ちびっこ聖女様のいたずら
はじめての投稿です。
読んでくれましたら、幸いです。
「セレンティ侯爵が娘、フィオーネ・セレンティ。貴方との婚約を破棄させていただきたい!」
そう高らかに声をあげたのは、我がアルフォンソ王国の第二王子グレン・アルフォンソだった。
金髪に翡翠色の目という王族特有の色素を持ち、それはまあ整った顔立ちをしている彼は、婚約者のフィオーネ・セレンティに冷ややかな視線を注いでいた。
つまり、私に。
「望むところ…と言いたいところですが、今ここでそれを言います?」
扇で口許を隠しながら、私はグレン殿下に問う。
今日は聖女様主催のパーティーだ。国内の有力貴族はもちろん、国外の要人たちも招かれている。
アルフォンソ王国はちょっと特殊で、国王よりも聖女様が、権力を持つ。政治も統治も一切しないが、その発言は絶対といっても過言ではない。
よりによって、その聖女様主催のパーティーで、何をやらかしてるんだこのバカ王子。
そんな気持ちで私はグレン殿下を見つめた。
「今、ここだからだ。王家と侯爵家が取り決めた婚約を破棄するには、聖女様のお力が必要なのです!」
グレン殿下は、無駄に整った顔を凛々しく引き締め、皆よりも一段高いところで豪奢な椅子に腰を掛けている聖女を見上げた。
今代の聖女様は御年八歳。絹のように艶やかな銀髪と深くて吸い込まれそうなほど青い目が特徴的だ。長い睫毛にくりっと大きな目、ふっくらとした唇にまろやかな頬はきめ細かい。超絶美少女である。
聖女様は、大きな目を一度だけ瞬かせ、グレン殿下に問いかけた。
「王家の権威を落としてまで、婚約をなかったことにしたいと?」
確かに、この衆目の中での婚約破棄宣言は、王家の権威を失墜させる。
やりようは他にもあっただろうに、ほんとになぜ、今なんだ。
「私とフィオーネ・セレンティの婚約は国内はもとより、国外にも知れわたっております。破棄されたのなら、いずれは周知されるもの。ならばこの場で破棄したところで問題はありません‼」
グレン殿下はきっぱりと言いきった。
いやいや。問題大有りだろう。
「理由をうかがっても?」
聖女様は静かな声で問いかけた。
聖女様の方が、グレン殿下よりも大人な対応をしている気がする。
というか、グレン殿下は私と同じ十六よね? え? 本当に成人してるの?
「フィオーネ・セレンティは猫派なんです」
ざわり、と周囲がざわついた。
一応、グレン殿下は主賓の一人ということで、皆さんなり行きを見守っていたけれど、さすがに動揺せずにはいられない。
周囲が困惑するなか、グレン殿下は言葉を続けた。
「それに朝食はご飯派だし、目玉焼きには醤油なんです! 私とは合うとは思えません。いえ、百歩譲って今はいいとしましょう。でも! 子どもが生まれたとき意見が対立したままでは、生まれてきた子が可愛そうだ‼」
ざわめきが一転、今度は空気が凍りつく。
何てみみっちい男なんだ!…こほん、失礼。令嬢がこんな言葉遣いはいけないわね。
とにかく、婚約破棄のいいわけがあまりにひどすぎて、実は本当は裏にもっと何かあるのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。
けれど。
「まあ、それは大変ですね」
聖女様は、共感するように頷いた。
ええー。そこ納得しちゃうの?
聖女様は、椅子の脇に置いてあった水晶を持ち上げると、私とグレン殿下の前まで来た。
「では、婚約破棄を受け入れましょう。二人とも、水晶に手をかざしてください」
私の意見は聞かないのですね、とか。たったそれだけの好みの違いで婚約破棄していたらこの世のすべての婚約者は、婚約破棄しなくては行けませんよ、とか思ったけれど、私は水晶に手を伸ばす。
実はこの婚約破棄、私にとっても好都合だから。
これで私自身にけちがついて、今後誰とも結婚できなくなるかもしれないことも含めて。
私と同様に、グレン殿下も手を伸ばす。
横目で彼の様子を伺うと、眉間にシワを寄せていた。
何だか泣きそう、と思ったのは気のせいか。
「あ、グレン・アルフォンソは左手を。フィオーネ・セレンティは右手を出してくださいね」
思い出したように聖女様が言う。
右手を出しかけていたグレン殿下は、慌てて左手に変えた。
そのせいで、私の右肩がグレン殿下の体に少し触れる。
ほんのりと暖かく、なぜか昔のことが思い出された。
私は決して、グレン殿下のことが嫌いなわけではない。
小さな頃から婚約者だったせいもあるけど、結婚するならこの人しかいないと思っていたくらいでもある。
顔だって無駄にかっこいいし。
でも、やっぱり諦めきれないこともあって。
今回のこれは、きっと私の背中を押すきっかけになるだろう。
そう思いながら、グレン殿下と共に水晶に触れる。
グレン殿下の指先と私の指先がわずかに触れ合った。
「では」
聖女様が言った瞬間。
カシャン、という金属音が、やけに強く響いた。
「え」
私もグレン殿下も、己の手を見た。
具体的には、手首を。
なぜか、二人の手首を手錠が繋いでいた。
「どう言うことですか、聖女様」
私よりも先に我に返ったグレン殿下が、聖女様にたずねる。
「どう言うこともなにも、そんなに簡単に婚約破棄できるわけないじゃない。しばらく二人で強制的に一緒に暮らして、妥協点を見つけてよ」
砕けた言葉遣いで、言ってる内容はまるで子どもらしさがない言葉を、聖女様は告げる。
「強制的に一緒に過ごすにしても、これは不便すぎます。せめてこれははずしてください」
グレン殿下は、聖女様の持っている鍵を奪い取ろうと右手を伸ばした。
聖女様は軽やかに後ろに飛び退ける。
それをさらに追おうと、グレン殿下は前に出る。が、私が間に合わなかった。
手錠で繋がった左手を引っ張られ、バランスを崩して、転んだ。
「フィーネ!」
私の愛称を呼びながら、グレン殿下が危機一髪のところで抱き止める。
「大丈夫か?」
私はめをぱちくりとさせながら、グレン殿下を見上げた。
「もしかして、今ので怪我をしたのか?」
焦りながら、グレン殿下は私の体を探る。肩に、腕に、手のひらに、触れてくる。そして遠慮がちに足首を確認した。もちろん、私は怪我一つ負っていない。
それでも、私に触れるグレン殿下の手は優しくて、戸惑いを覚えずにはいられない。
「大丈夫ですわ。ただ…」
「ただ?」
グレン殿下は不審そうに私の顔を覗き込む。
あまりの顔の近さに、頬が熱くなるのを感じた。
「ただ、久しぶりに愛称を呼ばれて驚きましたの」
「そうか。それならいいんだが」
あからさまにほっとした表情を浮かべるグレン殿下。
それを見ていた聖女様が、ふふっ、と笑った。
「笑い事ではありません、聖女様。今のでこの状態がどれ程危険かご理解いただけたでしょう。その鍵をお渡しください」
グレン殿下の懇願に、聖女様は手中の鍵をみる。
それから顔をあげて私たち二人を見ると、にっこり笑った。その笑みを向けられるだけで、誰もが幸せになるほど、美しい笑顔だった。
その後の行動は恐ろしかったけれど。
手のなかに鍵を握りこんだかと思うと、聖女様は大きく振りかぶった。
そして、天高く鍵を放り投げた。
本当にぽーんと高く飛んでいく。
思った以上に強肩だな、と思っていると、きらきらに反応したのか、どこからともなくカラスが現れて、鍵をくわえて去っていった。
「あらまあ」
元凶である聖女様は、のんきな声をあげる。
「あらまあ、じゃありません。私たちは一生このままなのですか?」
グレン殿下は語調を強くして言った。
私ももちろん困ったかが、それ以上に焦っているのはグレン殿下のほうだった。
先程みたいに私が転ぶのを避けているせいか、聖女様に詰め寄ることはしない。でも、私がいなければきっと迫っていただろう。
「婚約破棄を諦めたら、自然にとれるわよ、それ。あとはあのカラスを追いかけて、鍵を取り戻すしかないかしら? あ、鍵を見つけてきたなら、当初の予定通り、聖女の名に於いて、婚約破棄は認めてあげる」
八歳とは思えないほど艶然と微笑むと、聖女様はもとの豪奢な椅子に戻っていった。
「フィオーネ・セレンティ!」
真剣な表情で、グレン殿下は私を見つめる。
さっきは愛称で呼んでくれたのに。なんて、今の私は言えない。
だってそれは、婚約破棄を望んでないように見えてしまうから。
私は毅然とした態度に見えるように背筋を伸ばし、口許に笑みを浮かべた。
「何でございましょう。グレン殿下」
「あのカラスを追うぞ。飛翔の魔法は使えるな?」
「もちろん」
このドレスを着た状態で? と思わなくもないが、頷く。
私の左手とグレン殿下の右手を合わせ、互いに飛翔の呪文を唱える。
パーティーの途中で抜け出すことを無作法だと思うけど、それはもう、婚約破棄を宣言した時点で無作法だ。
ちらりと様子を見た聖女様は、気にも止めていない。
ならば大丈夫。
私とグレン殿下は、同時に地面を蹴りあげた。
一気に、カラスが飛んでいた上空まで駆け上がる。
さあ、目指すは、鍵を奪ったカラスだ。
*
「あれだけ息がぴったりで、婚約破棄だなんてあり得ないでしょ」
二人が去る様子を見ていた聖女は、誰にともなくそう問いかけた。
「だから、二人がちゃんと自分達の気持ちを確かめるためのちょっとしたいたずらは許されると思うの」
それほど大きな声ではなかったが、パーティー会場の招待客にはそれが伝わる。誰もが、聖女の言葉に頷いた。「ちょっとした」いたずら、には疑問を覚える者もいたが。
「それでは皆様、若い二人が上手く行くことを願いまして、引き続きパーティーを楽しんでくださいね」
聖女がとろけるような笑みを見せると、何事もなかったかのようにパーティーは再開した。
読んでいただき、ありがとうございます。