Ⅳ
明け方前の暗い空の中。祭りを終えたばかりの街に向かって、爆撃機が次々に飛び立っていく。
政府軍による“やまない雨”作戦の始まりだ。リェンたちの住む街はまもなく、自国の政府によって焼き尽くされる。
古い建物の多いあの街は、道路の幅が狭いため、陸よりも空からの攻撃が効率的だと判断されたのだろう。レジスタンス――住民たちに、街を取り囲む山に逃げ込む時間を与えないためにも。
「大変。大変だよ、カイ……」
爆撃機の群れを見ながら、震える声でトトが言った。
「カイ、お願い。みんなを助けて」
大きすぎるヘルメットの中で、丸い頬を大粒の涙が伝う。
「……黙ってしっかりつかまってろ、チビ」
いつも通り表情の読めないカイの顔の中で、ヘルメット越しに見える目が鈍く光った。
ふたりを乗せた小型航空機が、急激に高度を上げる。
「ひっ」
小さな身体にかかる重力。座席に押しつけられながら、耳の痛みを和らげようと、トトは教わった通り必死で唾を飲み込む。
やがて、雲の中に入り込んだ小さな飛行機は、目標地点に到達した。
操縦席のカイが、底光りする目で片頬をつり上げた。
「――見せてやるよ。本物の、“やまない雨”ってやつを」
カイの操作で、機体の一部がなめらかに開く。数秒後、航空機は、そこから少量ずつ薬品を吐き出し始めた。
カイの撒いた薬品が、見る間に厚い雲の中に広がっていく。
やがて、火の手の上がった街の上に、激しい雨が降り始めた――。
朝日の中、薬品の散布を終えた小型航空機が、のんびりと飛行を続けている。
「あーあ、行きたかったな、お祭り。リェンにも、ちゃんとお別れしたかった」
ぶかぶかのヘルメットの中で、トトが大きなため息をついた。
「……仕方ねえだろ。のんびりしてたら、今頃この世とお別れしてたぞ。おまえもあいつも」
操縦席から、面倒くさそうにカイがこたえる。
――『わかった』
別れ際のカイの言葉をヒントに、リェンと街の皆は祭りの後で、荷物と共に山に逃れたはずだ。
「だって、カイのこと誤解されたままで」
「……説明してんじゃねーの? 今頃、父ちゃんが」
昨晩、雲の中でカイが生じさせたあの雨は、軍の空爆による炎がすべて消えるまで、街に降り続けた。
――『軍が人工降雨の実験に使ってる、航空機と薬品があるだろ? 保管してた倉庫の場所と番号、まだ覚えてるか? おっさん』
食堂の片隅で酒を酌み交わしながら、リェンの父親にたずねたあの日。
機密情報を言い当てられて、しわだらけの顔の中で飛び出るほど目を見開いていた彼の表情を思い出し、カイはにやりとする。
乾燥地帯を擁するリェンたちの国では、数年前から全国的に、人の手で雨を降らせる実験が行われてきた。
航空機やロケットを使って、雨粒を作る素となる薬品――ヨウ素銀――を雲の中に撒き、雲の粒を雨粒に変えて、狙った場所に人工の雨を降らせるというその実験に、カイの予想した通り、大戦中パイロットだったリェンの父親は、航空機の操縦士として参加していた。
彼が働いていたのは首都の軍本部だそうだが、本部だろうと西方司令部だろうと、同じ国の軍なら敷地内の配置に共通する部分は多い。
あとは、ダミーで依頼された鍵の修理の際に作っておいた合鍵で、夜の間にトトと航空機に身を潜め、軍の作戦開始に紛れて飛び立つだけだった。
とはいえ、さまざまな危険を伴う行為を、ろくな準備もなく本番一発勝負でというのは、自国の特殊部隊での経験を持つカイでなければ不可能なことだったに違いない。
「ねえカイ、大佐たち追いかけてくるかなあ?」
思い出して、トトがたずねた。
「あと十分で国境だ。隣の国に入っちまえば、あいつらだってさすがに手は出せねえだろ」
「そっか」
安心して、トトが弾んだ声を出す。
「じゃあカイ、国境まで急いで! もっとびゅんびゅん飛ばして!」
「……なんで着陸前に速度上げんだよ」
カイがだるそうに眼を眇める。
「それよりチビ、わかってんのか? おれらは今から、よそさまの空港に勝手に着陸すんだぞ? しかも、盗んだ飛行機で。こっからが面倒なんだからな、むしろ」
「もー、チビじゃないってば!」
口をとがらせたトトが、窓に目をやってすぐに機嫌を直す。
「ねえカイ、見て! 湖だよ、すっごいきれい! 気持ちいいね、飛行機って」
「……耳が痛えの気持ち悪いの、文句ばっか言ってたくせに」
「そんなの、僕もう平気だもーん」
ヘルメットの下で、カイがかすかに頬を緩める。
雨上がりの、澄んだ空の中。昇ったばかりの太陽の光に、航空機の白い翼がきらめいた。
【 了 】
*参考資料*
・『TECK MAG』https://www.jp.tdk.com/tech-mag/knowledge/101
・村上正隆『人口降雨とは』https://www.jstage.jst.go.jp/article/jar/30/1/30_5/_pdf/-char/ja
・『Mugendai』https://www.mugendai-web.jp/archives/9192