを確認するのは少し先の話だろう。
手練の集団ですら敵わなかった飛竜を、たった一人でナイフのみを用いて討伐した青年。
漆黒のローブが象徴する、マライスカの誇る三人の 最高戦力。
年端も行かない、小柄な黒髪の彼は──『大賢者』の一人だった。
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