密かに動き出す影《貳》
何かが、暗い夜道を走る。
息が荒く、足取りも段々遅くなっている。
住宅街、皆既に就寝しているのか、辺りは暗く、灯りは電灯しかない。月が出ているが、それは単なる気休め程度の明かりでしかなかった。
辺りには、タンタンタン、と走る音が響くだけ。
電灯を通り過ぎる。
走っていたのは、焦げ茶色のローブを纏った人だった。人とは限らないのだけれど。フードにより、顔はわからない。しかし、身元はわかった。
ローブのフード左側に【天河音】と御丁寧に記してあったからである。
間抜けなのか何なのか。ローブを纏っている意味が、果たしてあるのだろうか。
──月が丘の天辺に姿を現していた──
天河は、右に曲がる。
途端、
上空から細長い槍のようなでもそれよりも短い何かが天河に降り注いだ。それに巻き込まれる前に天河は、後方に跳び、着地する。
上空にいたのは、赤の甲冑を纏った5人の何者かに加え、その前に赤く染まったドレスを纏った赤髪の女が一人、計六人いた。
そいつらは、魔方陣の上に立ち、新たな攻撃をしようと詠唱、魔方陣を展開していた。
赤甲冑達は、赤い魔方陣、赤髪の女は、黒い魔方陣をそれぞれ展開していた。
「(・・・っ。赤い魔方陣の方は、【インフェノ・レプリカ】だと思うのだけれど、黒い魔方陣の方は・・・・・・っ。まさか──!」
天河は、後ろに二歩ほどさがり、 魔方陣を構築、展開する。詠唱をせずに。
「やはり、本物なのですね。詠唱無しでその構築力、侮れませんね。
──さっきの答えですけれど、yesです」
上空のやつらは、それぞれ詠唱を終えていた。
余裕気に赤髪の女は、あはは、と笑うと喋り出した。
「まさか・・・では、本当にあの」
「・・・そうよ」
「【ブラック・テンペスト】だと言うのですか!?」
「あらあら、声を合わせて言いたかったのですが、
先に言ってしまいましたか。
ええ、その通りです。かの【法の書】に記してあるという黒魔術のなかで小規模構築、詠唱が可能と云われている【ブラック・テンペスト】です」
魔術。
それは、昔、人が神々や魔獣などに対向すべく、つくりだした兵器である。否、兵器と呼ぶには相応しくないものであり、言い換えるならば、『武器』と云えよう。
魔術が作り出されてから、時は経ち、魔術を用いて魔獣どもと戦争が起こった。それが、第一次魔術戦争。これは、表──つまり、一般人には、伏せていて、一般的にというか知識上というか、歴史において第一次世界大戦のことを指している。
現状、そうしておく他なかった、というのが理由かそうではないかといえば、そうではない。連合国と中央同盟国とで戦争をしているなんて言ってしまえば──連合国の仲間入りといえば易しいが──連合国の一員であった日本は、日本人は、中央同盟国を敵視してしまうのは、結果だったとしても仕方がないと言えなくもない。そして何より、中央同盟国が敗北し、連合国が勝利したというのが問題であり、それを演じなければならなかった国々が、あるというのも問題なのである。何故そこまでして魔獣、魔術を隠すのか、隠蔽したがったのか、思えば単純なのかもしれない。国家機密となっている全てのものは、何かしらの理由があるが故に極秘情報として、存在している。その大半が、危険性のあるもの、情報が知れ渡ると悪用されかねないものの類いが故に、もしくは、知られると国的に機関的に芳しくないものというのが挙げられる。つまるところ、悪用されるのを防ぐためというのが、妥当な考えだったのだ。事実、魔術が広まれば、処理しなければならなくなるのだが、しかし、当時の力では、不可能であった。
だからと言って、必ずしも情報の漏洩が起きないとは限らなかった。その一番の理由が、第一次魔術戦争という情報を魔術により、隠蔽したためである。
魔術が劣っているという訳ではない。劣ってないからこそ、破れやすい。
隠蔽の際に使用した魔術──白魔術【ゲデヒトニス・ラディーレン】の元となった言語は、ドイツ語で、日本語に訳すと、ゲデヒトニスは、記憶、ラディーレンは、消す、消去という意味になる。
ドイツ語だから、という理由で劣っているのではない。元々、記憶を消去する魔術は、多種に存在するが、そのどれもが劣っている──不完全なのだ。不完全だからといって、劣っているということにはならない。不完全というのは、劣っているということではなく、完璧だからこそ、それに対応できないということなのだ。
記憶消去、また、記憶操作も同じで、何らかの原因により、魔術が破られる可能性があるのだ。それは、完全に完璧に消去、操作が出来ないということである。消去とは言ったものの、厳密に言えば、他の情報を上書きして、前の情報を押し潰しているだけなのだ。その情報を上に押し上げてしまえば、元の情報は回復する。操作も同じで、上書きしているだけなのだ。(記憶消去も記憶操作も魔術的にほとんど同じである。)
只、効果は、少し違う。消去魔術は、消したという情報、空白である情報を上書きしているため、何かをした、何かをしていた、という情報は、上書き出来ない。また、操作魔術は、記憶を消去出来ず、必ず、他の行動した情報が上書きされる。
そうやって、魔術、魔獣を隠していた。
しかし、当時の極一部の人は、その事を思い出した。思い出せた。
通常、消去・操作系魔術は、魔術干渉もしくは、魔術同等の干渉を与えることができる何かによって干渉させなければ、イレイシャル(抹消)は、不可能である。しかし、魔術を使える人は、民にはいないはずであり、そして魔術同等の何かなど当時には存在すら、しなかった。
記憶を取り戻した人達は、国に知らせた。そして記憶を取り戻した人達、十人は、国からあることを指示された。
【十氏族】の設立。
公にはせず、魔術を用いて活動する団体。
彼らは、皆、魔術師が故に記憶を取り戻すことができたのだ。魔術師だから、内にある魔力が干渉した結果だった。
こうして、今の日本があるのだった。
「【法の書】は、第一次魔術戦争後に作られ、第二次魔術戦争では、それを作ったドイツがそれを使って敵国を殲滅しようとした──けれど、結果は、負けた。相手も【魔術書】を作っていたから。負けたというのは、少しちがうけれど、そうね、相討ちなったとでも言いましょうか。そのときにドイツ、イタリア、日本の敵国であったイギリス、アメリカ、ソビエト、中華民国などの連合国側の【魔術書】は全損して枢軸国側の【法の書】は、半損ですんだ」
そう赤髪の女は、言った。
「まさか、それが枢軸国であったドイツの魔術師がつくった【法の書】なのですか・・・!?」
結論を言うと、皆が知っている通り、連合国が勝利した。それは、【魔術書】がなくても戦力が衰えなかったからだ。
【魔術書】というものは、基本的に簡易に作れるものではない。【魔術書】を作れる人はそうそう存在しなく、その理由として、適合者しか作れないからというのが挙げられる。しかし、適合者が作ったとしても全てが、【魔術書】になるわけではない。この理由には、答えがない。ないというより、単に見つかっていないというほうが正しい。魔力が多い人にしか作れないわけでもなく、健康体だからでもなく。これと言って正解は、でなかった。
──【魔術書】というのは、思えば、単なる呪いでしかなかったのではないか。
そう思った男がいた。その男は、魔術が使えない【魔術書】の研究者だった。
ただそう思っただけで本気にはしていなかった。
その次の日。彼は、いつも通り研究をしようと【魔術書】を開いき、術式、呪文を見た瞬間。彼は魔術を覚えてしまった。
完全記憶能力。
見た魔術を瞬時に覚え、何より、魔術が使えないにもかかわらず、覚えた魔術を発動できてしまう能力である。
それにより、【魔術書】がなくても戦力が衰えなかったのだ。
そう、彼が前線でたたかったのだ。
赤髪の女が言ったことが本当のことなのであれば、一大事であった。
天河の記憶が正しければ、【魔術書】のほとんどが、イギリスの《聖教図書館》にあるはずなのである。それは、【法の書】も例外ではない。【法の書】は、全部で9冊あり、【魔術書】全体となれば、20以上あると云われている。
「ですが、やはりおかしいのです。
【魔術書】の中でも最も魔力の練りが強いと言われている【法の書】は、厳重に保管されているのです。それをどうやって!」
天河は、赤髪の女を睨み付けるように目を向けた。しかし、暗くて目は見えない。目をというか顔を向けた。
小さく笑う赤髪の女は、懐に手を入れた。
警戒したのか、とっさに体を構える天河。
それを見ながら、またしても笑った。
そして。
懐から出したものは。
暗くてよくわからないが、焦げ茶色の分厚い古そうな本だった。その表紙には、ドイツ語『Die Welt des Champions』と記してあった。
「覇者の世界・・・。
本当に持っているなんて──」
『覇者の世界』それが、この【法の書】のタイトルだった。
「どう?これで信じてもらえた?」
天河は、いいえ、と応えた。
なにせ、頭の中が、ぐちゃぐちゃにぐるぐるに訳がわからなくなるなっていたからだ。状況がよく飲み込めなかったのだ。
「あ、あなたは、それをどうやって盗み取ったのですか?《聖教図書館》には、三階級の魔術師が【パーマネント・プロテクション】を展開しています。不可能としか言いようがありません」
【パーマネント・プロテクション】は、上位魔術の防御魔術であり、日本語に直すと、【永久の保護】になる。そう、永久である。
「そうね。
【パーマメント・プロテクション】は、永久と言えるほどの魔術防壁ですわ。並大抵の魔術じゃ、傷一つ、掠り傷一つも付かない。ただ、だからといって盗み出せないわけでは、ない」
それはどういうことだろう、と天河は思った。
それを察知したのか、赤髪の女は、話始めた。
「12月25日、と言えばわかりますか?」
クリスマス当日の日。この日に何があるというのか。
「・・・まさか、聖教生誕祭ですか!?」
聖教生誕祭とは、聖教の始まりと云われた聖女ジュール=モネソンの生まれを祝う日である。要は、誕生日会のことだ。
「そう・・・ですね。その日一日だけ、聖教図書館に納められている全ての【法の書】だけを一般公会するんでした」
だとしても、盗めないのは同じだ。一般公開しているだけあって、保管している時ほどではないにしろ、警備は万全な筈である。
しかし、現に盗み出している。
その状況にまたもや混乱する天河は、赤髪の女に答えを求めた。
「まだまだですね。
【パーマメント・プロテクション】が張ってないのであれば、盗むのは簡単。
あなた、このニュース見てないのですか」
そう言って、一枚の紙を落としてきた。
天河は、それを拾って見る。
その紙には、こう書いてあった。
『12月25日に聖教図書館内で御披露目されていた【法の書】の一冊が何者かにより、盗み出されました。警察によりますと、盗み出される時に魔術干渉により、警備隊が張っていた防御壁が壊され、その直後にミストがばら撒かれ、気づいたときにはなかったとのことです───』
「騒ぎになっていた・・・?」
「知らないのも当然です。あなたは、日本にいた筈ですから」
そう、日本だとその情報は来ない。なにせ、日本は、魔術の認知がないのだから。
「今や、隠しているのは、日本くらいなものですよ。それにそろそろ隠しきれなくなると思います」
赤髪の女は、そう言った。
そんなことを言っても天河には、どうすることも出来ない。彼女は、国の協力者とかそういうのではないからだ。
「それじゃ、長話はこれくらいにして。さっさと終わらせちゃいましょうか」
赤髪の女は、そう言って笑った。
「──くっ」
この状況は、天河にとって不良であった。
「では、さようなら」
赤髪の女は、挙げていた手を振り下ろした。
次の瞬間、天河の視界には、七つの魔術が映り込んだ。