CASE1 西木明宏
魔女は、炎、水、風、木、雷、光、闇の7属性に分類される。
だが、この中に分類されない特殊魔女と呼ばれる者たちがいる。
記憶の魔女、時間の魔女、物語の魔女、儀式の魔女。
そして、それら全ての魔女を束ね管理する存在、魔女長。
これは、そんな魔女達の中の、記憶の魔女の物語
ここは記憶の魔女クーニャの家。
ある日の午後、彼女の従者レイがポストを開けると、1通の手紙が入っていた。
「クーニャ様、依頼が入りました。」
レイが手紙を持ってくると、クーニャは面倒くさそうに「読んでくれ。」と一言。
「依頼主は日本在住の西木明宏さん、30歳。3年前に強姦殺人により、妻と当時8ヶ月の娘を亡くしています。依頼内容は当時の記憶消去です。」
レイが読み上げると、クーニャは静かに「わかった。日本に行こう。」と、出かける準備を始めた。
薄暗い部屋に1人の男性が蹲っている。
彼が居る部屋にはベッド、机の最低限の家具しかなく、食事もまともにとれていないのか、痩せ細り、目の下にはくっきりと隈ができていた。
そんな彼の部屋に魔法陣が淡い光を放ち、クーニャとレイが降り立つと光が消えた。
淡い光の中で彼らの目が合う。
「西木明宏さんですね。記憶の魔女、クーニャと申します。」
「記憶の魔女の従者、レイと申します。」
彼に安堵の表情が覗える。
「西木明宏です。」
長い間声を出していないのか、彼の声は酷く掠れていた。
「これを、喉が楽になりますよ。」
クーニャはポケットから小さな小瓶を取り出した。
中には薄紫色の液体が入っている。
彼はそれを躊躇う事なく、一気に飲み干した。
飲み干したのを見計らって、クーニャが問う。
「何があったかは簡単に、ですが把握してます。詳しいお話をお聞かせ願えますか?」
彼は少しずつ話し始めた。
3年前の事です。
夜7時頃に仕事から帰った僕は家の明かりがついていない事を不思議に思い、急いで玄関のドアを開けると、むせ返るような鉄の臭いに吐き気をもよおしながらも中に進み、電気をつけたら、妻と娘が血まみれで倒れていて…すぐに警察に連絡して、その場で死んでいると…妻には、性行為の跡があり、その体液から犯人はすぐにわかりました。
妻の元彼です。妻は元彼の酷い暴力に悩まされていました。
元彼は暴行致傷で逮捕され、服役中に二人で逃げるようにここに移り住み、結婚しました。
犯行の動機は、自分を裏切った事による逆恨みでした。
僕は妻と娘の無念を晴らす為、裁判で死刑を求刑しました。
結果は求刑通り、死刑が確定しました。
家に帰ると、血は消えても、臭いは消えても、2人の面影がずっと残っていて、電気をつけたら2人が死んでいる感覚に陥って、当時の夢もくり返し見ています。
ですが、先日妻が夢に出てきて、「前に進んでほしい」と言われました。
なので、前に進む為にも、クーニャさん、お願いします。
彼の話を聞いてクーニャは頷く。
「記憶消去の件は引き受けましょう。ですが、記憶消去に関して、いつくか注意事項があります。1つ、消去する記憶は選べません。今回の件に関わる全ての人に対しての記憶が消えます。今回は恐らく奥様を知る人全てでしょう。」
彼は驚きと戸惑いの表情を浮かべたが、クーニャは気にせず続ける。
「2つ、記憶というモノは年月と共に風化していくものです。例えるならば、湖に小石を投げれば沈んで行くのと同じです。湖から小石を拾い上げると徐々に形が見えますよね?記憶も徐々に鮮明に蘇り、最終的には、まるでついさっきあったかのようにまでいきます。むせ返る血の臭いも、あの衝撃も全てをまた経験する事になります。耐えられますか?耐えきれずに心が壊れたり、命を落とす人もいます。それでも、消したいと思いますか?」
彼の表情が少しずつ曇っていく。
5分、10分と沈黙が続く。
やがて彼は顔を上げ、決意を固めて頷いた。
「わかりました。ではさっそく始めますのでベッドに横になってください。目を閉じて、ゆっくり息をしてください。」
クーニャの手が光だし、彼の中の記憶もどんどん引き上げられていく。
「莉央、明日香、やめろ、やめろ!やめろおぉぉ!!!」
彼の叫びと共に、クーニャの手の光が消え、彼女の手には紫色の大玉の飴のような玉が握られていた。
「紫色、後悔、悲しみ、怒りの色…。レイ、後を頼む。」
「かしこまりました、クーニャ様。」
レイは彼の汗を拭き、カーテンを開け、軽く掃除をする。
薄れゆく記憶と意識の中で、「あなたは前を向いて生きて、明宏さん、永遠に愛しているわ。」と、妻の声がする。
「僕もだよ。2人を永遠に愛している。」伝えようとするも上手く声にならず、そのまま彼は意識を失った。
目が覚めると、朝だった。
体もスッキリして気分がいい。
朝食を取って出社の準備をする。
「行ってきまーす!」
一人暮らしでも行ってきますとただいまは欠かさない。
「クーニャ様、今日の朝食は何にしましょうか。」
「そうだな、ホイップたっぷりのパンケーキかな。」
すれ違いざまに聞こえた朝食の相談に、「朝からそのパンケーキは甘すぎるだろ」と心の中でツッコミを入れながら会社へと急ぐ。
「今の子達、どこかで見たような…。気の所為かな?」そんな事を考えながらふと時計を見ると始業10分前。
「ヤバっ!遅刻だ!」
僕は走って会社に向かう。前を向いて。