オールマイティ - 12
一刻も惜しいとばかりに場を去るパトリアークと、その後を追うフィリアとクレスト。ああ手を握っているな微笑ましい、と柄にもなくそちらへ思考が行っていたのは、おそらく現実逃避というそれである。
とはいえまあ、いつまで知らぬ振りを決め込む訳にもいかないのだが。
これもまた前回こうすると決めた事ではあるのだし、覚悟をしなければなるまい。
「こちらへどうぞ、お部屋までご案内致します」
事務的なメイトリアークの後に付いて、ウィルも歩き始める。
庭園を抜け、館に入り、2階の一室に通される。
以前に内部を見て回った時に、腐るほど余っていた客間のひとつだった。
「お茶をお持ち致します。
持ち帰る品は極力少なくとの話でしたが、飲食も駄目だという事にはならないでしょうね?」
「いや……それは大丈夫だ。体に匂いが付いたり、飲んで一定時間後に変身したりしないなら」
「そのような現象はございません。では、ここでお待ちください。
その体で山を登るのは大事だったでしょうから、せめて出立までの間はお体を休まされますよう」
変身云々は冗談のつもりで言ったのに生真面目に答えられ、余計にウィルは気まずくなった。気まずいと感じているのは自分だけだろうが、話の取っ掛かりにしようと口にした冗談で、却ってタイミングを逃してしまった事になる。
ええと、謝るんだったか。
再確認する。
別段、彼は謝罪に不慣れな訳ではない。この任務でも散々に頭を下げ続け、一度などは地べたに這いつくばって酒まで浴びせ掛けられた程である。ただ熟練の戦士たる彼をしても今回のような仕事は初めてで、故にこうした状況下での謝罪は経験がなく、どうしたものかという迷いがあった。
フィリアくらいの子供相手ならさっさと言えてしまえるが、あれはタイミングが良かったのもある。こんな事なら、フィリアに声を掛けた流れに乗じて、こちらにも詫びてしまえば良かったと思った。
そうこうしているうち、茶の用意をするべくメイトリアークが立ち去りかける。
ままよ、と彼は口を開いた。
「ああ待ってくれ。……あんたも、この間は悪かった。
あんたもというか、あんたに一番痛い目遭わせちまったからな」
「その事でしたら、謝罪して頂く必要はございません。
殺そうと思っていたのも怒りがあったのも本当ですが、その後真祖から事情は全て伺いました。それでも疑っていたのは事実ですが……こうして約束通りに現れた貴殿を見て、先程の言葉を聞いて、最後の疑惑と共に怒りは完全に消えました。もはや僕に貴殿への敵意はありません、ご安心を」
「それってついさっきまで怒ってたって事じゃねーかよ! 全然安心できねえよ!」
「怒っていましたよ? それはそれは痛かったので。
僕は執念深い方なんです」
「……殺す気でかからなきゃ殺されるのが相手だったからな」
「それにしたって、無茶な手を選んだものです」
「まったくだ。……先程の言葉ってのは?」
謝ってしまえば調子が戻ってきて、ウィルはさっそく引っかかった一箇所について聞いた。
職業柄、彼は力を抜いている時でも、聞き逃すという事がまず無い。
あまりに予想外だった場合、聞き返す事はあるが。例えば、前回の訪問時にこの少女から持ち掛けられた交渉の時のような。
まだ茶が出てきていないのに、思わず彼は噎せかけた。どうも余計な事を思い出している。
「真祖に、フィリアとの別れの時間を与えてくださった」
「ああ、あれか。大した事じゃねえよ」
拍子抜けした顔で、ウィルは言った。
のんびりしていられないのは確かだが、到着するやフィリアを抱えて引き返す必要に迫られている程、切羽詰まった行程ではさすがに無い。潜入任務をしている訳ではないのだ。別れを惜しませる余裕はあるから、それをそのまま手渡した。それだけの事だった。
さしたる長さとも呼べない、云わばほんのおまけの時間が、思いがけずこの忠実な従者を懐柔する役割を果たしたのなら、ありがたく感じるのはウィルの方である。
そこで、またしてもウィルは気付いた。
「真祖に、なんだな」
「はい?」
「フィリアに与えたじゃなく、真祖に与えたと言った。
あんたにとっては、あくまであっちが基準か」
「それはそうです。僕は真祖の従者であり、忠誠を誓った身であります故。
僕が真祖に付き従うのは敬意からです。となれば判断の基盤は真祖に置く以外ありません」
「あれにねえ。なんであんなのにそこまで忠義尽くしてんだ?」
「色々とあるのですよ。相応の代価をお支払い頂ければお教え致します」
「代価って何……いや、いい。言わなくていい。オレは何も聞いてないからな」
「そうですか、残念です。
しかしながら、僕の目には貴殿も似たようなものだと見受けられるのですが」
「さあて、どうかね」
ウィルは、答えをはぐらかした。
この有能な美貌の少女が、あの冴えない痩せぎすの無気力男に抱く忠誠や敬意と、自分の行動基準が同類かと問われれば、一致しないように思える。
さりとて、乖離してもいないようであるが。
幾ら仕事だからといって、通常の彼がここまで身を張るかと言われたら、それは無い。騙した恩人であるシャムローの言葉を借りて、命あっての物種、となる。他の仕事で似た状況に追い込まれたならば、迷った末に、おそらくは逃げる道を選択していた。
夢を得たから、と彼はクレストに語った。
では夢というのは、忠誠や敬意の部類に当たるのか。
やはり、考えても判らない。初めて得たものだから、喜びと共に戸惑いや不明点も大きいのだ。ひとまずは、部分的には重なる箇所もある、程度に留めておくのが無難だろう。
眉間に皺を寄せているウィルに、こちらはすっかり同類と見たのか好意的な微笑を向けて、メイトリアークは話を戻した。
「むしろ謝らなければならないのは、誰よりも強く貴殿を疑っていたぶん、僕かもしれませんね」
冗談じゃない、疑われて当然なように仕向けたのはこちらだ。
また戻ってきた決まりの悪さに、ウィルは居心地のいいソファに座ったまま、ぼりぼりと頭を掻いた。




