助詞の『は』と『へ』は、なぜ『WA』や『E』と発音するの?
以前に『を』(n3208he)という「助詞の『を』は、全国共通語(※いわゆる標準語)では『お』と発音上の区別がないはずなのに、わざわざ区別を付けようとする人が増えている」という内容のエッセイを書きました。
その際に、「助詞の『を』を『WO』と読まなきゃいけないんだったら、助詞の『は』と『へ』だって文字通り読まなきゃおかしいだろう!」という主旨の話をしたんですが、よく考えたら、『は』や『へ』は、なんで『わ』や『え』と同じ発音になったのかは触れていませんでした。
このままでは手落ちですから、今回はその辺に触れていきます。
実は、平安時代中期に日本語に非常に大きな変化が起こったとされています。
それは『ハ行転呼』と呼ばれる現象です。
何が起こったかといいますと、語頭以外(助詞等の付属語も含む)のハ行の言葉『ハヒフヘホ』をワ行音『ワイウエオ』(※注1)で発音するようになったのです。
ですから、例えば「もののあはれ」を文字通りに読んでいたのは平安初期までで、それ以降は皆さんが古典を学習したときに教わったのと同じ「もののあわれ」と読むようになったということになります。
なぜそんなことが起こったのかは、諸説あって定かではありませんが、変化があったこと自体は間違いありません。
なぜなら、平安中期以降、語頭以外のハ行の表記にぶれが出てくるからです。
「そんなことありうるの?」って思うかもしれませんが、現代でも知らずに「こんにちわ」って書く人って一定数いますよね。
教育体系がしっかりしている現代ですら、区別が付かない(※注2)人もいるわけです。
教科書なんて存在せず、本だって1冊1冊筆写していた当時、「発音と筆記する文字が違うけれど全て間違えずに書け!」というのはあまりに酷でしょう。
更に言うなら、当時の正式な筆記言語は漢字・漢文です。仮名書きは砕けた場面で使うことが多かった表記ですから、そこまで深くは気にしなかったということも十分に考えられます。
このように、最初はあまり顧みられなかった表記法ですが、時代が進み、仮名書きが表記法の主流になるに従って、「このままではまずいから、どうにかしよう」と考える人が出てきました。
そして、その人たちの手によって、行われた対策は『平安初期の発音のように表記する』というものでした。
おおざっぱに言うと、いわゆる『歴史的仮名遣い』を仮名表記の基準として使用していこうということになったのです(※注3)。
これによって表記は統一できましたが、統一した表記と発音がまるっきり違うわけですから、当然、各所から文句が出るようになりました。その結果として『言文一致運動』という、発音と表記を統一しようという運動が始まることになるわけです。
それですんなり、発音通りの表記になれば良かったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。
何と、逆に変えること対しても反対意見が根強く湧き起こり、結局『ワイウエオ』と読まれていた『ハヒフヘホ』が、読み通りに記述されるようになるのは、戦後の『現代仮名づかい』の公示を待たねばなりませんでした。
それでもまだ反対する人は多かったようです。
例えば、大型国語辞典の代表格『広辞苑』の編者としても知られる 新村 出 氏は、『現代仮名づかい』に反対の立場だったそうです。
自分の編纂した広辞苑の前書きは本当は歴史的仮名遣いで書きたいけれど、公的には認められていない。そのため、苦渋の選択で、歴史的仮名遣いでも現代仮名づかいでも同じ表記になるように調整して書いた。なんていう話を聞いたことがあります。
そんな、根強い反対派に配慮して(日和って?)残されたものが、助詞の『は』『へ』『を』(※注4)だったのです。
こんな歴史を書いてきましたが、疑問を持たれた方もいると思います。
例えば、
「『母』は、今でも『ハハ』って読むけど、『ハワ』にならなかったの?」
なんて思いませんでしたか?
実は、『母』も一時期『ハワ』になっていたらしいことが研究でわかっています。
じゃあ何で今は『ハハ』に戻っているかというと、『母』と同様に、2音を連ねている『父』や『爺』などに影響されたのではないかということでした。
また、こんなことを考えた人もいるかもしれません
「『ハ行』と『ワ行』の音って、すぐに変わっちゃうほど近い?」
至極もっともな疑問です。
実際に『ハ』と『ワ』を発音してみればわかりますが、結構、口の動きが違います。
どういう経緯で、こんな大きな違いが起こったのかは気になるところです。
この説明は、ちょっと遠回りになりますがお許しください。
室町時代のなぞなぞにこんなものがあります。
Q「『母』とは2度会うけど、『父』とは一度も会わないものなーんだ?」
A「くちびる」
なんのこっちゃ? ってなると思います。だって今は『ハ』も『チ』も唇を付けないで発音しますよね。
ところが、室町時代は違ったんです。『チ』は今と一緒ですが、『ハ』は唇を付けて発音していたのです。つまり、当時、ハ行の子音は「h」ではなかったということになります。
では、唇が付く子音とは何でしょうか?
せっかくですから実験してみましょう。皆さん、唇を合わせた状態から、無理矢理『ハ』と発音してみてください。
どうなりました?
私は『パ』と『ファ』の中間音ぐらいの音が出たのですが、皆さんはどうでしたか?
実際、『ファ』とか『パ』は、口の動きで言えば『ハ』と『ワ』の中間に位置しているように感じます。
さっきの話と合わせると、『母』は『ファファ』もしくは『パパ』と呼ばれていたということになりそうです。母なのに……。
話を戻します。こちらも諸説あるのですが、古来『ハヒフヘホ』は『ファフィフフェフォ』もしくは『パピプペポ』、あるいはその中間音で発音していたらしいです。
平安時代中期の日本語音韻変化は、最初に書いたように『ハ行転呼』と呼ばれています。が、実際には、当時のハ行音は今と同じ発音ではなく、無理矢理表記するとしたらファ行音、もしくはパ行音だったのです。
そして、当時の発音は『ハ行転呼』によって語頭以外でワ行音に変わりました。その後時代が下って、ハ行の発音自体が現在と同じものに変化していったのです。
さらに、ワ行の方も『ワ』以外の発音が江戸時代までにア行に吸収されてしまいました(※注5)。その結果として、ハ行とワ行の発音がかけ離れ、なんでハ行がワ行になっちゃったのか、実感として理解できなくなった。というところのようです。
同じ日本語とはいえ、室町時代の言葉ですら、現代と比べるとだいぶ違います。更に言うなら、奈良時代には母音が8つあった(※注6)なんて説もあるくらいです。現代に生きる我々が、いきなり古代に放り込まれたら……。おそらく、お互いの発音がインチキ外国人のように聞こえ、意思の疎通にすら難渋することでしょう。
でも、そうなってしまうのは、決して悪い現象ではありません。なぜなら、言葉というのは必要に応じてどんどん変化していくものだからです(※注7)。
ですから『は』『へ』『を』を、『わ』『え』『お』と読むこと。それは、時代に応じて日本語が変化してきた名残。日本語が生きている証といっても良いことなのです。
注1:これも徐々に変化していったので現代の発音に準拠して書いてあります。平安中期だとおそらく『ワヰウヱヲ』です。
注2:知っていてわざと書いているケースは除外します。
注3:厳密に言うとちょっと違う部分もあるのですが、長くなるのでまとめます。
注4:『を』については異論がある方もいると思いますが、全国共通語で同音だという理由は、拙著『を』(n3208he)にまとめてありますので、そちらをごらんください。
注5:『WU』は最初から存在しません。
注6:異論はたくさんあります。今は8つではない方が主流という話も……。
注7:ちなみに、変化しない言葉は話者を失った言葉。いわゆる『死語』しか存在しないと言われています。