引きこもり虫の約束
勝手にどこかへ抜け出した父さんが帰って来た。
だけど心配することはない。
すでに私と神宮寺さんの仲は良好と言っていい雰囲気を醸し出していた。
父さんのあがり症は困ったもんだけど神宮寺さんは別に気にしていなかった。
後でまこちゃん──あ、ちなみに真兄さんのことね──と華ちゃんに叱られるのを覚悟しときなよ父さん。
「そ、それで先程まではどう言った話を?」
「次の日曜に凛音さんがこちらへ遊びに来ることになっております」
父さん、何でそんな宇宙人見るような目で私を見るのよ。
押しつけたのはあんただし、婚約しろと言ったのもあんただ。
親孝行娘を褒めてくれ。
「り、凛音をお嫁にということに?」
「違うよ父さん。まずは友達から。読書にいいところを提供してくれて……」
自分からふっかけといて聞いちゃいねえ。
舞い上がるな父さん。
あんた平均より太ってんだから振動がこっちに来るんだよ。見苦しい。
ほら神宮寺さんが困っちゃってる。
「本当に面倒くさい父でごめんなさい」
「い、いいえ。そんなことはありませんよ。それではそろそろ時間にもなりましたのでお開きにしても?」
「あ、はい。それではまた日曜にお邪魔します」
執事さんに椅子を引いてもらって神宮寺さんはお帰りになった。
あの執事さんずっといたけど疲れてないかな。
最後の方は空気になってて全く気遣いもできなかったけど。
ああそうだ、華ちゃん達呼ばないと。
父さんを追いかけてたせいで疲れてんだろうな。
「どうだった音ちゃん。おバカなパパがへましたせいで神宮寺さん機嫌悪くしなかった?」
「今度の日曜に自宅に遊びに行くよ。読書するだけだけど。神宮寺さんも私と同類だったし」
「良好みたいだね音。皆に知らせたいけど次全員が暇な時っていつだろう」
まこちゃん、全員の前で言うの?
公開処刑待ったなしじゃん。綺麗な顔して鬼畜だわうちの家族。
ああでもお披露目するにしたって集まるのは一ヵ月先とかかな。
大学生の愛子姉さんと就活中の正宗兄さんは中々休み取れないかもね。
「お帰りなさいませ旦那様。本日もお勤めご苦労さまでした」
「ああ。今日は軽食にしてくれ。執筆がよく進みそうだ」
「承知しました」
僕はすぐに部屋に戻って着替えもせずに原稿に筆を進めた。
昨日は見合いの心配もあってかネタに詰まって一行も書けなかった。
なのに今は溢れんばかりのネタが脳に残っている。
早く書きたい、この気持ちを紙に記したい。
「旦那様。失礼します。ご夕食をお持ちしました」
「ん、ああ松崎か。そこに置いといてくれ」
松崎は僕が小学校に入るのと同時に専属となった六つ年上の男性だ。
さっきも後ろについていてくれた。
一時間弱はその状態だったけど辛くないのか?
彼には助けてもらってばかりだ。
冷静沈着で僕が女嫌いになった時も──というより干渉してくる人全てが嫌になった時も──両親と対処を考えてくれていた。
「先程の根尾様との会話で何か思いついたのですか」
「まあね。表情がない分彼女は口が達者だ。面白いネタをいくつも出してくれる」
「楽しそうですね旦那様」
彼女のことは先日のパーティーでも風の噂でも少し聞いていた。
三家の問題児、引きこもり姫、何事にも興味を持たない娘。
マイナスな面しか聞かなかったから六条さんから紹介された時は訝しんだりもした。
彼女は笑わないと言っていた。その通り、今日も愛想笑い一つ見せなかった。
だけど本当に一切笑わないで十七年間も過ごしてきたのだろうか。
悪口しか言われなかったから笑えなくなったんじゃないだろうか。
「ねえ松崎」
「はい」
「結婚するまでに彼女を笑わせてみたいね」
きっと可愛らしいんだろうな。誰も見たことのない彼女の笑顔は。
「凛音ー!! 父さんは……父さんはお前が結婚してくれて嬉しいぞー!!」
だからまだしないって。読書仲間。友達から始めるって何回言ったらわかんのさ。
「ああ……この喜びを早く誰かに知らせたい。皆喜んでお祝いしてくれるぞ」
人の話聞いてんのかこいつ。
この人の思い上がりは娘じゃどうにもならん。もうおじさん達にお願いしよう。
同年代だし幼馴染なんだから対処の一つや二つわかるだろう。
今はとりあえず読書だ。書庫書庫。今日は一冊も読んでない。いい加減読まないと死ぬ。
舞い上がる父さんを放置して私は読みかけの本を片手に書庫へ向かった。