オールマイティ - 13
丈に寸分の狂いも無い事を確認し、最後の作業が済んだ。
几帳面なパトリアークらしく、改めてサイズなど合わせるまでもない、完璧な仕上がりだった。
短期間とはいえ子供の成長は早く、その都度等しく完璧な仕事をこなしてきたパトリアークだったが、フィリアの衣服を作る機会も、これで終わりとなる。だからといって、少し後まで着られるようサイズに余裕を持たせたりはしないのが、パトリアークらしかった。
その時その時の、その者にぴたりと合致するものを。
彼にとって、服飾とは対象の存在を構成する一部である。ならば考慮するべきは現在のみで、成長した後など知った事ではない。未来を見た結果今が不恰好になるのでは本末転倒である。
僅かでも、サイズが変わる毎に作り変えて。
その日の天気によっても、髪型によっても、服を変えて。
クレストの下にいる限りは、それが許される環境だった。
つまりこれは、単純にパトリアークがフィリアの服を仕立てて楽しめなくなるだけの問題ではない。フィリアが、豊かな庇護環境から引き離されるという事である。
例えは悪いが、これは死化粧のようなものだとパトリアークは思っていた。しかも死化粧ならば尚更目一杯飾り立ててやりたいのに、危険を遠ざける為に、それさえ出来ない。もどかしくあり、フィリアが気の毒でもある。決して楽とは呼べない道に戻される最後がこれでは。
何故、主が己の感情に逆らって、フィリアを返す事に意固地になっているのかは、パトリアークの理解の外にあった。大切に思うのなら手の届く場所に留めておけばいいだろうにと、率直に考えてしまう。丁度、彼にとっての館や庭園や調度品類のように、だ。彼はどこまでも魔物であった。
だが、異を唱えはしない。それが主の明確な意思であるのなら、彼は粛々とこなすのみである。
自分は、メイトリアークではないのだ。
フィリアへの餞は、せめて己に許された範囲で最高の結果を与えてやる事くらいである。
「良くお似合いですよ……と称賛できないのが重ね重ね残念です。
このような可憐な幼子の門出は、もっと華々しくあるべきだというのに」
「そんなことないよ。これ動きやすいし、サラサラしてて気持ちいいよ」
「安物です! 上質な生地ならば山程控えているものを……。
外見には凝れず、あまつさえ素材の質まで落とさねばならないとは、ああ!」
「あはは、なんだかパトがいちばん残念そう」
「はい、まことに残念でなりません。
叶うものなら、美しく成長を遂げたフィリア様を、わたくしの手で着飾らせとうございました」
無念そうに、パトリアークは整った眉を寄せる。
本質は遊び道具であったとしても、真摯な願いなのには違いなかった。
聞きようによっては微妙な心境にさせられる台詞であろうが、フィリアは素直に受け止めていた。ありがとうと、パトリアークに言う。
服に加えて、靴も、山を降りるのに不都合が生じないようにしてあった。危険な場所はウィルが手を貸してくれるとしても、体の状態が状態なのだから、ある程度は自分で歩けるようにしておくべきだった。
つまり、考えれば考えるほど装飾からは離れていく。
装飾という技工から、ひたすら離した物を考えていかねばならない。
それは、パトリアークにとっては相当の苦痛だったろう。
実用面の追求はそれはそれで愉しいとしても、彼の本分は装飾と実用を両立させる事にあるのだ。それならまだ苦痛も和らいだものを、意図して装飾を削ぎ落とさねばならないときている。
既に何度か履いて馴染んでいる靴で、フィリアは軽く駆けてみせた。
引っかかりは無く、快適そうである。服も全身の動きを全く妨げていない。
完成した全体像に、パトリアークが深々と溜息を吐いた。
「ここに来た時の服でも良かったんだけどな」
「なりません。その前に存在していません、勝手ながらだいぶ前に処分させて頂きました。求められているのは庶民の範囲を逸脱しない服であって、以前と同じ服ではないのです!」
「なんかパトがこわい」
「ありがとう、パトリアーク。
おかげでフィリアも、とても過ごしやすそうだ」
「我が主に感謝を」
パトリアークは頭を下げ、これ以上の不平は口にしようとしなかった。クレストに対してぶつけるような内容ではないし、あまり服への不満を口にしていては、それを着ているフィリアの価値まで下げてしまう。
それは、彼の本意ではない。
フィリアは、ちょこちょことクレストの前まで歩いていった。
腰まである長い髪は、今だけ邪魔にならないよう一本に束ねてあった。
リボンで結わえる事もできない。ただの紐だ。
「クレストも着替えたら?」
「……俺じゃ、何を着ても似合わないよ」
それでも、存分に可愛らしい。
未来を与えるに値する存在だ。
この子が生きて、人の世界で居場所を得る事を思えば、手放す悲しみにも耐えられるとクレストは思った。胸が一杯なのか、喉が詰まっているのか、黙って頭を撫でる事でしか彼はそれを表現できない。
必死に考えてはいるのだが、今は、まだ。
「フィリア様、少々宜しいでしょうか」
パトリアークがフィリアの前まで来ると、跪く。
目線を合わせる為にそうしたのだ。
「有りの儘に申し上げれば、その衣服は地味なものです。
飾りもない、布を体の形に縫っただけの、おそらく駄目になるのも早い。
心のままを申してください、フィリア様。この館でわたくしが手がけた衣服と比べて、その服はずっとみすぼらしいものに見えるでしょう?」
「え……う、うん……でも……」
「その服、ぜひとも体に合わなくなり、もう着れないという時まで着て頂きとうございます。
これまでフィリア様には、わたくしの我侭で多種多様な服を日々お召し頂きました。中には数度しか、いえ一度しか提供していない物もございます。
それはそれで実に愉しい遊戯でございました。ですが、服飾とは、使い古され着潰され遂には着る事も叶わなくなってこそ、その存在の大義名分を果たせるもの。そういう意味では、わたくしが最後に贈るこの服こそ、初めて本来の役割を果たせる服なのです」
パトリアークはフィリアに、着古すまで同じ服を着続けさせた事など無かった。
人間の子供が身近に暮らすなど、彼にとっても初めての経験だった。
僅かずつでも成長していき、日々新たな表情を見せるフィリアに新たな着想は生まれ続けるばかりで、手間暇掛けて完成した新作を一日で片付ける事も、まるで惜しくなかったのである。
しかし、これは彼が贈れる最後の服。
もうフィリアの成長を見る事もなければ、新しく手掛ける事もできない。つまり、服としての寿命をしっかりと迎える事のできる、初めての作品となるのだ。
フィリアは、自分の着ている服を見た。
膝の少し上まで伸びた裾を摘んで引っ張り、左右の袖や胸をぐるりと見回す。
「パトは魔法使いみたいだね。
今の言葉で、この服、どんなドレスよりきれーに見えるようになったよ」
フィリアは、与えられる服が綺麗か綺麗でないかは気にしていなかっただろう。
役割を理解していた事もあるし、元からそうした美しさを喜びはしても、傲慢に溺れる事はないのもある。ただ純粋に、自分の為に最後まで服を作ってくれたパトリアークに感謝していた筈だった。
それでも、周囲の目を誤魔化す目的で質素に作られた服が、あれほど素敵な服やアクセサリーを簡単にこしらえてしまうパトリアークでさえ実は初めて作った物だったと聞かされるや、素晴らしく輝いた宝物のように感じられてくる。
魔法使いとフィリアは言ったが、装飾とは紛れもなく一種の魔術であるに違いないのだ。対象が空間であれ、建物であれ、物であれ、人であれ、飾る事でそれらは化ける。
「人の歴史は装飾の歴史と共にあると聞きます。
富める暮らしであれ、慎ましき暮らしであれ、身を飾る物は常に身の回りにあるのです。どうぞ素晴らしいレディになられますよう」
心からの助言と祝辞を口にすると、少年じみた青年従者は、くすぐったそうなフィリアに優雅に黙礼した。




