よくある物語の魔法についての一考察
まず初めに、魔法について。
行き過ぎた科学は魔法と大差ないといわれているが全く持ってその通りであると私は思う。だが、魔法と科学の違いについては手順の違いだと私には思われる。
まず科学の方は、道具の準備・使用・現象の作用・発現というプロセスに対し、魔法は発言・現象の作用・発現という短いプロセスである。このことからやはり魔法はとんでもないことがわかる。しかし現実世界では魔力なんて勿論のこと神の存在すら確実に存在するという証明など不可能である。さらに言えば、見えもしないのにそこに確実にあるとは妄言なのではなかろうか。また、地球創成以来の人間という種族の間で何故魔法や魔術といったものが重要視されてきたのだろう。私はそこが不思議で気に入らない。
其れはさておき、本題にもある通り物語に関連する魔法の体系について述べていこうと思う。これは魔法を扱うファンタジー系ならよくあるもの。科学等で明記することができないためのご都合主義として存在するのが魔法である。魔法には種類が存在する。まず一つ、エレメンツなどと呼ばれる火・水・土・風の四種の基本属性である。これらの四つのほかには派生形などの、雷氷植物光闇など様々な属性が存在するが、植物魔法に至っては別枠になるが時空魔法などといった特殊なもので代用できるので必要ないように思われる。雷も大まかにいえばで代用できるので影は薄くても問題ないかと思われる。氷に至っても水で代用できるので問題ないように思われる。次に特殊系といわれる、時空・聖・生・死霊といった謎の属性である。
さて、私が思う魔法についての疑問を語りたいと思う。
まず第一に、火魔法。あれは恐らく魔力を糧に燃えていると思われるが、その場合は酸素は消費するか、また二酸化炭素は発生するかである。なろう小説の中ではよく洞窟内の戦闘において火魔法を使う描写などが度々存在するが、酸欠にならないのであろうか。はたまた作者がそこまで考えてないのであろうか。まぁそこは置いておくとして、敵に着弾して燃え上がる際は制御下から離れているのか、それか燃え広がっている内も制御下にあるのか。もし制御下にあるならやはり酸素は消費されるのであろうか。制御下にないのであるならばただの火と同列であると認識しても問題ないのであろうか。火魔法に対しての疑問はいまはこれだけにするとしよう。
次に、水魔法。水のない場所では恐らく、周囲の空気中に存在する水を使用していると考えても問題ないかと思われるが、そうなると雪原や溶岩に近い場所、つまり水がほとんど存在しないと考えうる場所に至った場合はどうなるのであろうか。私個人としての意見としては使えない。だが、もし使えるとすればそれは体内の水分を利用しているか水を生み出す。または別の場所から転移させるというかなり無茶苦茶なことを行っているということになる。転移させた場合水をどこから持ってくるのであろうか。考えられることは多い。私が考えたうちいくつかを表明させていただこう。まず一つ目。行使者の一番近くにある水の塊を持ってくることになる。もし砂漠などであった場合は周囲のサボテンや生物など、はたまたオアシスから水を持ってくることになるのだろうか。二つ目。時空を超え同じ場所から水を持ってくるのだろうかという説。私としては水を生み出すのがなろう系小説(以下作品と表記する)作者の見解だと思案した。ここで一つ気になったのが、生み出された水というのは成分としてはどうなっているのかという点だ。また、飲み水として適切であるかというところでもある。ほかの魔法について語る以上水魔法については省略させていただく。
さて、次は土魔法。土魔法と名はあるもののもはや、本質的には大地を操っているだけではと私は思った。実際のところX-MENのマグニートーの対象が広くなったようなものではないかと思案した。次に紹介する風と比べると無茶なものではないが、前二つと比べるとかなりおかしいものである。大地の操作。つまるところ、我々日本人の危惧する地震のようなことなど簡単に起こすことができるということである。全く恐ろしいことである。しかし、作品によっては宙に浮かし、槍を作り射出するなどずれているようなところも存在していることも確かである。この魔法が一番作者にとって扱いやすいのではなかろうか。
次、風。謎。発生までのアルゴリズムも、作用の仕方も謎の一言に尽きる。なのになぜか便利なモノ扱いされている。全く持って理解不能である。以上
次は色々と飛んで時空に行きたいと思う。まず時空とは時間空間の略であることは皆さまご存じのはず。ではまず時間の方から言わせいていただきます。時間ということは進めたり戻したり、はたまた止めたりといった無茶苦茶な性能でございますが、まず止めるということは、この宇宙もとい、認知不可能といわれる場所まですべてを硬直させるということに他ならない。この時点でだいぶ無茶苦茶ですが、時を進める。これはアインシュタインの想定性理論に基づくと不思議ではありませんが、単体だけの時を加速させ朽ち果てさせるとなるとその物体のみを本来の時間軸から切り離し別の時間軸を歩ませていることに過ぎない。このことから言える出来事としては、人が憧れる不老の理念の完成形に近いともいえると思われる。時間逆行については空間との併用になると思われる。この理論については現在をAと置くとすると過去はA-となる。そうなると未来はA+となるのは自然であろう。この時間逆行について詳しく話すとAからA-に行く場合、Aのある地点にアンカーを打ち込む。この時点では空間の能力単体でしかない。しかしそのアンカーを時間の能力で過去に移せば''Aの時代にアンカーは設置された''ではなく''A-の時代にはもうアンカーは設置されていた''ということに他ならない。そしてこのアンカー自体は抜かない限り存在し続けることになる。しかし、A+の時間軸に行くためにはAのアンカーがA+の時間軸にも存在することを観測しなければいけない。例えばドラえもんのタイムマシンはのび太君にとってのA+の世界からきた未来の道具でしかない。しかしドラえもんにとってはのび太君の家ははるか過去の空間。タイムマシンの移動方法としてはA+の地点からA-のアンカーを移動しているだけに過ぎない。この方式は時空魔法の過去未来の移動方式と何ら変わりない。また空間魔法の移動方法でいえば移動する場所にアンカーを設置してそこにある空気と自分の存在を置換しているだけであると私は思う。
以上