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Nの作品

イバラの空、アキバの秋

作者: SSの会

 日本で唯一のメイド喫茶激戦区――秋葉原。


 ここ、インドカレー専門メイド喫茶、『かれ~みゃんみゃん』もまた秋葉原に居を構える有象無象のメイド軍団の一つであった。


 本格インドカレーと可愛いメイド服と徹底した世界観教育により、『かれ~みゃんみゃん』はアキバでも有数の、料理が美味しいメイド喫茶の称号を持ち、それなりに繁盛していた。


 だがウチのオーナー兼メイドリーダー兼ぼくの母親である御伽(おとぎ)こころ(自称永遠の十七歳)(外見年齢十四歳)(実年齢四十五歳)がぎっくり腰をやっちまってから状況は一変した。


 直前まで迫る消費増税。やってくる増税前最後の三連休。迫りくるご主人様の群れ。

 テスト期間直前で休みを取る学生バイト達。セクハラが止まない料理長(田中次郎四十五歳)(独身童貞同性愛者の3D)のゴッドフィンガー。

 オーナーを失った『かれ~みゃんみゃん』の少なすぎるメイドでは、列を成す大量のご主人様を捌き切れずにいた。


 阿鼻叫喚と化す『かれ~みゃんみゃん』はメイドの香水とオタクの体臭とカレーのスパイスの匂いが入り混じり、キッチンで調理をしているぼく、御伽こはくも母親の尻拭いとして店長代理の役職を受け、ぜぇぜぇと汗を流しながらフライパンに注いだスープカレーにスパイスを混ぜながら地獄を味わっていた。





「お帰りなさいませ~ご主人様~♪」「店長代理! もうダメです! ご主人様が店の外まで並んでます!」「店長代理~時間なのでりんこりん、帰らせて貰いますね~♪」「ごめん鈴木さん! あと一時間残業できない!?」「りんこ星の終電があと十分なので無理で~す☆」「いや鈴木さん都営新宿線で十分に一本電車来るし終電はまだ六時間近くあるでしょ!?」もみもみ「田中さんぼくのお尻揉んでないでタンドリーチキン焼いてください!」「店長代理~わたしそろそろ萌え萌えエナジー補給いいッスか~?」「ごめん橋本さん休憩三十分後でもいいかな!? 鈴木さんが退勤しちゃって!」「でもわたし萌え萌えパワーがもう尽きそうで」「橋本さんの萌え萌えパワーはラッキーストライクでしょ! 可愛く言わないで!」「萌え萌えニコチンがないとわたしオタクの相手は無理っス」もみもみ「田中さんぼくのお尻揉んでないでタンドリーチキン取り出してください焦げます!」「店長代理、インスタントカメラの調子が悪くてチェキ撮れないんですが直せます?」「店長代理!」「店長代理!」「店長代理!」





 ――も、もうダメだっ!!!!



 日頃店の手伝いをしているとはいえ、ただの男子高校生がピーク時のメイド喫茶を回せる訳がない!

 絶望で膝から崩れ落ち、もう全てが嫌になってバターチキンカレーの鍋をひっくり返してやろうかと思ったその時、



「うろたえるな小僧ども!」


「て、店長!」



 厨房に姿を見せたのは、セーラー服を着た中学生くらいの女の子。

 可愛いお人形みたいな顔立ちで、長い黒髪をツインテールにしているが、騙されてはいけない。このいたいけに見える女学生こそ『かれ~みゃんみゃん』を創業し今もなおメイド長として君臨するナンバーワンメイド、我が母御伽こころである。


「母さん! 腰は大丈夫なの!?」


「いや、ダメだ。今メイドになれば確実に腰をやり二度とメイドをやれる体に戻れないだろう」


「じゃあ帰って! 邪魔!」


「まあ待て。今日はこはくのためにこれを持ってきたんだ」


 そう言った母が取り出したのは、『かれ~みゃんみゃん』のメイドスタッフが着ているのと同じ新品のメイド服。


「こ、これは?」


「メイド不足の今、こはく、お前がメイドになる他道はない!」


「いや無理だよ! ここは女装メイドカフェじゃないんだよ!?」


「うるさーい! 今ここでお前がメイド服を着なければ、『かれ~みゃんみゃん』に明日は無い。ぐるなびやグーグルマップの口コミで、『店に来てから一時間以上並びましたが、メイドさんの接客はてきとうでカレーも冷めてて美味しくなかったです。星1です』などと書かれてしまう! 大丈夫、創業からずっと私の元で調理スタッフをしてきたお前なら、メイドの作法も十分に熟知しているはずだ!」


「でもぼくは男なんだよ!?」


「幸いお前は橋本かんなと顔が似ている私の血を継ぎ、声も高いし背も低いから問題ない! 行く行くは私の後継者にと考えているほどだ」


「嫌だよ! こんな店継ぎたくないよ!」


 あとさり気なく橋本かんな似を主張するな。自信過剰が過ぎるだろこのアラフォー。


「うるさーい! つべこべ言わずに着ろ! 田中! こいつの手を抑えろ! 無理やり服を脱がす!」


「ちょ!? えっ!? まっ!? や、やめて、田中さん離してくださいってうわめっちゃ鼻息がかかって気持ち悪い! 分かった! 着るから! 女装するから田中さん離して!」




 ――数分後。




「こ、殺してください……」


「うむ、私の思った通りだこはく! 可愛いぞ! 田中もそう思うだろ」


「オデ……こはくチャンデ……童貞……捨テル」


「ほら田中もそう言ってる」


「いや言ってないでしょ。今息子の貞操のピンチなんだけど母さん!」


 どうして田中さんクビにならないんだろう……。母親曰く、田中さんは同性愛者なのでメイドスタッフに手を出すことがないから安心だし調理師免許も持ってるからとのことだが、本来メイドスタッフへ行く性的な目線が全てぼくへ密集するのでぼくの負担がデカすぎる。


「ネームプレートも用意したぞ」


 そう言って母がぼくの胸元に安全ピンで取りつけたネームプレートには、『こはく☆けんしゅうちゅう☆』と書かれていた。


 え……ぼく本名でやるの……?


 こうしてぼく、御伽こはくは晴れてメイドデビューすることになったのであった……。




 * * *




「お、お帰りなさいませ~ご主人様~」


「ただいま~」


 引きつった笑顔でご主人様を出迎えるぼくに、ノリノリで返事をするご主人様のツバが飛んでくる。


「君見ない子だね、新人さん?」


「そ、そうなんです。こ、こはくって言います、よろしくお願いします、ご主人様……☆」


「へぇ。ちょっとこころちゃんに似てるね」


「そ、そうですかぁ~」


 だろうね。肉親だからね。


 ご主人様の顔と直線上で会話をすると、一ヶ月交換してない三角コーナーのような口臭に鼻孔が悲鳴をあげるので、必死に体を左右にそわそわさせて口臭から逃げられるが、時おり散弾銃のように噴き出すツバが何度もかかって、今後はもっとメイドスタッフさんを労ってあげようと思った。普段からこんな人の相手してるのか……。


 しかもご主人様はバッグから仮面ライダーベルトを出してガチャガチャして新しく始まった仮面ライダーの話をし始めて、興味なさ過ぎて貼り付けた笑顔が限界を迎える寸前である。


 しかしアキバメイドとはそういうもの。「会員カードはお持ちですか?」と聞いてガンバライドカードをドヤ顔で出してくるような生物がアキバオタクなのだ。


 そしてそれを「え~すごーい! これ最新弾の超レアカードじゃないですか~♪」ときゃぴきゃぴした声で返答してオタクのニチャァァとしたスマイルを全身で受け止めねばならぬのだ。

 その苦労の上で手にする自給一六〇〇円なのだ。え? これで一六〇〇円? 安くない?


「今日はこはくちゃんとチェキ撮ろうかな~」


「え……あ……そ、それはちょっと……」


 写真!? こんな恥ずかしい格好をさせられたまま写真を撮られるの!? 一生モノの黒歴史なんですけど!?


 だがメイドがご主人様のチェキを断れるはずもなく、ぼくはステージに連れられご主人様と並んでポーズを決めることに。


「はぁはぁ、こはくちゃんいい匂いだね、くんくん」


「……ご、ご主人様も……なんだか、あ、安心する……匂いで……ォェッ」


「……」


 仮面ライダーベルトを巻いたままステージに上がったご主人様が、ぼくと肩を密着させながら気持ち悪いことを言ってくる。す、すごい……これが男性から性的な目で見られる感覚なのか!

 世の女性達は日頃からこんな気持ちを味わっているのかと思うと、可哀想でならない。

 田中さんはぼくを男と分かっていた上でセクハラをしてくるが、ぼくを女性と勘違いして向けられるこの感応は田中さんのそれを超える。




 * * *




 そんなこんなで地獄のメイドデビューはなんとか幕を閉じ、閉店時間。


「母さん……もうあんな恰好二度としないからね」


「それは困る。明日もまた欠員が出てメイド不足なのだ」


 お尻を揉んでくる田中さんに「明日のタンドリーチキンの仕込みをしてください」と言い放ち、日頃ぼくのお尻で指の筋肉を鍛えている田中さんが見事な手付きで鶏肉にスパイスを揉み込む横で、メイド服のままモップをかけるぼく。疲れてメイド服を脱ぐ気力もない……。


 メイドスタッフは皆帰宅し、ガランとした無音の『かれ~みゃんみゃん』に、僕と母と田中さんだけが残る。


「それから、そろそろ新しいバイトの子が面接に来るから、その子の面接もお前が担当してくれ。私はこの通り、少し力むと腰に激痛が走ってしまいな……」


「アラフォーなのに無茶するからだよ」


「黙れ! 肌年齢は十四歳だし声は田村ゆかり似だ」


「なぜ今萌え声の主張を……? いや確かに似てなくもないけど」


 まあ田村ゆかりさんも四十超えてるのに可愛いから、案外老けない人は老けないものなのかもしれない。知らんけど。

 ぼくはなのはではなくフェイトたん派ですし。


 とかやっている間に、出入り口の戸が開いて、ひょっこりと顔を出す見知らぬ少女を発見する。母が言っていた面接の子だろう。


「あの……」


「あ、面接に来た人ですよね。待ってました。どうぞこちらへ」


 か細い声と華奢な体躯から、儚げな雰囲気を持った可愛らしい女の子だった。


 彼女を日頃ご主人様の尻を支え続ける桃色のイスに座らせて、履歴書を受け取る。 

パソコンで製作したかのような、乱れのない機械的な綺麗な文字であったが、確かにボールペンで書かれたものだった。


 名前は……茨雪……イバラソソグと読むらしい。なんだこのラノベヒロインかバーチャルユーチューバーみたいな名前は……と思ったが、イバラソソグという見覚えのある音に僕ははっと顔を上げる。


 彼女の顔をじっと見つめる。

 サラリとした紫がかった黒い髪は腰まで枝毛なく綺麗に伸び、華奢で小柄だがどこか大人びた雰囲気を持つイバラソソグという少女を、ぼくは知っていた。

 いや、それどこか一目で気付くべきであった。学生服でないから気付くのが遅れてしまった。


 彼女はぼくの通う高校と同じどころか、去年同じクラスだった(いばら)さんである!


 儚げで守ってあげたいオーラを醸す彼女の前に、入学当初は学年問わず様々な男子生徒が押しかけその全員を告白した直後に振って、淫行を持ちかけた男子教師二人が懲戒処分された逸話を持っている。


 そんな彼女は同性の友達すらも作らないため、可愛いけれど近寄りがたいことで有名な子であった。


 茨さんはどう見ても萌え萌えきゅ~ん♪ なメイドさんという雰囲気の子ではないが、『かれ~みゃんみゃん』は致命的な人手不足である。

 贅沢を言っている場合でもないし、茨さんも顔だけならアキバナンバーワンメイドを狙える逸材。

 採用しない手はない。



 ぼくは一通り履歴書に目を通し、応募理由の欄に差し掛かった所で履歴書を読む手が止まった。相変わらず機械的なまでに美しい文字で、一言だけ、こう書かれていた。



『御伽こはく君がいるから』



 ――と。



「え?」


「やっと見つけた……こはく君」



 ゾクリ……!



 背筋が凍るような悪寒に襲われ、茨さんの方を向くと、そこには儚げな白磁のおもてを上げた少女が微笑んでいた。

 ぼ、ぼくの女装がバレている所か、何故かは知らないがぼくが御伽こはくということまでバレている! しかも、面接で顔を合わせる前から既に!


 ぼくは去年彼女と同じクラスでこそあったが、特別仲が良かった訳ではない。

 一年間で会話した文字数はツイッターの一呟きにも満たないであろう間柄である。


 何やら嫌な予感がしないではないが、ここで彼女を採用しなければ『かれ~みゃんみゃん』の人手不足は解消されず、ぼくは今後も新米メイドとしてオタクのデュフフという笑い声に乗ってくる口臭を、嫌な顔一つせず受け止めながら今期アニメの話をしたり、腋臭の酷いオタクと肩をくっつけてチェキを撮ったり、手垢の酷いオタクと叩いて被ってジャンケンポンをしないといけなくなる。だから、




「……採用です」



 採用した。




 * * *




 (いばら)(そそぐ)さん――新人クールメイドそそぐちゃんが『かれ~みゃんみゃん』に勤めて早くも一ヶ月が経過した。


 当初は無口な彼女がメイド業をこなせるだろうかと心配していたが、結論から言うとそれはぼくの杞憂で終わった。

 というか、彼女は店長の御伽こころが不在の間に『かれ~みゃんみゃん』ナンバーワンメイドになっていた。


 相変わらず茨さんは無口で無表情であったが、それでも顔は良かった。


 無口、美少女、JK、黒髪ロングというオタクの好みをこれでもかと詰め込んだ茨さんは、無口クールキャラとして『かれ~みゃんみゃん』で確かな地位を築いている。


 そもそもメイド喫茶の主なリピーター客は綾波レイに初恋を奪われた三十代たちであり、無口美少女というのは大好物なのであった。

 それに彼女は自分から喋ることは少なくとも、その実聞き上手な素質を持っており、ご主人様が好きなアニメの話をして茨さんが、「そうなんですね……私も、見ようと思います」なんて小鳥のさえずりのような玲瓏な声で答えるだけで、ご主人様は得意気にそのアニメの見所をペラペラ解説し、次会った時に「この前のアニメ……面白かったです」と言うだけでそのブルーレイボックスを貢がれる程である。


 そしてその当日ブックオフから札束を握りしめながら出てくる茨さんを見つけてから、彼女はとてつもなくメイドに向いていることを確信した。


 しかしまあ、一つだけ納得いかない点を上げれば、ぼくは今もなお女装メイドとして『かれ~みゃんみゃん』で働いている点である。


 茨さんのおかげで何とか人手不足は解消され『かれ~みゃんみゃん』は茨さんの人気で大盛況。売上も伸びて客数も増えた。

 するとそれだけメイドの数を増やさなければならない訳であり、気付けばぼくの女装チェキは世界に百枚以上バラ巻かれてしまい、そろそろお婿に行けないのではと憂いてしまう次第である。


「ダイジョウブ……こはくチャン……オデガ……責任、取ル」


「いえ、結構ですので田中さんはチーズナンを焼いて下さい」


 調理スタッフの田中さんは相変わらずであったが、彼なくして『かれ~みゃんみゃん』のカレーの味を維持出来ないまでの腕前故に解雇出来ずにいる。

 それに彼はぼくが調理場にいると、その労力の五割をぼくへのセクハラに注ぎ込むので、一人で調理させた方が効率の良いことにぼくが調理場を離れてから気付いた。


 ぼくの今までの頑張りはいずこへ……。




 そんな『かれ~みゃんみゃん』はメイドさんのパフォーマンスとして、メイドさんのカラオケ披露もやっている。

 ご主人様が五百円払ってメイドさんを指名。

 そのメイドさんが歌える曲リストの中から選ばれた曲を、一番だけメイドさんが歌ってくれる。

 メイドさんには百円のバックが入る。

 二分弱で店への純利益四百円、ボロい商売である。


 ぼくもハスキーな声がボーイッシュで歌声が心地いいとのことで、それなりに歌の依頼を受ける。

 いや、ボーイッシュというか、純度一〇〇パーのオスなんですけどね?


「ふぃ~疲れた、喋り過ぎて喉カラカラ……」


 本日も無事『かれ~みゃんみゃん』は大盛況。アラフォー店長は年のせいかぎっくり腰がなかなか治らず、「もう店長いなくてもいいんじゃないですか?」という雰囲気が蔓延る今日日であった。


 店では一七歳になっているが、いい年したアラフォーの母親がツインテールにして「みくみくにしてあげる」をノリノリで歌うのは息子として結構キツイ。

 っていうか母さん歌える曲リストが全体的に古いんだよな。

 ハレ晴レユカイを完璧な振り付けで踊りながら歌える一七歳とかこの世におりゅんか?


 平成跳んで令和に突入したこのご時世に「ハルヒ」や「らき☆すた」はちょっと……と思うが、ご主人様の中にも輝かしいゼロ年代の栄光をいつまで経っても忘れられない人は多く、ロードスやスレイヤーズが古典文学となった今もなお一定以上の需要を保っているのであった。



 ――閑話休題。



 閉店後の『かれ~みゃんみゃん』で清掃作業を終了させ、厨房で明日の仕込みをしている田中さんに戸締りをお願いして先に店を後にする。


「こ、こはくチャン……キョウ……一緒ニ、帰エラナイ?」


「すいませーん、メイドはオフの時も男性とアキバを歩いちゃいけないルールなので」


 田中さんと一緒に帰宅しようものなら山手線が最終痴漢列車になっちゃうでしょうが。といつものセクハラをあしらい外に出る。

 気付けば夏も過ぎ去り消費増税と一緒に秋の風が吹いていた。


 すると駅の改札前で見知った少女を発見する。あの紫がかった艶やかな黒髪を見紛うはずもなく、後ろ姿でもすぐに分かった。

『かれ~みゃんみゃん』のナンバーワンメイド、そそぐちゃんこと茨さんである。


 そんな彼女の隣には、キモオタ巣窟秋葉原では珍しい、ヤンチャ系なオタクがいた。知り合いだろうかと目を凝らせば、禁止事項であるメイドさんへのボディタッチを頻繁にして何度も注意されているウチの困った常連客であった。


 いわゆる、出待ち客である。


「茨さん!」


「……あ、こはく……君……!」


 体が勝手に動いていた。ぼくは彼女と彼の間に入ると、茨さんの華奢な手首を掴んでぼくの背後へと引っ張った。

 茨さんはぼくの顔を見つけるなり、困ったような顔を一瞬で綻ばせて、今もなおぼくの服の袖をきゅっと掴んでいる。


「すいません、いつも『かれ~みゃんみゃん』を利用なさってくれてる方ですよね? 申し訳ないですが、プライベートの時のメイドへの接触は遠慮くださいますか?」


「いや分かってるよ。ただ偶然そそぐちゃんを見つけたから声かけただけだって! 店の外で見張ってた訳じゃないって! んで、そういうおたくは誰な訳!? そそぐちゃんとどういう関係なわけ!?」


「ぼくは、彼女の店の調理スタッフです」


 今はバリバリの現場で働く女装メイドなのだが、そんなこと言えるはずもなく。


 それにしても彼、背は高いし顔立ちも整ってるし、髪も染めてちゃんとセットしてるしで、威圧感が凄い。

 すいません、毎日歯を磨いてお風呂入ってるオタクは秋葉原来ないでください……なんてオタク差別を出来るはずもないので、なんとか穏便にことを済ませたいのだが、ぼくも無計画で介入してしまった故にノープランだし、怖い。


 本当頼むわ。ヤンキーはアキバ来ないでくれよマジで。


 颯爽とヒロインのピンチを救う主人公にぼくがなれるはずもなく、ヤンキーにすごまれてビクビクしてるのを茨さんに悟られないように震えを抑え込む。



 すると――



「オイ、小僧……ジブン、ウチのモンに何してくれとんのや?」


 ヤンキーオタクの肩に太い指がかかる。


「ちょっと今忙しいんですけ……ど……!?」


 彼は鬱陶しそうにその手を払おうと振り返り、クマのような巨体の男性を目の当たりにして、ガンを付けようとひそめた眉が驚きに変る。


「ウチのメイドに手ェ出して、明日からアキバ歩けると思うなよ小僧。来るか? 事務所?」


「あ、アキバヤクザだ――――っっっっ!!!!」


 ヤンキーオタクはその男性の凄味に完全に怖気づき、悲鳴を上げながら走り去ってしまった。


「田中さん!」


 そこにいたのはアキバヤクザではなく、ウチの料理長田中さんである。

 田中さん、黙ってると筋モノみたいな威圧感あるんだよな。


「コ、怖カッタ……デモ、こはくチャン、無事デ、ヨカッタ」


 無論田中さんも見た目が怖いだけで実際は小心者のキモオタクである。

 喧嘩なんか出来る訳もなく、ガタイの良さそうな体も全部中性脂肪である。

 それでも田中さんの演技は実際怖かった。

 本当にアキバヤクザかと思った。


「助かりました田中さん」


「ヨカッタ……アノ、家マデ、送ッテ、行コウカ?」


「いえそれは結構です。ではまた明日!」


 ヤンキーオタク、田中さんと度重なる脅威を乗り越え、ぼくと茨さんはなんとか平穏を取り戻したのであった。


「大丈夫? 茨さん?」


「うん……こはく君が……助けてくれたから。カッコ良かったよ」


「いや、そんなことないよ……ぼく、実際怖くて何も出来なかったし、田中さんがいなければどうなってたことか」


 それで田中さんの評価が上がって見直すかと言えば、積年のマイナス評価がたった一回助けて貰ったくらいでプラスになるかと言えば、答えはノーである。

 まあ感謝はしてますが。


「また……助けてくれたね」


「え? また?」


 茨さんはそう言うと、ぼくの手を小さな両手で包んだ。

 小さくて、ひんやりとしていて、まだ少し、震えている手だった。


 そこでふと思い出す。

 茨さんが履歴書に書いていた応募理由、『御伽こはく君がいるから』という意味ありげな一文を。

 仕事中に時たま茨さんの目線を感じることはあったが、特に声をかけられることもなく、最近仕事が忙しくすっかり忘れていた。


「去年の今頃……お弁当忘れてお腹空かせてる私に……お昼ご飯、分けてくれた」


「……えーっと……あっ! 思い出した!」





 ――あれはそう、丁度一年くらい前のこと。





 今思えばあれは、茨さんがメイドになる前の、ぼくと茨さんの唯一と言ってもいい思い出。


 母親が弁当を作るのが面倒臭くなるとき、魔法瓶に店で余ったスープカレーを注いで「これ、お前の昼飯」と差し出すことがある。

 まあプロのカレーなので不味くはないのだが、教室内で魔法瓶の蓋を開けようものなら教室内が突如としてインドに迷い込んでしまったかのような強烈な香りに包まれるのだ。

 それは窓を全開にして換気しようとも掻き消せず、五時間目をカレーの匂いと共に過ごすことになる。


 決して虐めを受けている訳ではないが、ぼくはクラス一同にカレー禁止令を敷かれ、教室内で魔法瓶を開けることを固く禁じられてしまった。


 去年の今頃も同様、ものぐさな母がカレーしか昼飯を用意してくれなかったぼくは、どうにかカレーの匂いが目立たない場所を探して屋外に出た。

 屋外も何人かで集まって弁当を食べている生徒が多数いたが、三人掛けのベンチに一人ひっそりと座る茨さんを見つけた。


 茨さんはいつも昼休みになるとふらっと姿を消してしまい、いつも昼ごはんはどうしているのだろう? と疑問に思っていたのだが、どうやら外で食べていたらしい。

 しかし今彼女の手に弁当らしきものはない。

 もう食べ終わったのだろうか? と見ていると――



「……」


「……」


 ――目が合った。


 髪と同じで紫がかった綺麗な瞳が、ぼくの瞳を覗き込んでいた。


 さして接点がないとはいえ彼女はクラスメイト。

 目が合って無視する訳にもいかず、声をかけた。


「ど、どうも、茨さん」


「(ぎゅるるる)」


 ど、どうしよう、胃袋で返事をされてしまった。


「茨さんもこれからごはん?」


「……お弁当……忘れちゃった」


 人形のように無機質で、雪のように冷ややかな茨さんの頬が、腹の虫を聞かれて恥ずかしかったのかわずかに染まり、普段とのギャップで不覚にもドキリとしてしまった。


「良かったらぼくの食べる? あの、スープカレーで大変恥ずかしい限りなんだけど」


 魔法瓶にカレーを詰めて登校してくる生徒など実家がカレー屋でなければまず有り得ないことで恥ずかしいが、今ぼくが腹を空かせている彼女に出来る施しと言えばカレーくらいなもので、ぼくは彼女の隣に腰掛け、魔法瓶の蓋にトロトロとカレーを注ぐ。

 しっかりと保温されたカレーは温かく、同時に強烈なスパイスの香りが広がる。


 確かにこれを密閉され人口密度の高い教室内で開ければ、軽いバイオテロである。


 茨さんは両手でカレーの注がれた蓋を持ち、コクリコクリと嚥下していく。そして「ほっ」と息を付いて、ただ一言「おいしい……」と言った。


 彼女の白い頬が染まり、細い首がくぴくぴと動き、決して大きい訳ではない魔法瓶の蓋を丁寧に両手で持ち、上品に口に含むその横顔を見て、ぼくは彼女に惚れてしまったのかもしれない。

 ただ、彼女は入学当初から迫りくる男性生徒の全員を振る様から恋愛に興味があるようには見えず、ぼくなんかがクラス一の美少女に、思いを寄せることさえおこがましいと思ってしまい、その思いは胸の奥にしまっていた。


 あれ以降、茨さんとまともな会話をしたことはない。彼女が、綺麗な文字で認めた履歴書を持って、メイド喫茶に現れるまで。





 ――時は戻って現代。彼女はまだ、ぼくの手を包み込むように握っている。




「あの時のカレー……とても美味しかったし、嬉しかった。私……友達いなくて、でも、欲しくない訳じゃなくて……でも、うまくお話出来なくて……でも、そんな私に、こはく君は優しくしてくれた」


「……」


 確かに茨さんはクラスから孤立していた。


 入学当初は入れ替わり立ち代わりで声をかけてきた男子生徒も諦めたように彼女から離れていき、そんな彼女を『気取っている』ように感じたクラスの女子も距離を置き、気付けば茨さんは一人ぼっちになっていた。


 でも、だからって、たった一杯のカレーでそこまで……と思ったが、きっと彼女にとってそれは、とても大切な一杯だったのだ。


「それじゃあさ、明日、一緒に締め作業してさ……その後二人でまた、カレー食べる?」


 二人の間にあるのは恋愛感情ではない。勘違いしてはいけない。


 彼女はただ友達が欲しいだけで、あの時口にしたカレーの味が忘れられないだけで、決して、彼氏彼女といった不純交遊な関係ではないのだ。


 ただ、それでも――


「うんっ……食べたい……っ!」


 ――そう言う彼女の満面の笑みは、ぼくが再び彼女に恋に落ちるのに、十分過ぎる程の破壊力を持っていたのだった。


 明日もぼくはカレーを煮込み、メイド服を着て、ご主人様と会話する。


 でも、それが終われば……彼女とのディナーが待っている。


 だからぼくは明日もメイド服を着る。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 この作品はSSの会メンバーの作品になります。


作者:N

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