オールマイティ - 11
ウィルが再びクレスト達の前に姿を現すまで、実に、人の暦で三ヶ月の時を要した。その間、待つ側に不安があったかなかったか。少なくともクレストに限っては無かったと言える。
庭園に現れたウィルは、やや疲れているように見えた。言うまでもなく、腕と脚のせいである。新しい仕事を学ぶ傍ら、負傷した体の回復と訓練に取り組んでいたとしても、満足に動かない脚で山を登り、森を抜けるのには苦労を伴う。まして彼の場合は、人目から逃れてという条件まで付いているのである。森を守る結界はウィルの来訪に合わせて解除されたのが、せめてもの救いであった。
クレストの見たところ、ウィルの体は随分と回復したようだった。
こうして立っている様子だけならば、片脚に異常を抱えているとは思えない程である。油断すると即座に飛びかかってきそうな、獰猛な雰囲気もそのままだ。
短期間でここまで持ち直してみせたのは、彼の実力と修練の賜物であろう。
しかし、吹き飛ばされた筋肉そのものは埋めようがなく、歩き出すとやはり軽くだが引き摺っていた。
出迎えは、洋館にいる全員で行われた。
最も手前にクレスト、離れた背後にメイトリアークとパトリアーク。
フィリアはクレストの脚に隠れて、顔だけを覗かせていた。これより安全な位置は世にあるまい。
さて、どうすべきかとウィルは首を捻る。
露骨に警戒している、という表情ではないようだが、慕われていると楽観視するには無理がある。
「よう」
とりあえず、ウィルは挨拶してみた。
途端に、ささっとフィリアがクレストの脚の後ろに隠れる。
おい、という言葉を、ウィルはクレストへ向ける目に込めた。
「……ちゃんと説明したんだろうなあ?」
「したよ……自信なかったから5回くらい。
逆に怪しまれた……」
「そーか。最大のミスは、説明役をあんたに任せるしかなかった点だな」
「でも君のその姿を実際に見れば、一目瞭然だろう」
「さあ、どうかな。
片腕片脚吹っ飛ばすのに見合うだけの報酬が得られるなら、やる奴はいるかもしれないぜ」
ここにきてそんな、とクレストが困惑する。
決して無視できない可能性のひとつを提示しただけだが、確かに余計な不安を招く言葉だった。
「オレはやってねえよ。
ただ、そういう事も起こり得るってのを頭の片隅に置いとくのは、決して悪い事じゃない。この先、その嬢ちゃんが生きていく道を考えたらな」
そして、自分でも驚くくらいに優しい目で、フィリアを見る。
この頃には隠れるのをやめて、また前に出てきていた。
ウィルが視線を下げても、今度は逃げない。
「すまなかったな、怖がらせちまって」
「うん、ばんしにあたいする」
「んな言葉どこで覚えたオイ。そこの根暗が泣くぞ」
「あのさ……」
「クレストたちのこともあるし、ウィルのこともだよ。
……そんな大ケガ、して欲しくなかったよ」
「んー」
睨むフィリアに、ウィルは決まり悪そうに言葉を濁した。
知り合いが、自分の為に腕と脚を自らの意思で切り離したと聞けば、落ち込むのが当たり前だ。
包み隠さず説明しろとクレストに求めた通り、一切の事情を隠す訳にはいかなかった。彼の潔白を証明し、同行を納得させるには、真相を詳らかにするより他なかったのだから。
ある意味では、こんな子供に対して、最悪の恩の着せ方をしたと言える。
大きな手が、フィリアの頭をぽんと叩く。
あまり優しくはなかった。むぎゅ、と声があがる。
「オレはいいんだ、結構満足してるからな。嘘じゃないぜ?」
「わかんないよ、なんで? 手がなくなっちゃったのに」
「そいつから聞いてないのか?」
「聞いたけど、よくわからなかった」
「だとしたら、あれ以上の説明をするのは難しいな。
言葉にゃできねえもんもあるんだよ。そうだな……無理に例えるとしたら、そいつがお前を守るのにやたら拘ってる事や、何かっつーとお前が自分を犠牲にしたがる事と似てるかもしれねえ」
「じゃあ、むずかしいね……」
「そうだ」
幼い少女が困り顔で出した結論に、ウィルは満足した。
そうだ、こういうのはとても難しい。
彼はフィリアとの話を切り上げ、次にクレストを見る。
「別れは済ませただろうな?」
「うん。君が去ってからは、悔いがないように毎日を過ごしたつもりだ。
いつ、その時が来てもいいようにと」
「ならいい。こっちの受け入れ体制は万端……とまではいかねぇが、全力尽くせば誤魔化せるだけの体裁は整えといた。すぐにでも出発したい。分かってるだろうが、オレがここに立ち寄る事自体が結構な危険なんだ。山登りの意味でも、人目を撒く意味でも。この短期間で独り立ちするところまでは漕ぎ着けたっつっても、仕入れに来るには些か無理のある場所だからな」
「ああ、分かっているよ。……分かっている。
何か必要な品物はあるかい?」
「あるなら宝石類を恵んでくれ。なるべく小さくて処分しやすい、ありふれた種類がいい。間違っても地上じゃ手に入らない太古の宝石とか持ってくんなよ。
他の物は一切ここから持ち出す訳にはいかん。嬢ちゃんに餞別持たせるのも駄目だ。なんであそこにあんな物がと、注意を引きかねない要素は徹底して排除する必要がある」
落ち着いて受け答えをしていたクレストが、ここで幾らかの動揺を露わにした。
豪華な服でもバッグに詰めて持たせてやる気だったのかと、ウィルは苦笑しかけたが、どうやらそれとは少々異なる理由らしかった。
おずおずとクレストが申し出る。
「その……ブローチ、のような物も駄目だろうか」
「ブローチ? 当分お洒落なんぞさせてられる状況は来ねえと思うが……どんなのだ?」
「お洒落というか……ええと、記念で作っていたんだ、皆で。
木製で、そんなに目立つ大きさじゃなくて、宝石は付いていない」
「ああなんだ、いいよその程度なら。そこまで必死にならなくても」
ウィルがそう言うと、クレストは目に見えてほっとした。
余程安心したのか、吐息まで漏らしている。
記念品、と言ったか。後に残された唯一つの繋がりになると思えば、それは持たせたいだろう。
にしてもな、とウィルは思う。気付いているのだろうかこの男は、自分の発言と行動の矛盾に。フィリアには外の世界に出て、人としての幸せを掴んで欲しいと心底願いながら、こうして、内の世界に篭る、あまつさえ魔である己との思い出を、その手に渡したがっている。そこはむしろ、内部との繋がりなど一欠片も残さず排除したがるものではないのか。
しかし、とややあって思い直す。
あるいはそれは、何ら矛盾する感情ではないのかもしれない。後々まで繋がりを残したい訳ではなく、主眼はあくまで、フィリアとの思い出を守りたいという点にのみ置かれているのだとしたら、繋がりが残ってしまうのは結果としてに過ぎない。酷く歪んだ、近視眼的な物の見方だ。そして、いかにも化け物らしい。
どのみち真実は判らない。本人に聞いても判りはしまい。
ウィルは煙草を取り出して咥えた。火は点けない。
どうせならもう少し安心させてやるかと、煙草を噛む振りをして密かに笑う。
「すぐ発つに越した事はないんだが……」
わざとらしく溜めを作って注目を集めてから、言う。
「ま、最後の別れをする時間くらいはあるだろうよ」
「ウィル……」
「泣くのも笑うのも惜しむのも良し、せいぜい後悔のねえようにな」
「ありがとう、ウィル。
……パトリアーク、フィリアの身支度を整えてあげてくれないか。
なるべく動きやすくて、それで……綺麗でも可愛くもない、目立たないものを」
「はい、完璧に。
フィリア様、わたくしと参りましょう。
真祖もご一緒なされませんか。共に過ごされる時を、僅かなりとも失われませぬよう」
「行こうよ、クレスト」
「ああ、そうするよ。メイトリアーク、君はウィルを休めそうな部屋に案内するのと、宝石を見せてあげてくれ。小振りなといっても、俺達より彼自身に安全そうなのを選んでもらう方が確実だろうから」
「承知致しました」
「うげっ!」
「何かご不満でも?」
「いえ……」
メイトリアークが静かに尋ねる。押し殺したように、と聞こえなくもない。
思わず落とした煙草を拾うのも忘れて、ウィルはクレストを見る。ん?と首を傾げられた。狙ってやっているのか天然なのかは知らないが、嫌がらせも程々にしてもらいたい。




