始まりの吸血鬼 - 8
商品に焼きごてを当てるのには、二つの意味がある。
ひとつは、これが自分の所で取り扱う商品であると証明する為。
もうひとつは、家畜と同じ扱いにする事で、本人の誇りや尊厳を挫き隷属させやすくする為。
人の肌に刻まれた取り扱い番号と、商会のマークが、それを証明している。
「ひどい真似をするよ……」
クレストが呟く。
フィリアは背中を向けたまま、彼の方を振り返って聞いた。
「もういい?」
「ああ、ごめんね」
「この焼印はボードレール商会のものです。調べたところかなり大きな組織らしく、人の闇社会全体においてもそれなりの規模となりましょう。孤児院としては、絶対に関わりたくない相手ですね。かくまっていたと判断されれば、最悪どんな目に遭わされるか」
「服で隠しておけば、判らない位置じゃないのか?」
「人の口に戸は立てられません、真祖。見える見えないではなく、そこにある、そういうものであるという事実こそが重要なのです。
黙って預けるという事も考えましたが、入浴時に露見するでしょう。そうなれば、その時に捨てられかねない。ですので初めから焼印を見せた上で依頼したのですが、駄目でした」
「だったら、治す方法は無いのかな」
問うクレストに、メイトリアークは首を振った。
「見当もつきません。
僕らにとって、傷は治すものではなく治るものなのです」
パトリアークもまた、同意するように首を振る。
それを誰より知っているのは、この2人をも超える、完全なる不老不死であるクレストだった。腕が千切れようと頭が吹き飛ぼうと、彼は死なない。どうやって治しているのかと問われても、答えようがない。死なないから死なないし治るから治る。必要がない治療という行為についてなど、一度も考えた事がなかった。
考え込むクレストを、少女はじっと見ている。その視線の前に、彼は笑みさえ浮かべられず、弱々しく言った。
「ええと……大丈夫だよ、何とかするから」
有効な方法の手掛かりが無いまま保証するのは、単なる無責任ではないかと思いながらも、10歳にも満たない子供に対して、手詰まりを断言する気にはなれなかった。
が、逆に少女の方が慰めるように微笑む。
「ありがと。でも無理しなくていいよ。
知ってるよ。メイ達がわたしの事でいろいろしてくれてるの」
「………………」
「おうちのひとたちもそうやってくれたんだけど、みんな捕まったり、どこかへ連れてかれちゃった。
わたしのせいで困ってるのわかるから。もう、ああいうのはいいの」
それが本心ではないだろう。
このような子供が自分はどうなってもいいなどと、本心から思える筈がない。
助かりたい筈だ。助けて欲しい筈だ。無理をして欲しい筈だ。庇って欲しい筈だ。痛いのは嫌な筈だ。
それら全てを押し込めて、諦めている。
否定する事も、慰める事もできずに棒立ちでいるクレストに代わり、パトリアークが半歩を進み出て言った。
「宜しければ、庭園の続きを見に行きませんか?」
「うん……でもちょっと疲れちゃったかも」
「……それなら、昼寝でもしてきたらどうだい」
やっと口を開いたクレストに、フィリアの顔が僅かに陰る。
「あんまり、何回も寝たくないな。
怖い夢みるの」
大きな瞳が伏せられている。
そんな話は初めて聞いた。言わないようにしていたのか、それとも自分だけが知らなかったのか。家によって売られ、一家は離散し、拷問に近い処置を受けた子供にとって、容易に忘れられる記憶ではないだろう。悪夢を見たとて、不思議はなかった。
クレストは少女を見下ろしたまま言った。屈んで目線を合わせた方が良かったかと思ったのは、喋り出した後だった。
「それなら心配ないよ。ここは、そういう夢を見ないようにできるから。
パトリアークは夢魔……ええと、夢の専門家だからね。
パトリアーク、そういう風にしてやってくれ」
「承知致しました。
フィリア様、わたくしが快適な眠りをお約束致します。怖がらなくて大丈夫ですよ」
「ふうん……パト、すごいんだ。」
少女がパトリアークを見上げる。僅かだが、目に光が戻っていた。
パトリアークは夢魔、ナイトメアと呼ばれる種族でも相当に高い力を持っている。訳もない事であった。完全に理解はできていないだろうが、少しは恐れが取り除けた事にクレストは安堵した。そうしてから、自分は何もしていないなと虚しい気持ちになる。
「お目覚めの時間に合わせて、林檎のパイを焼いておきましょう。
甘さは強いほうが宜しいですか?」
「甘いのがいい!」
続くメイトリアークの申し出に、フィリアは元気よく答えた。
パトリアークに手を引かれて部屋を出ていく姿を、扉が閉じるまで、クレストはもう声も掛けられずただ見ていた。
足音と話し声が分厚い扉の向こうに消えた時、メイトリアークが彼を振り向いて言った。
「素直でまっすぐな子供です。長生きはできないでしょう」
事態に動きがあったのは、その翌日だった。
「真祖」
従者の声に、彼は振り返る。
「森に人間が入り込みました」