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狩人と少年

作者: 足利義光

 

 夜の闇に包まれ、見渡す限りの漆黒の世界。

 今宵は特に雲が厚いのだろう、月の光は世界を照らし出す様子もなく。

 ふゅううううう、という谷間を抜ける悲鳴のような風の音だけが辺りに響き渡る。

 その音はまるですすり泣く女性の声を思わせ、旅人の不安を増幅させるという。

「…………」

 その谷の片側。頂上部分から、眼下の様子をうかがう誰かがいた。

 闇の中に溶け込むようにして、静かに、息を潜める何者か。

 その徹底ぶりは、近くを通る野生の獣ですら気配を感じ取れずに、本来であれば貴重な餌と成り得るモノを感知する事なく場を立ち去っていく事からも明らか。

「…………」

 誰かは、ただひらすらにその時を待っていた。

 己が狩るべき、倒すべき相手の到来を待っていた。



 この世界は、魔王が支配する世界だった。

 魔王、とは魔物の王でもあり、その上位種族である魔族の王でもあり、魔術の王でもあった。

 その力はまさしく絶大。ある騎士王率いる軍勢との戦いに於いては、単独で王を含めた敵を屠ってみせた。また、難攻不落を謳った城塞都市の攻略戦に於いては、あらゆる攻撃をはねのけた城壁を紙でも裂くように容易く突破。都市を壊滅させた。

 魔王、と呼ばれし存在は過去にも複数いたが、その中でも間違いなく歴代最強、最凶にして最悪の破壊の権化として世界中の人々を恐怖に陥れていた。

「まだ、か」

 どの位の時を経たのか、彼は誰に言うでもなくポツリと、言葉を発する。

 彼は狩人。弓を得物とし、あらゆる獲物を射殺す者。

 その弓の腕は大陸でも三本の指に入るとまで評され、目を閉じていようが関係なく、放たれし鏃は獲物の急所へと吸い込まれる。これまでに多くの獣や、魔族を倒しており、その名は国々の間で知らない者はおらず、とまで称されし勇者だった。

「まだ、か」

 そして今。狩人は待っていた。彼が射抜かんと狙う獲物とは魔王。

 何でも魔王は数年前に代替わりしたらしい。先代の魔王は常に周辺国に戦争をしかけ、多くの人の命を奪い、土地を奪い、食料を奪った。幾度となく戦争が繰り返され、その都度多大な犠牲を払った。

 先代の魔王から今の魔王に変わった経緯は不明。ただ分かるのは今の魔王が国力の増強に力を注いでいる、という状況。痩せた土地が国土の大半を占めるのが魔王の国なのだが、そうした土地を土壌から開発しているという報告がスパイからの情報で判明している。

 無論今すぐ、結果が出るわけではないだろう。恐らくは何年、何十年という時間が必要だろう。


 ──土地の開発が上手くいったとて、それで戦争がなくなるとは限るまい。

 ──上手くいくまで、奴らが何もしてこない。そんなはずがあると思うか?

 ──それよりも魔王を殺そう。そうなれば、魔族共の事だ。次の魔王が決まるまで互いに殺し合いをして勝手に消耗していく。その間に我々の国力を増強し、いずれは魔族を殲滅するのだ。


 各国の首脳陣は今の魔王の抹殺を決定。そしてその殺害を依頼された者こそが狩人だった。

 多額の前金を積まれ、さらには病気の父母の治療までされては彼にこの依頼を断る、という選択肢など存在しない。

 云わば狩人は逃げ道を、退路を断たれた状態。失敗は許されない。確実に魔王を射殺さねばならない。

 スパイのもたらした情報により、魔王は数日置きにこの谷へと足を運ぶ事が判明している。獲物の行動パターンを把握する事は、狩りをする上での鉄則の一つ。


「────ふぅ」

 努めて静かに息を吐く。この谷にて雌伏する事数日。狩人の体力はそろそろ限界を迎えつつあった。理由は幾つもあるが、まずはこの土地の環境が想像を遥かに上回って厳しい事だろう。砂漠地帯の多い土地柄なのは知っていたし、彼はそうした地域出身。対策は万全のはずだった。

 だが実際のところ、現地に着いた彼は準備が万全などではなかったのだと思い知る。

 朝晩の気温差は彼の知るそれとはまるで別物。砂嵐は頻繁に起きて、地形は見る間に変わっていく。おまけに食い物がないのだろう、やせ細った獣がうろうろと覚束ない足取りで辺りを歩き、やがて疲れ果て足を止めた瞬間、その時を待っていたのだろう、無数の小型の獣が襲いかかって、全身の肉を食い破り、食らい尽くさんと殺到。周囲に漂った血の匂いに引きつけられたらしい大型の猛禽類が獣へと襲いかかり、また別の大型の獣もまたそこへ襲いかかる。

 それはまるで地獄絵図にも思えた。誰もが生きる為に手段を選ばず遮二無二。魔族の国、という場所が想像を絶する場所だと狩人は痛感した。


(だが、それがどうした? こっちはこっちの事情ってのがある)


 狩人は生き延びる為に、ただひたすらに待った。

 魔王を狩る為に、魔王を殺して、自身が生き残る為に。そうして、どの位の日数が経過したか。天候が安定せず、日の光も滅多に差さないここでは時間の経過が不明だ。

 おまけに持ち込んだ糧食や水もそろそろ枯渇しつつある。

「ぜは、はぁ」

 息が苦しい。肺に酸素を入れるのも億劫に感じる。目を開いているのですら、面倒に思えてくる。そして、気付けば、彼の意識は遠退いて、途切れた。



「は」

 狩人が目を覚ますと、まず視界に入ったのは薄暗かった空ではなく、見覚えのない天井だった。

 明らかに場所が違う事に困惑し、狩人は身体を起こして周囲を伺う。

「なんだここは?」

 小さな小屋だった。恐らくは木材を用いたのだろう、木の匂いが漂う。置いてある調度品は、寝かされていた簡素なベッドを除けば、飾り気のないテーブルとその上に置かれた水差しとコップ。ただそれだけしかない生活感のない小屋だった。

「俺の弓は──」

 彼の弓矢は小屋の入り口に立てかけるように置かれていた。ベッドから飛び出した狩人はそれを引ったくるように手にすると、弦の張りを確認し、鏃を確認する。

「問題はない、な……」

 そこで狩人は弓矢を構え、入り口へと狙いを定める。その耳で床の軋む音、足音を確かに聞き取ったからだ。

 彼はまさしく射抜くような鋭い声で、扉の向こう側にいるはずの相手へ警告を発する。

「その扉を開かば、射抜く。これは本気だ」

 狩人は本気だった。もしも相手が警告に従わないのであれば、容赦なく矢を放つつもりだった。ここが何処なのかが分からない以上、ましてや自身が何の為に来たのかを思えば、他者からの安易な善意になど期待してはいけない。

「どうする?」

 これは狩人が自身及びに相手に対して投げかけた言葉。

 そして。扉越しに相手からの返事。

「待って、大丈夫だから」

「…………」

 その声は明らかにまだ幼さを残した子供のモノだった。



「ビックリしたよ。本当に」

「すまない」


 もう、と言いつつ、水差しの水をコップに注ぐのは赤毛の少年。名前はアレク。

「ああ、違うよ。ビックリしたのは、岩場の上に人が倒れてた事で、さっきのは違う」

「そうか、すまなかったな」

 アレクは魔王の国の辺境、その最北端にある小さな山村の住人らしく、まだ幼さを残してはいるものの、狩りで生計を立てているのだそう。

 狩人を見つけたのも、狩りに連れている猟犬が発見した為との事。

「でも、お兄さんはあんな場所で何を狙ってたんだい?」

「ああ、大物だ」

「へぇ、あそこに大物なんていたっけ?」

「ああ、人生を賭けての大博打だ」

「そうか。ならまた狙うの?」

「勿論だ。体調が整い次第また行く」

「そっか」

「だが、驚いたな。魔王の国は人間もいたんだな」

「いるよ。とは言っても、ボクらは純粋な人間じゃない」

「?」

「簡単に言えば人間と魔族の血が混じってるんだ」

「よく無事で済んだな。この国で生きるのは」

「大変だよ。何せ混ざってるって事で嫌がらせとか受けたらしいし」

「なら、──」

「でもさ、今はそうでもないんだ」

「…………」

 狩人は差し出された水を飲み干す。ただの水なのに、披露の極地だった身体にとってはまさしく甘露のような味を感じる。

「新しい魔王様ってのが変わり者でさ、ボクらみたいな混ざったモノにも権利があるって言ってるんだ。それでここら一帯を自分の直轄地にしたんだよ。だから嫌がらせしてきた連中も今じゃ魔王様が怖くて手を出さない」

「魔王がお前達を助けたのか?」

 狩人の問いにアレクは頷く。

「魔王様はこの痩せた大地を何とかしたいんだってさ。それで、やがては食べ物に困らないようにしたいんだって」

「…………」

「だからさ──」

「──アレク、魔王様の事をどう思ってる?」

「ボクらにとっては救世主みたいな人だよ」

 赤毛の少年の笑顔は狩人にとってまばゆくて、直視する事が出来なかった。



「それじゃ世話になったな」

「うん。それで、大物を狩るつもりなの?」

「いいや。準備不足だ、一度国に戻るとするよ」

「そっか。またいつでも来てね」


 狩人はアレクに手を一度振ると、そのまま出て行く。

 彼は言葉通りに魔王を狙わなかった。国に戻って数年後、家族を救い出し、その足である辺境の山村へ来るのだがそれはまた別の話。



「魔王様、またこんな場所にいらっしゃいましたか」

「ん? ああ、見つかっちゃったな」

「あまり不用意に領内を歩き回るのはおやめくださいとあれ程申してますのに」

「大丈夫だよ。仮にもボク、()()()だもの」

「それはそうですが、人間共が魔王様を狙って刺客を送っているという話もあるのです。万が一の事態を考えれば用心に用心を重ねてもいいでしょう」

「わかったわかった。なら城に戻ろう。それよりも、土壌の調査は進んでいるの?」

「はい。学者が申すには、どうも呪いがかけられているとの事で、芳しくはありません」

「そっか、良かった」

「何を仰るのですか」

「だってそうだろ。呪い、って事は土地そのものが悪いんじゃない。誰かの仕業で悪くなっただけって事じゃないか。解呪するか、或いはもっと強力な呪いを上書きするか。いずれにしても方策の目処が立った訳だ。大きな一歩だよ」

「魔王様は前向きですな」

「当然じゃないか。ボクが後ろを向いたりしたら、それこそ時代が逆戻り。戦争ばかりの日々なんかお断りだ。だから前を向くよ、何があってもね。ついて来てくれるかい?」

「は、アレク様」


 魔王アレクはその生涯を国土の開発に捧げた。

 初の半魔族、しかも人間の血を引くという異色の出自でありながら彼はよく国を治めた。

 彼の存命中は戦争は起きなかったという。そして、その存命中に多くの異民族、種族を受け入れる事によって様々な知識を手に入れ、他国と話し合いを持ち、一時ではあったが世界は協調の時を歩んだ。


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