オールマイティ - 6
「な――」
火と、煙。
音と、血。
クレストは目を見開いた。
反応する間も無かった。
爆発は、彼に向けられたものではなかったからだ。
膨れた右腕と右脚が、空気でも吹き込んだように一気に膨張した。そう見えた。
ドン、と短い大砲のような音。
振動する空気。
一斉に梢から飛び立つ鳥達。
クレストは、その全てを見ていた。
「だああああああああいってええええええええチクショオオオオオッ!!!」
どしゃりとウィルが右膝から崩れ落ちる。
左脚を立てて倒れるのだけは防ぐも、額にはみるみる脂汗が浮きあがった。
力を失くした右脚が、だらりと伸びている。
つい先程まであった不自然な膨らみが、跡形もなく消えていた。
消えていたのは膨らみだけではない。布地と共に、ふくらはぎの肉が削り取られていた。ウィルは立っていられなかったのではない、立ちようがなかったのだ。
赤黒く焼けた傷口から、じわりと血液が染みていく。
右脚の傷を、離れた正面からこうもはっきりと確認できたのは何故か。
視覚の妨げになる物が無かったからだ。
ウィルは右腕を消失していた。
逞しかった二の腕は、皮一枚のそのまた切れ端を残して吹き飛ばされており、辛うじて繋がった箇所から先は、本来ならありえない状態にぐるぐると捻じれ曲がっていた。
滴り落ちる鮮血と、肉の焦げる匂い。うっすらと見える骨の白。
辺りには、いまだ爆発の反響が居残っている。
「何を……やって……!」
「来るな!! いや来てもいいが、絶対に手出しはすんな!
人間じゃ不可能な治療でも施されようもんなら台無しになるぞ! こいつは……オレが……」
慌てて駆け寄ろうとしたところを一喝されて立ち止まったが、続く言葉に少し迷った後、のろのろとクレストは歩き出した。
ふうっ、と荒い息を吐いてから、ウィルは行動を開始した。
脇に下げていたバックパックを左手だけで手早く開き、予め輪状に結んでおいた止血帯を取り出す。次に分厚いナイフを握り、ロープのように捩れていた皮膚を切り離した。もうあまり痛みを感じないのか、声は上げない。
右腕が完全に切断されて、地面に転がる。彼に残ったのは、二の腕の3分の1程の長さだった。
邪魔な物の無くなった右腕を、止血帯の輪に潜らせる。
この頃に、クレストはウィルの前に辿り着いた。
途方に暮れている表情をしていた。
「そーいやあんた、治療なんて出来るのか?」
「……出来ない、無理だ」
「だと思ったよ、余計な心配だったな」
口調が幾らか早くなり、声が上擦って聞こえるのは、苦痛の大きさによるものか。
ウィルは左手で、止血帯をぎゅっと引いた。
右腕右脚に多大な傷を負いながら、全ての処置を自分で行なっている。驚嘆する精神力であった。
「ああ痛ェ、くそオっ!」
「……何を……何をやっているんだよ、君は……」
「さあ、何やってんだろうな本当に。
気持ちに余裕あるなら、応急手当が済むまでの間、気ィ紛らわすのに話に付き合ってくれ」
これ以上なく突飛な要求に、クレストは頷いた。他にどうしようもなかったのだ。
クレストが、ウィルの正面に屈み込む。
右腕を吹き飛ばしたのは爆薬のようだった。火で焼けた為、凄惨な傷の割に出血量は多くないが、全ての血管を塞ぎ切るものではない。縛っても尚血は滴り出しており、放っておけば危険だろう。
ウィルは、バックパックから小瓶を二つ取り出した。左手で器用に栓を開け、まずは透明な液体を、ざぶりと傷口に浴びせ掛ける。ぎゅうと筋肉が収縮し、出血量が減った。次にもうひとつの瓶を開け、薄緑の粉末を満遍なく傷口に振り掛ける。
ウィルが顔を顰め、汗を垂らして歯軋りをした。
止血の補強か消毒か、あるいはその両方を兼ねる物であろうが、痛むらしい。
「後顧の憂いなくフィリアを外に帰すには、どうしたらいいかを考えていた。
あんたらが初めにやったように、慈悲深そうな施設に託すか?
それとも死んじまった事にして、こっそり戻すか?
どっちも不完全だ。ただ死んだと報告するだけじゃ、ああいう連中は決して疑う事を止めない。
それに、戻した後の問題もある。人の口に戸は立てられねえ。いつか何処かからフィリアの情報は漏れ、買い手に伝わるだろう。そうなりゃ一巻の終わりだ。
このふたつをいっぺんに平らげるのに、もってこいの方法がある」
「ウィル……君は……」
「幻想のフィリアを創り出し、敵の目をそちらに引き付けておく事。同時にフィリアの身元を完璧に隠蔽しきれる者が、自然に退場できる状況を作り出す事――。
結果どうなったかは、言うまでもねえよな」
言うまでも、ない。
クレストの前にいるウィルこそが、その答えだった。
二の腕の止血が済むと、次に右脚に取り掛かる。腕ほどではないが、こちらもかなりの傷だ。森を疾風のように駆け、木から木へ飛び移ってみせた脚には、まるで力が入っていなかった。
「事後承諾で悪いが、あんたらには永遠に囮になってもらう。
人買いに買われた貴族の少女は、今でも森の奥に棲む恐ろしい魔物に拾われ、匿われている。オレが完成させた虚構の既成事実が、嫌でも外部の目をここに集めてくれるだろう。実物はとっくにもぬけの殻だって言うのにな」
構わねえだろ、とウィルは言う。
クレストは頷くだけだった。
「オレの与えた損害は相当なもんだった。羨ましくて死ぬぐらいだ。
前みたいな捜索隊なんぞ当分組めねえだろうし、やっこさん探す気も失せてる。
ま、金銭面と人員面での損害はオマケだ。肝心なのは意識面にある。
獲物が死んだって話はなかなか信じられないが、生きてそこにいるってなると不思議と気を引くのさ。宝の地図の取り引きが、いつまで経っても止まねえように。
しかも現地で実証済みだ。んで、今回のこいつがとどめになってくれるだろう」
ウィルは、半分以下になった右腕を持ち上げてみせた。
次にバックパックから取り出したのは、先程の小瓶よりも更に小さなガラス瓶だった。指の第一関節分程度のそれに、やはり取り出した注射器を突き立てて中身を吸う。それから切断面やや上の二箇所に針を刺し、半分ずつ中身を注入した。
細い息が漏れ、心なしか、ウィルの顔色が回復する。次は脚だ。
一頻りウィルは治療に集中し、言葉が途切れた事で、固まっていたクレストの思考が回り始めた。
ウィルの話は、悲しいくらいに理解できていた。
聞かされた者が、称賛よりも絶望を覚えるくらいに明白に、意図は伝わる。
湧き上がる思いは言葉となって溢れ出る。それは賛辞ではなく非難だった。
「それなら……それならそうと、どうして先に話しておいてくれなかった。
囮の事後承諾どころの話じゃないだろう、下手したら君はあの場で死んでいた!
メイトリアークは本気だったし、俺も君達を殺しにいっていた。
話しておいてさえくれれば、協力する事だって出来た筈だ!」
「駄目なんだよ、それが。
嘘を真実に限りなく近付けるには、ほとんどを真実で固めるのがコツだ。木を隠すなら森の中ってな。その為には、嘘はたったひとつしか許されない。
オレが、フィリアを森から連れ出すつもりでいるっていう嘘だ」
「君は俺達が、芝居が打てない事を案じていたのか?」
「違う。
こればっかりはあんたらには判らないだろうが、俺達みたいな連中の間で、極端に隠し通すのが難しい事がある。
他ならない、自分の生死に関わる事だ。
……以前にな、珍しく複数人でチーム組んで向かった仕事があった。
順調に進んでいったが、途中でオレは、どうも中の一人の様子がおかしいと思った。どこがどうとは言えないが、おかしいんだ、明らかに。だからオレは、さりげなくそいつの動向から目を離さないようにした。
で、どうなったかっつーと、そいつは潜入先に通じてた。罠だったんだ。
警戒してたオレ以外は全員死んだ。オレの手でそいつも死んだ。オレは死に物狂いで逃げた。
自分の命が保証されてるって安心は、間違いなく顔に出る。目配せに出る。気配に出る。まして連れてくるのは叩き上げの精鋭だ、自分が死なないと知ってるオレを見逃す筈がない。だからオレは、自分まで殺されかねない状況から逃げる訳にいかなかった。そうして初めて、森の魔物に捕らわれたフィリアを奪い返しに行って、壊滅の末に敗走するってプロセスは完成する。
肉壁使いながら逃亡に徹すりゃイケるんじゃねーかと踏んでたが、見通し甘すぎたな。こりゃ殺されると何度も冷や汗が出た。途中で交代してくれてホッとしたぜ。最後まであんたが追っかけてきたら、きっと無理だった」
「当たり前だ! それだって……それだって無理だった!
メイトリアークは強い。逃げ切れたのは本当に運が良かったからに過ぎないんだよ!」
クレストの声が大きくなる。
ウィルは少し驚いたように彼を見て、ややばつが悪そうに笑った。
薬が効いてきたのか、笑うだけの余裕は出てきたらしい。
「まあ……こればっかりは賭けだったのは確かだな。
でも、そもそもあんたの要求が無茶な代物なんだ。ゴリ押しするには、こっちも無茶に打って出るしかなかった。いよいよとっ捕まったら――しょうがねえから全部話す気ではいた」
「捕まらずに殺されてしまう可能性は考えなかったのか」
「ないだろ。あんたはグダグダ喋りそうだし、あっちの姉ちゃんはねちっこそうだし、一番落ち着いてる美少年はフィリア嬢ちゃんに付いてそうだ」
「………………」
「編成隊皆殺しにするなら、打ち合わせしておいても良かったんだけどな。証言の信憑性を増す為に、是が非でも何人かは生かしたまま連れ帰りたかった。
あんたらに事情追求されかける度にヒヤヒヤもんだったぜ。
特に、爆弾で頭消し飛ばしても喋ってきそうなあんたは。
最後に残った問題は、今日訪ねてきた時に問答無用でぶっ殺されるんじゃねえかって事だったが、これはそこまで心配してなかった。たぶん、あんたの性格なら自分だけで出てきそうだと思ったからな。事実そうなった」
「……俺は、読まれっぱなしだったという訳だね」
クレストは泣きそうに顔を歪めた。
理由はウィルの行動と、その果てに負った傷と、両方からだ。
あの短い間で、ウィルはここまで自分を観察しきっていた。
ひと通りの処置が済むと、ウィルはパックされた包帯を広げた。厳重に包まれた紙の袋を破り、一見火薬のような黒いざらざらした粉を撒いていく。包帯に触れた粉はぴたりと貼り付き、持ち上げても落ちていかなかった。
「さてここで、あんたには最後の決断をしてもらわなきゃならない。
フィリアを森から連れ出すだけなら、然程難しい事じゃない。困るのは連れ出した後だ。人間ってのはそれなりに寿命のある生き物で、外の世界に出しても暫くは生きてる。その間うっかり身元がバレちまいでもしたら、せっかく撒いた追跡も水の泡だ。だから絶対に秘密を口外せず、漏れそうになるのを隠し切り、不自然でなく身辺を整えてやれて、尚且つ子供一人を育てられる人間がどうしたって必要になってくる」
ウィルは、クレストをちらりと見た。
ある意味で、これが最も話し辛そうだった。
「まったく自分でも笑っちまうが――フィリア嬢ちゃんの保護者には、オレが付く事になる」
半ば予期していたのか、クレストは驚かなかった。
ウィルにしてみれば、驚くなり抗議するなり、何らかの目立った反応が欲しかったようだ。
口調がまた早まったのは、自棄気味な気分が声に乗っているからだろう。
「惨めな失敗の末、オレは利き腕を失い、脚をやられ、今の町に居られなくなり、仕方なく逃げるようにして遠い町に移る。ここまではいい。だがそこにガキ一人がくっ付いてとなると厄介だ。
養子か、孤児を引き取ったか、旅先で拾ったか、趣味で買ったか。
子供一人がオレの手元に来るまでのシナリオを不自然でなくでっち上げるまでは、嬢ちゃんには、ひたすら部屋の奥で身を隠して暮らしてもらう事になる。
と言うと聞こえはいいが、やる事は幽閉と変わらん。生きているのに存在を抹消され、いないものとして暮らすんだ。半年そこらじゃ済まない。数年がかりの偽装工作になるだろう。あんたの望んでる、きらめく太陽に照らされて明るい笑顔で外を駆け回るような生活とは、当分オサラバになるな。正反対の、窮屈で薄暗く笑い声さえ制限される毎日が、嬢ちゃんを待ってる」
隠し立てせず、待ち受ける現実を述べていくウィルを、クレストは静かに見ていた。
「それでも、他に危険を排除する方法は無い。
だからオレは今ここであんたに問う。
あんたは、それでも尚オレを雇い続けるか。
大事な嬢ちゃんを、汚水と腐肉で生き延びてきた人殺しに預けられるのか。
大事な嬢ちゃんを穴蔵に押し込めると宣言してるボロボロの死に掛けに、未来を託せるのか。
いつか嬢ちゃんを部屋から引っ張り出し、堂々と昼の賑わう町を歩けるようにしてやるって約束を信じられるか。
オレは自分の全てを賭けてあんたの希望を叶える。オレが必ず嬢ちゃんの未来を繋ぐ。故に逡巡は許さん。疑問も許さん。諾か否か――即応しろ!」
「信じよう、君を」
クレストは答えた。
「そうか、ならいい――任務完了」
話を終えた時が、包帯を巻き終えた時だった。
応急処置は、完全に済んだようだ。




